熟・老年の男のお洒落と美学について「赤毛のアン」で再考した。令和2年9月23日
世間の多くは、男のお洒落を錯覚している。天性の容姿とか、ブランド品を身につけているとか、育ちが良いとかの勘違いだ。例えば、白洲次郎のTシャツとジーンズは、最高のお洒落のお手本だとか、麻生総理のツバ広高級ハットはお洒落だとかの類いだ。男のお洒落の感覚のどれもが高級品カタログ的で、真のお洒落とは思えない。熟・老年男のお洒落は人生が滲みでていることが必須だ。
NHKの日曜深夜「赤毛のアン」が始まった。
アン役は原作通りに不恰好で赤毛で理屈っぽい痩せた女の子だった。ちょっと暗めな予告を何度か見るうちに視聴の意欲が失せた。日曜深夜は宮崎駿監督の「未来少年コナン」の再放送を楽しみにしている。それで、NHKにチャンネルを合わせて、仕事をしながら前番組「赤毛のアン」の音声を聴きながら「未来少年コナン」を待った。
しかし意外に、今回の「赤毛のアン」は良質で、すぐにその魅力にはまってしまった。ドラマは当時の孤児院育ちへの偏見が余すことなく描かれていて、今までの同ドラマとは異質で深みがあった。殊に、優しく寛大で、時には強靭な意志を示す、義父役のマシュー・カスバートが良かった。彼は作者モンゴメリの理想の熟・老年像なのかもしれない。
女性が語る男の魅力は説得力がある。私の母が終生尊敬し、たえず思い出を話してくれた江戸時代末期生まれの義理の祖父も、寡黙で優しく男らしい老人だった。私自身の老人の理想像は母の思い出話で形成された気がする。
一昔前、定年退職した男性が田舎暮らしを始めると、決まって、夫婦はお揃いのバンダナを頭に巻き、オーバーオールのジーンズを履いていた。夫の髪型は大抵長髪をまとめたポニーテール。妻はチリチリにした赤毛の長い髪。そのような80年代のヒッピー風俗を真似たリタイア夫婦を見ると恥ずかしくなった。
20年昔、私を招いた熟年夫妻は典型的なそのスタイルだった。彼は一流出版社を定年退職して、群馬山奥の山小屋で優雅な年金生活を始めていた。二人は私のために、近所のUターン若者たちを招いて、バーベキューパーティーを開いてくれた。二人が「ビューティフル、シンプルライフ」などと歯が浮くような乾杯を始めると、恥ずかしくて、その場から逃げ出したくなった。それは当時の彼らが思い描き、憧れていた老後の生活スタイルだった。それから長い年月が過ぎた。今二人は普通の年寄り夫婦に変化して、安心して付き合えるようになった。
若い頃仕事で、下町の中小企業の社長たちに大変に世話になった。
ある日、床屋に行ってから、生粋の東京育ちの社長を訪ねた時のことだ。
「床屋で今あたってもらたと見えるのは野暮だよ。纏められた髪に手ぐしを入れて、少し崩すのがいいんだ」
その一言を聞いて、お洒落の真髄が少し理解できた。以来、新品の服は4,5回屈伸運動をして少し型崩れをさせてから出かけた。新品の靴は1ケ月ほど普段ばきして、足に馴染んでから、よそ行きに使った。
しかし、ハットだけはとても難しかった。
よく、新品の高級パナマ帽を大切に被っている人がいるが、これはダメだ。
2,3ヶ月間、普段に被り続けてパナマを日焼けさせ、顔に馴染ませてからお洒落に使うと似合うようになる。もっとも、私がハットを何とかこなせるようになったのは、60歳を過ぎてからだ。その歳になって初めて、ハットは人生の疲れが顔に滲み出ないと似合わないと知った。私見だが、名画「カサブランカ」のハンフリー・ボガードのハットは理想に近い。
先に麻生元総理に触れたが、彼の評判のハットはツバが1,2センチ広すぎる。彼が好んで使う幅広ツバは、彼の身長があと10センチ高いか、胸板が10センチほど厚ければ似合う。彼の周りが本当のことを話してくれないので、幅広を使っているのかもしれない。ちなみに、トップの形は顎の形に合わせる。顎が細い場合はつぼんだトップ、四角い顎は膨らみのあるトップを選ぶと似合う。
ハット以上に難しいのは男性用ストールだ。これは国産が少なく、ほとんどが欧州製でとても高価だ。銀座あたりで時折、ズポンの股を覆うほど長い高級ストールを、たなびかせて歩いている熟年を見かける。その長さでは小便で濡れてしまいそうだ。私は4,5万で買ったストールでも、長さを半分に切って縦に2等分し、4本に分けて使う。イタリアやフランス製には初めからそのサイズのものがあるが、日本にはとても少ない。平均的な体型の日本人は、それくらい細くて短めのストールをシンプルに結ぶとよく似合う。
30年前、細くて程よい長さの紺と焦げ茶の唐草を浮き立たせたベルベットのイタリア製ストールを銀座で買った。共にとても気に入っていたが、こげ茶の方を強風で飛ばしてしまった。以来、そのサイズで似ている品を探しているがた、いまだに入手できない。
長いストールは技巧を凝らして結ぶとちょうど良い長さになる。しかし、日本人が技巧を凝らすとキザになる。それは、ごつい体型の欧米人だから似合うのものだ。
意外に疎かにされているのは男性用化粧品だ。いつも4,5百万の高級時計をしている知人社長が使っていたヘアクリームは3千円ほどの汎用品だった。この程度の化粧品の香りが漂うと、高級時計が偽物に見えてしまう。使うなら、1,2万の高級品にすべきだ。
男性用オーデコロンに抵抗がある人は、髭剃り用ローションから始めると使いやすい。
高級時計で興ざめなのは、手擦れ防止のビニールを裏蓋に貼ったままにして使っている人だ。換金する時のためなのだろうが、意外に女性はそれに気づくものだ。
以上、外見のお洒落を書いたが、本当に大切なのは、その人の人生ドラマが垣間見えることだ。
添付画像は、以前、このプログに掲載した。
二人連れは埼京線車内で見かけた。話している会話で南米開拓二世だと分かった。屈強でおおらかな表情が魅力的で、車内の軟弱な日本人たちの中で目立っていた。二人は池袋に着くと、ホームで待っていた孫か姪らしいラテン系美女4,5人と、陽気に再開を喜んでいた。老年に差し掛かった二人の容姿からは強靭な人生ドラマが読み取れ、とても魅力的だった。この二人を見ていると、真のお洒落は生活の中で鍛えられた肉体にある、と思えてしまう。
お洒落は嘘をつくことではない。わずかな謎の部分を残したまま、本当の人生ドラマが率直に垣間見えることだ。
先に書いた、老マシュー・カスバートも、そのような男の美学を全うしていた。
「風とともに去りぬ」のバトラー船長も、作者マーガレット・ミッチェルが考えた熟年の超格好いい男だ。
どこか怪しくて、時には情熱をスカーレットに率直にぶつけ、いざとなると難局を腕力で突破していた。米国の一世代前の少女たちは、バトラー船長にお姫様抱っこされることを夢見たようだ。女性作者が描く理想の熟・老年の男たちは、どれも魅力的な人生ドラマを漂わせている。
以前、セミプロの老写真家と飲んだことがある。彼は若い頃は長身で育ちがよく、女性たちにももてたようだ。しかし、彼の言葉は過去の自慢ばかりで、相手をするのがとても疲れた。これは世間にありがちな老人の思い込みによる最低の美学だ。
垣間見える人生ドラマは、波乱万丈でなくてもいい。平凡でも誠実で清潔なら魅力的となる。
数年前、ロバートデニーロが演じる映画「マイ・インターン」を見た。彼は熟年になってから愛する妻と死別し、孤独な生活をしていた。70歳を迎えた彼は、広告を見てファッション通販会社の社長付きの秘書に応募した。社長は気難しい若い女社長だった。彼は背伸びはせずに、誠実に彼女に仕えた。若い社長はすぐに辞めさせるつもりだったが、サラリーマンとして経験豊富な彼の魅力に気づいて、深く信頼するようになった。
彼は抜群にお洒落なわけではない。いつも誠実にスーツにネクタイをした清潔な老年だった。男やもめの生活でも、掃除が行き届いた部屋、きちんと整理された調度品と衣服。その生活は隅々まで、多くの観客の心を捉えたはずだ。彼はいざとなると大胆な行動に出て難局を切り抜けた。そのような謎めいた部分も、彼の魅力を際立たせていた。彼の生き方とお洒落は、サラリーマン人生を経た老年の最高のお洒落だと思っている。
ドラマに登場する魅力的な老年たちは、どれも9割の嘘のない人生ドラマと1割の謎を感じさせる。
もし、自分の魅力を発揮したいなら、自分の人生ドラマを紡ぎ出し、それを堂々と演じきることだ。それができれば、老年は楽しく豊かに変化する。
蛇足だが、成功したベンチャー企業若手経営者などが質素なTシャツで過ごすことに賛辞がおくられている。その代表がスティーブ・ジョブスだろう。一般人はそれを誤解しないほうが良い。彼らは成功したから、それで通用しているだけだ。もし、彼らがお洒落に時間を費やすのが無駄だと思うなら、有能なスタイリストを雇えば解決する。
金持ちが贅沢して儲けを社会に吐き出すのは義務だ。贅沢品が売れれば、携わっている多くの職人さんやアーティストが潤い、文化が向上する。江戸文化もルネッサンスも、金持ちや権力者の贅沢で花開いた。
私見だが、現代の成功者の多くは美的センスが貧弱だ。だから、お洒落に頭を使うことが苦手なのだろう。
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