簡単で確実な蚊のやつけ方。遊園地の剥げたペンキと大音量のBGMは侘しい。令和2年9月7日
閉園する豊島園は若い頃、デートの下見に1度だけ行ったことがある。当時はディズニーランドはなく、豊島園は人気のある遊園地だった。私は遊園地は嫌いだったが、まだ若く、他にアイデアはなかった。
嫌いな理由は、ペンキが剥げてサビが浮き出てた鉄柵や、休むことなく流されている大音量のBGMにあった。それらは安っぽく、とても侘しい。下見に行った豊島園も同じ光景だったので、デート先から外し、横浜に出かけた。
当時の横浜中華街は二階建ての古い中華料理屋が並び、鄙びた情緒があった。料理も都内より2,3割は安く、若い私達には満足感があった。
それから山下公園を散策して、横浜大桟橋近くの古いレストランに入ってナタデココを食べた。まだナタデココがブームになるずーと昔で、当時のものは赤や緑に染めてあった。
それから20年ほど過ぎて、ディズニーランドが開園した。行き始めて驚いたのは、どこにもペンキが剥げてサビが浮き出ている鉄柵や、大音量の賑やかしのBGMがなかったことだ。自分が求めていた遊園地がそこにあったと感激し、以来ファンになった。
鉄柵のペンキが剥げてサビが出ている遊園地ほど侘しいものはない。サビには現実に引き戻す作用がある。だから、SF映画の名作では逆に、サビなどの汚れを使ってうまく演出している。SF映画「エリアン」などは、サビや漏水をうまく使ってリアル感を醸し出していた。
しかし、夢の世界へ誘う遊園地では現実感は不要だ。その意味でデイズニーランドの戦略はとても正しい。
それでも戦略の小さなミスはあった。
開園当時、まだ携帯はなかった。園内から電話をかけようとしたが、公衆電話がどこにも見当たらない。係員に聞いて探すと、奥まったところにNTTの普通の公衆電話が置いてあった。その時、現実に引き戻された気がして失望した。公衆電話だけはディズニー仕様にはできなかったようだ。
8月は酷暑続きで、深夜になっても30度を下回ることはなかった。
9月に入ってから台風余波で、東京の空は目まぐるしく変化する。お昼まで抜けるような青空から強い日差しが照りつけていても、午後3時あたりから黒雲が空を覆い激しい雷雨がやって来る。雷雨は長続きはせず、小一時間で止んで、大気を冷やして去って行く。だから深夜に、涼しすぎて目覚めるほどだ。
最近の散歩は隣の板橋区まで足を延ばす。
北区から板橋区に続く河岸段丘の自然林は心地よい。
涼しい夕暮れにはヒグラシが降るように鳴いている。
崖沿いの自然林の一角に小豆沢公園がある。崖から湧き出る湧水を使った細長い池があって、酷暑の日でも周囲より2,3度は低い。池の水は清らかで、蚊はほとんどいない。
右手は荒川とさいたま市南部。
この撮影直後、竜巻警報が出た。
黒雲は数分で広がり、気持ち良いほどの激しい風と雷雨がやってきた。
9月に入って連日、見事な積乱雲が見える。
8月より9月の方が夏らしい。
板橋区の小豆沢公園と比べ、いつも休む北区内の公園は蚊が多い。ベンチで休むとすぐに蚊の大群に襲われる。蚊は日差しが高い間は日陰で休み不活発だが、日が翳り始めると来襲する。長袖で腕を覆っているので、攻撃は手の甲と顔と首筋あたりに集中する。手の甲は殊に狙われやすく、3匹を一度で潰すことも多い。
大群と書いたが、実際はベンチから2,3メートルの周辺に潜んでいた20匹ほどだ。それより遠くは風の強さ方向に影響される。だから、丹念にやっつけていけば、ベンチの周辺から蚊はすぐにいなくなる。
東京の蚊は田舎の蚊と性格が違う。田舎の蚊は人を感じると真っ直ぐにやってきて躊躇なく刺すので、やつけやすい。しかし、東京の蚊は上下左右に目まぐるしく飛び回りながらやってくるので、よほどの達人でなければ空中でパチンと潰すのは難しい。
人にとまるときも、優柔不断に様子を伺ってからやっと刺す。数分躊躇している蚊は、もともと刺す勇気がない蚊なので放置している。
ベンチで休むのは蚊をやつけるためではない。音楽を聴きながら、絵や人生のことを考えるためだ。だから、チクリと感じた時だけ、その蚊を素早く潰す。蚊は口吻を一旦突き刺すと容易に逃げられない。その時、ぴしゃりとやれば逃すことはない。
最近気付いたのだが、蚊は見つめたり、手をかざすと素早く逃げる。どうやら自分を狙っている視線や手のひらを感じているようだ。蚊の目は複眼で、人のように正確に形を感じ取っている訳ではない。多分、手や顔の発する熱線をセンサーが感じて危険を察知するようだ。そこで、タオルを折りたたみ、それで叩くと面白いほど正確にやつけることができる。タオルは熱線を発していないので、蚊は気づかないのだろう。この方法なら、小さな子供でも蚊をやっつけることができる。
この方法で気をつけることは、タオルのパイルの間に挟まっている蚊はダメージがあまりなく気絶しているだけだ。だから、すぐに潰さないと目覚めて逃げられてしまう。
ちなみに、長年蚊に刺され続けた私は、刺されても赤くも痒くもならない。しかし、血を吸われるのは不快なのでやっつけている。
公園のベンチで一番不快なのはアリだ。様々なアリが地面を走り回っているが、大きくて黒い山アリは、体に這い上がって来る事はほとんどないので無害だ。しかし、小型の赤アリは肉食で凶暴だ。ズボンの裾からぐんぐん這い上がって来て、ふくらはぎあたりに無闇矢鱈と噛み付く。小さな体だが、その攻撃は不快で、いつまでも痛痒く、赤い腫れがしばらく残る。それで、ベンチで休む時はズボンの裾を靴下の中へ折り込むことにしている。それで大体は防げるが、靴下の網目から攻撃するアリもいるので、気をつけている。
NHKに「ノーナレ」と言う番組がある。
先日は歌舞伎町を撮影していた。その中で、恰幅のいい熟年男性が無料でマスクを通行人に配っていた。彼は路傍で休んでいるホームレス男性にもマスクを手渡して「元気でな」と声をかけていた。
いい光景だと思った。ホームレスの人も、彼の気持ちに感謝していた。そして皮肉ではなく、手渡している男性も爽やかな気分だったはずだ。親切は、される人もする人も、それを眺める人も、気持ちを暖かくさせる力がある。
ネット上では、新型コロナ禍の主因はマスコミにあると周知され始めた。地方で村八分的な差別が横行しているのは、恐怖を煽り続けたテレ朝の玉川岡田コンビニに大きな罪がある。
「PCR検査で陰性なら大手を降って街を歩けるわけで、それで経済は活性化するはずだ」
それが彼らの言い分だが、今日陰性でも明日陰性である保証は全くない。彼らの考えなら、高額な検査を毎日受け続けなければならない。さらに問題なのは、陽性者の隔離だ。もし彼らの言う通りに全員検査を実行したら、無症状の陽性者による医療崩壊が起きる。
もう一つの問題点は、発症させない方法がソーシャルディスタンス、手の消毒、マスクに、限られていることだ。普通の風邪なら、それらの基本的な措置に加え、感染しても発症させない方法が昔から多数ある。例えば、風邪のひき始めは、消化の良い栄養のあるものを食べて、暖かくして休む。それで、発症はほとんど防げる。それは新型コロナも同じだ。暴露したと思ったら、風邪への対処と同じにすれば、発症せずに済むはずだ。しかし、専門家の発言は極端で、まるで暴露したらそれで終わりみたいな話ぶりだ。
私は流感と同じように対処している。
もし、新型コロナに暴露したと感じたら、イソジンでうがいをして、葛根湯を飲み、ゆっくり休む。それで、免疫がつき、発症もしないはずだ。暴露したと思ってもすぐに病院へは行かない。行けば、何でもないのに、本当に感染させられてしまうかもしれないからだ。
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