酉の市、コロナ禍に憂深し。アメ横で、若返り効果があるシナモンパウダーを買った。令和2年11月27日
昨日26日は酉の市の三の酉だった。
仕事を抱えているので、お詣りを早く済ませて早く帰りたい。1時半に急いで昼食を終え、2時に家を出た。素晴らしい好天で暖かい。
王子から都電三ノ輪線に乗車。車内は空いていたが、腰掛けず、運転手の斜め後ろに立って風景を眺めた。50年眺め続けた沿線風景だ。昔は、荒川区の低い家並みが続いていたが、今は小さなビルが増えた。乗客の老人同士の会話に、下町の雰囲気が漂っていた。
車窓の荒川車庫の引き込み線に「銀座行き」と表示された"一つ目"の都電が展示してあった。上京したての頃の東京には、その形式の都電が至る所走っていた。
終点三ノ輪駅にのめり込むように停車した。
下車ホームに隣接した喫茶店は、昔と変わずクラッシックな佇まいだった。
三ノ輪駅の旧梅沢写真会館のクラシックな建物のアーケードを抜けると日光街道。バブルの頃あたりまでアーケード両側に焼き鳥屋などが並んで、昼間から酔客で賑わっていた。今は暗くシャッターが閉まったままだ。日光街道へ出ると熊手を抱えたお詣り帰りの人に出会うはずだが、全くいない。今日は三の酉ではないのでは、と不安になった。
日光街道の常磐線のガードをくぐり少し行くと、十字路角に地下鉄日比谷線三ノ輪駅入口。その前の横断歩道を渡っていると、初めて熊手を手にした人とすれ違って安堵した。その辺りから雑貨を扱う小さな問屋が並ぶ。例年、酉の市には特売をしていて、安物の双眼鏡を買ったことがある。しかし、今年は安売りの張り紙もなく、ひっそりとしていた。
日光街道から国際通りへ分かれると露店がびっしりと並び始めるはずだが、とても少ない。
最初に出会ったベビーカステラの店から、甘く香ばしい香りが漂っていた。
「今年は、店を出さないかと思っていた」
「働かない訳にはいかないから、仕方がないわね」
馴染みらしい女性と女店主が話していた。
その店を過ぎると、しばらく露店は途絶えた。
龍泉の町名表記の傍に一葉記念館の案内標識がある。そこから国際通りを左折して裏道に出て100mほど行くと飛び不動。別名飛行神社で航空関係の参拝の多いお不動様だ。極めて異常な航空不況のせいか、境内はひっそりとしていた。
お詣りの後、再度、国際通りへ戻った。例年なら、分かれ道の駐車場にテント張りのテーブル席が設けられ、客で混雑している。今年は、露店は数軒のみだけだった。
国際通りに出るとすぐに鷲神社の入り口まで長蛇の列のはずが、今年は行列がない。その代わり、入り口で体調を書類に記入させられた。
鷲神社本殿前。ほとんど待たずにお参りができた。
例年なら、立錐の余地もないのに、こんなに少ない参詣者は初めての経験だ。
お守りの熊手をいただいた後、隣の長國寺をお詣りする予定だが、コロナ対策のため、振り出しの国際通りへ大回りさせられた。再度、長國寺入り口で体調確認の書類に記入して、こちらのお詣りも終えた。何であれ、今年もお詣りできて安堵した。
鷲神社と長國寺が並んでいるのは神仏習合の名残だ。巫女さんは長國寺の方がやや可愛い。
境内の熊手市は冴えなかった。
熊手が売れても、小声の掛け声に、三本締めの音だけが大きく響いていた。
売り場のもの陰で、大柄で小粋な鳶の若者が背中を丸く小さくして電話をしていた。
「・・・ありがとうございます。おやっさんも、くれぐれもお身体をお大事にお過ごしください」
電話相手は古いお得意さんらしい。義理堅い丁重な口調が下町らしかった。
長居はせずに境内を出た。
例年なら、境内近辺に切り山椒と芋羊羹の出店があるのに、一軒もなかった。
すぐに都電三ノ輪駅へ引き返す予定で家を出たが、それでは寂しすぎる。
例年通り浅草の観音様へ向かった。
露店はこちらのコースもとても少ない。
去年までは海外からの観光客が大勢来ていたのに、今年は皆無だった。
旧吉原の複雑な道を少し迷ったが、由緒ありげな小さな神社やお堂に出会えるので楽しかった。
スカイツリーを目標に歩いていると自然に千束通りに出た。
歩き慣れたコースだ。浅草ひさご通り商店街、花やしき通りを経て、浅草寺裏から境内へ入った。
こちらの参拝者も、例年の3分の1以下だ。
浅草寺本堂の天井は修復中で足場が組んであり、天井絵が見えないのが残念だった。
本堂から壮麗な本蔵門。
本堂前は、いつもなら大混雑している。
静かな仲見世。
レンタル着物姿の若い女性が多い。
どの子もとても可愛い。
伝法院通り。
スカイツリーと月と旅客機。
雷門と着物姿の女の子。
今年は白っぽい着物が流行のようだ。
雷門前では、手持ち無沙汰に人力車が何台も客待ちしていた。
「お兄さん。人力車いかがですか」
人力車斡旋センターの女の子に声をかけられた。
周りを見回したが、声をかけた相手は私のようだ。
「お兄さんじゃなくて、おじさんだろう」と思いながら、手を振って断り、地下鉄浅草駅へ急いだ。
マスクはほうれい線を隠すので男女共、年齢不詳にしてしまう。
街を歩いていると、ハッとして振り返ってしまうマスク美人が増えた。
マスク美人を取り上げたネットが、差別だと炎上していたが、コロナが終わればがっかりする人が続出しそうだ。
上野に出て、アメ横の"二木の菓子"でベトナム・中国産、業務用シナモンパウダー100グラム袋340円を買った。ベトナム・中国産はクマリンの含有量が多い。それで、クマリンを全く含まないスリランカ産シナモンパウダー等量とよく混ぜて使っている。
スリランカ(セイロン)シナモンパウダーは"二木の菓子"には売っていない。SB食品通販サイトからから有機シナモンを取り寄せているが、シナモンの皮をくるりと丸めたステック状の品ならどこにでも売っている。
クマリンは血液やリンパ液の循環を良くし、脳梗塞や心筋梗塞を防ぐ。
しかし、許容量があり、摂りすぎると副作用を起こす。
2種を混合したシナモンを1日にスプーン1杯以内の摂取なら許容範囲だ。
シナモンは水には溶けにくいが、本みりんには簡単に溶ける。
私はスプーン一杯のシナモンを溶かした本みりんを、豆乳に加え温めて飲んでいる。
効能は毛細血管を増強増量し、肌・筋肉・内臓・全身が若返る。
シナモン若返り法へのリンク
ガード下の飲み屋街は程よく混んでいた。
いつものアメ横が少し戻って、何となく安堵した。
報道のように、大騒ぎしている者はいなかった。
タイ料理の店。
外テーブルの色鮮やかなガラス細工の水パイプに異国情緒を感じた。
上野駅・高崎線のホームベンチで、出稼ぎらしい、若く素朴なカンボジア人カップルがおにぎりを食べていた。女性は男性の口元を拭いて甲斐甲斐しく世話をしていた。遠い異国でも、二人なら寂しくないだろう。
高崎線で一気に赤羽へ戻った。
6時半に帰宅。
軽い疲労を覚え、15分ほど仮眠をとってから夕食。とても美味い。
体調はとても良く免疫力は十分だ。コロナ感染はないだろう。
夕食後、ぼんやりとテレビを見てから仕事に取り掛かった。
テレビは相変わらず印象操作をやっている。
新橋深夜風景では、マスクなしで騒いでいる若者たちを撮っていた。
地方の人が見たら、東京人は無秩序に感染を広げていると思うだろう。
実際は、そのような若者たちはとても少ない。
ほとんどの人はマスクをして、夜の店で飲むのを控え、足早に帰宅している。
アメリカンホームから交通事故保証期間満了の通知が来ていた。
契約したのは25年前だ。掛け捨てで安かった。
満了まで生きていないと思っていたのに、無事に満了したのは幸せだ。
みのもんたがアルツハイマーで終活に入っていると言っていた。
この病が発症すると表情筋がこわばり、表情が乏しくなる。
それは、彼の仕事では致命的で、引退を決意したようだ。
彼は私より5ケ月年長。
華やかな壮年期を過ごして、総資産50億。
悔いのない人生だろう。
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