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2021年1月16日 (土)

今日の誕生日に思うこと「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」2021年1月16日

今日は朝から好天。南風で最高気温は20度近くまで上昇した。
明日は北風に変わり、最高気温8度近くまで下がるようだ。
午後3時半、散歩前に誕生日記念の写真を自撮りした。
70歳を過ぎたあたりから、誕生日に自撮り写真を掲載するようになった。
生前葬として遺影のつもりの自撮りだ。
次の誕生日を迎えられる自信はない。
散歩帰りの夕暮れには急激に寒くなるので、コートを羽織って家を出た。
外に出ると川風は冷たかった。
それでも春は近い。
嫌なことを忘れ、のんびりと桜を見上げたいと願っている。

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昔、撮りためた銀塩写真から、昭和レトロの風景を探しているが、意外に少ない。その頃は美しさを基準にして、雑然とした生活感を排除して撮っていたからだ。今、振り返りたいのは平凡な生活感が溢れる画像だ。テーブルに置かれた使い慣れたお皿やお菓子の袋。新聞や広告ビラ。母の薬袋。昔、捨ててしまった旅行土産の木彫り人形。それらを古い写真の片隅に見つけると、切ないほどに懐かしくなる。歳を重ねるにつれ、昔の平凡な生活雑器の画像が心に染み入る。流行りのインスタ映え画像など、懐かしさの感動を生み出しそうにない。それは、虚しいだけの画像だ。

若い頃は、この歳ほどに生きるとは思っていなかった。60過ぎたあたりで、癌になって死ぬと思っていた。だから、老後の設計はしてこなかった。死については、今は若い頃ほどに悩むことをやめた。歳を重ねるにつれ、死は考えても無駄なものだと分かってきたからだ。
数年前まで、シャワーを頭から浴びていると、突然に死のイメージに襲われて息苦しくなった。ある時、それは子供の頃、溺れかけた記憶によるトラウマだと気づいた。

小学4年生の夏休み、郷里の海水浴場の沖合を泳いでいる時のことだ。突然に溺れかけた高学年の子にしがみつかれ、私も溺れかけた。その辺りは水深3メートルほど。咄嗟に私は、年長者たちから教わっていたことを思い出した。それは、相手に逆らわず、あえて海底へ沈んで行くことだ。実行すると、相手はしがみつくのを止め、私から離れて行った。
解放された私はそのまま沈んで、海底の砂を思い切り蹴って水面へ浮き上がった。
その時、近づいてくる水面上の歪んだ青空と白い雲を今もはっきりと覚えている。その時、とても苦しかったはずなのに、不思議なほど息苦しさは無かった。水面へ飛び出て、激しく息をしていると、黒いタイヤチューブの浮き袋に乗った知らない子が近づいてきた。それは臨海学校に来ていた子供たちだった。もみ合って水中に消えた私たちを目撃して、助けに来てくれたようだ。

帰宅して溺れかけた経緯を母に話すと、母は激怒した。すぐに私の手を引いて、溺れかけさせた男の子の家に怒鳴り込んだ。泳げない年長の男の子が年下の子にしがみつくなど、とても恥ずかしい行為だった。その家は母子家庭だった。母親は青白い顔でうつむいている男の子を傍らに立たせたまま、ひたすら母に謝っていた。
その事故はトラウマにならず、私はそれ以後も、毎日海へ出かけ、終日、海で遊んでいた。しかし、本当は心の奥底でトラウマになっていたようだ。それは、60数年後のシャワーで蘇った。顔面を流れ落ちる薄い水流の中で、突然に死の恐怖がよぎった。それくらいの水で息苦しくなるはずはないのに、実に嫌な、永遠に暗い独房に閉じ込められるような不安感に襲われた。

そのトラウマから解放されたのは、友人の臨死体験を聞いたことがきっかけだった。
友人は鉄棒から落ちて頭を打ち、頭蓋骨内に出血し、極限に近い夜昼ない激痛に苦しんだ。血腫は手術ですぐに取り除かれていたがいたが、容態は日に日に悪化して「もう治療方法がない。命の保証はできないので覚悟してほしい」と医師は匙を投げた。しかし、奥さんは諦めず、意識不明の彼を自宅に連れ帰り、親身に介護した。特別の治療は何もしなかったが、自宅へ戻ると奇跡的に回復し、彼は完全に社会復帰できた。
後日、意識不明になっていた頃の記憶を彼に聞くと「とても静かで安らかな世界にいた」と答えた。以来、死は暗いものでも光に満ちたものでもなく、透明で平和で静かな世界だと思うようになった。

「死は闇に閉じ込められることではない。肉体から解放された魂が、全ての障壁を突き抜けて解放されることだ」
私はそう思った。今は、死によって肉体から解放された魂があらゆる障壁を突き抜け、青空を自由に舞い飛ぶ姿を想像している。そのイメージによって、シャワーで蘇った死への暗く閉鎖的なイメージは払拭され、トラウマは次第に消えて行った。

哲学者ヘーゲルの有名な言葉に「ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する」がある。なんとなく高い教養があって、かっこいい言葉だ。知恵と勝利の女神ミネルヴァに傅いているのがフクロウだ。この言葉には、時代が終わりそうになってから初めて知恵が出て来る、との意味がある。
人も人生の終わりが近づいて来ると、良い考えが思い浮かぶ。前記の魂の解放については良い考えの方だ。しかし、新しい計画については逆だ。素晴らしいアイデアは次々と思い浮かぶが、実行する体力も時間もない。忸怩たる思いのままに終末期を迎えそうだ。だから最近、迷いが増えた。一つに生き方に絞りたいがとても難しい。思いあがき、焦っているうちに年月だけが猛スピードで過ぎて行く。
そのような思いから、今年の年賀状の言葉に、老子の「道の道とすべきは、常の道にあらず」を選んだ。
人生を巧く終えようとするのは間違っている。常識的な向上心を排除して、自然に心が赴くままに生きれば、それが一番幸せだ、と思うようになった。

テレビで語られる話題は新型コロナばかりだ。「PCR検査を増やして陽性者を完全隔離すればウイルスは激減する。その間にワクチンを大量投与して集団免疫を作り、解決させる」医療関係者が語ることはどこを切り取っても同じキンタロー飴だ。
それに対してウイルス学者の意見は少し違う。人々がウイルスに暴露しなくなると、ワクチンや感染で得た新型コロナに対する免疫が薄れ、再感染が起きやすくなる。コロナウイルスの絶滅は不可能で、そのような無駄はやるべきではない。むしろ、常に薄くウイルス暴露をし続けることで免疫は維持され、流行は自然収束する。

大衆が抱く不安の90%は実際には起きない。マスコミが煽り続ける不安も同じだ。これから3,4年後、コロナ禍が冷静に検証された時、今行われている対策やマスコミの言動全てが批判されるだろう。
前々回記入したように、とりあえずは初期症状の段階で完全に抑え込み、感染しても発症させないことが現実的だ。ゾクッときたら即座に仕事を休み、栄養をとり、葛根湯を飲んで暖かくして休む。職場の上司は部下に無理をさせて働かせない。友達同士では風邪気味の者を遊びに誘わず、もし風邪気味だったら無理やり家へ帰す。それだけで発症者は激減する。

何もしない政府は無能だと世間は思っている。しかし、ウイルス学者たちは、何もしないことが正しい対処方法だと言っている。その逆に、入院勧告に従わなかったら、懲役か罰金との新法案が決まるかもしれない。それはとんでもない暴挙だ。風邪をひいたら逮捕と言っているのと同じ発想だ。
慎重に生活して、それでも風邪を引いたら、無理せず休む。それを世間が実行したら、経済を止めることなく感染爆発は自然に収束する。人は何らかの不調を起こして必ず死ぬ。どの病でも、死に至る期間はとても苦しい。ことさら新型コロナが特別なわけではない。
人類史の中で人々はウイルスと共存してきた。ウイルスを人智で押さえつけてやるなど、傲慢不遜だ。新型コロナウイルスの実態はまだ解明はされていない。人類はウイルス由来の遺伝子を50%持っている。もしかすると新型コロナによって、人類は役立つDNAを得ている可能性だってある。暴挙を行うより、何もしない政府のほうがずっといい。

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