日本の産業は、利潤は小さくても日本人に合った幸せをもたらす。2021年4月4日
幸せは心地良い生活にある。収入は、時折、旅行へ出かけられ、少し美味しいものが楽しめるだけあれば十分だ。老いれば体は弱り病気になる。しかし日本では、健康保険のおかげで医療費の心配はない。貧富にかかわらず、等しく高度医療を受けることができる。国民にとって、これほど幸せなことはない。日本経済が目指す方向は、それらを破綻させないことにある。もし、日本人気質に合わない不自然な方針をとれば、角を矯めて牛を殺すことになる。
日本の世相は先進国中でダントツに穏やかだ。
声高に主張せず、常に他人に配慮する民度の高さは、海外からも評価されている。
ことに今回のコロナ騒動で、それは明快に証明された。
日本政府と医療システムはうまく機能していなかったにも関わらず、日本の新型コロナ感染者と死亡者数は、初めから欧米が目指している数値を維持してきた。この1年、欧米では平年を上回る超過死亡者が生じていたのに、日本では逆に減少した。この数値は欧米のマスコミや医学界に驚きを持って受け止められた。
日本のコロナ対策では、欧米や中国のような厳しい都市封鎖はなされなかった。日本では、コロナ禍が一番厳しい時でも、スーパーでの買い物も電車への乗車も、都市間の移動も自由だった。欧米や中国、韓国、台湾のような違反者に対する厳しい罰則はなかった。それでも今の数値を維持できた。それは、政府が自重緊縮を訴えるだけで、国民が自覚して行動できる民度の高さによるものだ。今、欧米の識者たちは、自由を保ちながらコロナ対策の効果を上げた、日本の民度の高さを評価している。
欧州の優等生ドイツに在住する邦人によると、現地では朝から夜まで、メルケル政権とマスコミは厳しく自粛を訴え続けて、国民の精神状態は限界まで追い詰められ、暴発寸前にある。
対して日本は自由だ。先日、中央官庁の職員が深夜まで送別会をして、集中砲火を浴びていたが、日本のコロナ禍は、本当はさほど深刻ではないと認識しているからだろう。医師会がコロナ病床が逼迫していると、1年前から言い続けているに改善しないのは、本当は逼迫していないからだろう。日本の医師や看護師のモラルは先進国中でトップクラスだ。本当に危機的状況だったら、我が身を捨てて公に尽くしていたはずだ。
欧州人は自国本来の民度は日本に劣らないと思っている。しかし、長年の移民政策が、伝統的な民度を崩壊させてしまった。EUでは、安価な労働力確保のために、安易に移民を受け入れてきた。その結果、伝統的なヨーロッパ文化は壊れ、社会不安が増大した。欧州人の多くは、今回のコロナ禍は多人種国家に原因があると考えている。
旧植民地や貧しい東欧諸国を助けたいなら、安易に移民を受け入れてはならない。その国を援助して、産業を育成させることが本当の援助だ。どの国の国民も、苦労の多い出稼ぎより、自国が発展して自国で就労することを望んでいる。
日本にも一つの県ができるくらいの海外からの出稼ぎ外国人がいる。コロナ禍中の赤羽でも、アジア系の外国人はとても多い。
欧米と日本の決定的な違いは、日本ではモラルを守っていれば、さほどの差別を意識せずに暮らすことができることだ。
私が住む公営住宅にも、アジア系の外国人家族が数組入居している。昨日、出かける時、先に外出しようとしていたバングラデシュからのムスリム家族の夫人が、一階ラウンジの外ドアを開けて笑顔で待っていた。ムスリムの妻が夫の傍らで、他の男を笑顔で手助けをすることは、厳しく律せられるにも関わらずだ。そのように日本では、モラルさえ守れば、ほぼ差別なく暮らすことができる。しかし、欧米ではモラルを身につけても、有色人種や異教徒への差別はとても根深い。穏やかな世相の、欧米と日本の差はそこにあるようだ。
「失われた20年」は嫌な言葉だ。
陰陽思想では、どのような状況でも一方的に失うことはない。失うものがあれば、得られるものがある。反対に、得るものがあれば失うものがある。「失われた20年」で得られたものは、穏やかな安らぎだった。
それ以前のバブル期に私はとても潤っていた。今なら楽に1ケ月生活できるほどのお金を、一晩で遊びに使っていた。思い返すと、あのお祭り騒ぎは薄っぺらで嫌悪感を覚えるほどだ。
この20年でGAFAは世界の富を独占し、中韓の安価な大量生産製品は隆盛した。それに対し、異常なほどに高品質を追求し続けた日本製品は衰退した。日本人は職人気質で、一つのものをとことん追求し改善することが得意で大好きだ。その反対に、気軽に欠点だらけの新製品を強引に売り出すことはとても苦手だ。もし、のような安易な生産をしいられたら、苦痛を感じるほどだ。
それでも日本は生き残った。それは、高品質の素材、工作機械、電子部品などの世界的な産業が多数あったからだ。地震などの災害で、それらの一つでも停止すると、世界の産業が大混乱するほど影響力は大きい。それほど重要であっても、他国が力を入れないのは、地味すぎて大きな利益をあげられないからだ。地道にコツコツと完璧さを追求するもの造りは、日本の職人気質にとてもよく合致して幸せさえ感じる。
その端的な例がエンゼルスの大谷翔平選手だろう。彼は大リーグでも秀逸の才能だったのに、安い年俸を受け入れ嬉々としてプレイしていた。彼の目的は大リーグでのプレイで、収入はどうでも良かった。そのような仕事への姿勢は、日本人特有のものだ。私も同じで、先日、注文絵を完成させたが、どうしても気に入らず、納期を半月伸ばして、始めから描きなおしている。
日本企業は利益を度外視して、ものつくりに熱中し過ぎて国際競争力を失った。経済アナリストたちは、そのような気質を改め、海外メーカーと同じように、少々手抜きしても、素早く対応できるべきだと主張している。しかし中韓が得意な、コモディティ化した大量生産は不安定だ。中国や韓国は、インドや東南アジアやアフリカ諸国に、やがて追いつかれ追い抜かれてしまうだろう。「アフリカが?」と疑問に思う人は多いが、それがAIによって起きるシンギュラリティの一面だ。
対して、日本のガラパゴス化した産業が海外から追い抜かれるのは、当分は起きそうらない。日本が慌てて、職人気質を捨て、中韓と同じ土俵で競う必要はない。世界では稀なガラパゴス産業を維持しているからこそ、今も日本は生き残ってきた。利益は少なくても、ものづくりの幸せを味わえるなら、それで十分だと多くの日本人は考える
「日本再認識」のユーチューブをよく見る。
海外旅行者たちが語る日本の文化。優しい気質。美味しい食べ物。どれも、日本人のとことん追求し改善し続ける気質が生み出したものだ。
中国からの若い女性旅行者の語ったことが心に残っている。彼女は、北京は東京以上の大都市だと思っていた。しかし、東京へ来てみるとまるで違っていた。北京では1時間電車に乗ると郊外風景が広がるが、東京は延々と都市風景が続く。京浜東北線で宿のある横浜へ向かった車窓も、切れ目なく秩序と清潔さを保った都市風景が続いていた。
東京の人口は1300万だが、実際は神奈川・東京・千葉・埼玉と繋がった、総人口3000万を超える超巨大都市だ。それが精緻に進化したインフラで繋がり、秩序が保たれているのは世界の驚異だ。
彼女は子供達の平和で楽しげな登下校風景にも「アニメで見た世界と寸分違わず同じだった」と感動していた。通常の映像文化では、現実は美化され、現実にあり得ない光景が描かれている。殊に韓流がそうで、歴史物も現代物も歴史の事実と大きくかけ離れ、架空の夢物語が描かれている。
その記事を目にして以来、海外旅行者の気分で東京を眺めるようになった。
先日の散歩中、下校する小学生たちが、交通整理ボランティアの年寄りたちに挨拶して横断歩道を渡っていた。歩道を行く自転車の老人が、追い抜くときに避けてくれた小学生たちに「ありがとう」とお礼を言っていた。
日本では当たり前の風景に、本当に平和で穏やかな国だと感動してしまった。
荒川、岩淵水門。
岩淵水門近くの土手の桜と芝桜。
近隣の町工場で働く、ベトナム人のグループが楽しそうに宴会をしていた。
対岸、川口の高層マンションと河川敷の桜。
近所の桜
荒川河川敷の実生の山桜と旅客機。
病院庭の桜。
幼木から約20年。今は立派な成木に成長した。
モリコーネの「デボラのテーマ」を聴きながら花見をしていると、走馬灯のように過ぎてしまった日々を思い出してしまう。
緑道公園の夜桜。
桜はあっという間に散ってしまった。
今も桜を夢のように思い出して、喪失感に囚われている。
「いこい」
お客は山の狐だけ。
狐はお金代わりのどんぐりで飲み物を買っていた。
海外からの旅行客が、夜の田舎道にポツンとある自販機から「いらっしゃませ」と声をかけられるとホッコリすると話していた。
東京の夜の静かな道で、自販機が一生懸命に点滅しながら客待ちしている姿はとても健気だ。
テレビを点けると「北の国から」をやっていた。
3月24日、88歳で老衰で亡くなった田中邦衛を偲んでの放映だ。
画面は夜の黒板家の自宅シーン。
田中邦衛が扮する黒板五郎は暗く呑んだくれていた。
そこに五郎の息子・黒板純の友達の女の子が風力発電について書かれた本を届けにきた。
楽しげなやりとりを済ませて帰りかけた女の子を酔っていた五郎は苦々しげに呼び止めた。
「農家は助け合うものだ。
俺の爺さんたちは、お前の爺さんが困っていた時、みんなで助けてやった。
だけと、お前の親父は今、困っている仲間を助けようとしない。
帰ったら、親父にそのことを伝えておけ」
純は五郎の言葉に怒った。
「親の諍いは、子供には関係ないだろう」
純は言い放つと、夜道を悲しげに帰って行く女の子を追いかけた。
「北の国から」は都会育ちの倉本聰の台本だ。
このシーンのやりとりは、田舎育ちの私には納得できない。
私が子供時代を過ごした南九州の漁師町で、父は事業に次々と失敗して周りに大変な迷惑をかけた。
しかし、「お前の父親にひどい目にあった」と、子供だった私に嫌味を言う大人は一人もいなかった。
だから、のびのびとまっすぐに子供時代を過ごすことができた。
「北の国から」の舞台の北海道でも、それは同じだと思っている。
真っ当な田舎では、関係ない子供に大人世界での嫌味を言うことはしない。
私は大ヒットした「北の国から」を、一度もきちんと見ていない。
それは、上記のような違和感のせいだ。
違和感は、都会育ちの倉本聰の、田舎の捉え方にあったようだ。
田中邦衛はとても好きな役者だった。
加山雄三の若大将シリーズで、青大将役の彼は本当に楽しかった。
心から、ご冥福を祈っています。
| 固定リンク