« 日本に統治されて、感謝の台湾と憎悪の韓国。その原因は。2021年7月17日 | トップページ | 東京オリンピックのフェイクニュース。「天城越え」「映像の世紀・パリは燃えているか」優れた音楽は真実や情熱を蘇らせる。2021年8月3日 »

2021年7月24日 (土)

TBSドラマ「高校教師」繭役・桜井幸子が演じた少女と死生観。2021年7月24日

名作「高校教師」がBS-TBSで再放送された。
ドラマが大ヒットした1993年の頃は全く興味がなかった。それから数年後、TV-CM用の動画を受注した。それは1週間で300枚以上のセル画を描く過密スケジュールだった。セル画といっても、線画に色を入れる通常タイプではない。私の技法・ハンチングで彩色陰影をつけて描く、大変な作業だった。
その頃、「高校教師」の再々放送をしていた。それで全編を録画し、眠気防止に再生しながら仕事をした。日に20時間以上仕事をしていたので、高校教師全編を数十回は繰り返して見たことになる。おかげで仕事が終わる頃は、セリフの殆どを記憶してしまった。

BGMには、すでに一般から忘れられ始めていたシンガーソングライター森田童子の曲が使われ、再脚光を浴びた。それもドラマを大ヒットさせた要因の一つだと思っている。脚本は当時ヒットを連発していた野島伸司。当時は今ほど脚本へのしばりがなかった。街中・職員室での喫煙シーン。教師と女生徒とのセックス。同性愛。女生徒への教師のレイプ。父娘相姦。教師同士のセクハラ、パワハラ。教師の暴力。これは元ボクサーの赤井英和演じる体育教師が英語教師役の京本政樹に対して、迫真の演技をした。さらに自死や殺人未遂と、禁忌事項のオンパーレードだった。このような内容でも、普通に放映できたことに驚く。この内容では、今は地上波での再放送は絶対に無理だ。このドラマをきっかけに、レイプ事件が起きた視聴覚室などに、先生が篭ることが禁止された。しかし、映像文化は、インモラルなしでは成り立たない。映像作家にとって、今は不毛な時代になってしまった。

最終話のサブタイトルは「永遠の眠りの中で」。だから、一般では二人は死亡したと思われていた。しかし、ドラマ中に、明快に心中を示すものもなく、今も謎が残るラストとなってしまった。私は最後の列車の中で、繭の腕が肘掛からストンと落ちた画面で、死を確信した。後年、母が死んだ時も、母の腕はあのように落ちた。
最後の重要シーンは何故かカットされている動画が多い。
BS-TBSでの再放送はどうだったのか見ていないので分からない。

最終話は視聴率33%を記録した。放映終了後に「二人はどうなったのだ。生きているのか、死んでいるのか」の問い合わせを予期した局は、電話対応係を30人以上用意した。しかし、予想以上に大量の電話が深夜まで殺到し、電話はパンクした。
脚本の野島伸司は「みなさまが自由に想像してほしい」と、今も二人の生死を明らかにしていない。だから、30年近く過ぎた今も、生死論争は続いている。

二宮繭役は、始めは観月ありさが予定されていた。
しかし、所属プロダクションが、売り出したばかりの彼女にそのような汚れ役はやらせられないと反対した。それで前年、NHKの朝の連ドラ「おんなは度胸」のヒロイン役を終えたばかりの19歳の桜井幸子に決まった。
「高校教師」の配役は、今思うと大成功だ。
30年近く前のドラマが今も人気があるのは、配役の的確さによるものだ。

生物教師・羽村隆夫32歳、真田広之
女生徒・二宮繭17歳、桜井幸子
体育教師・新庄徹33歳、赤井英和
英語教師・藤村知樹32歳、京本政樹
女生徒・相沢直子17歳、 持田真樹
繭の父親で彫刻家・二宮耕介48歳、峰岸徹
婚約者の父親で教授・三沢祐蔵、小坂一也

上記のように、演じた役の年齢は、出演者たちの実年齢に近い。
その後、彫刻家で繭の父親役の峯岸徹氏は65歳で、2008年4月肺がんで逝去された。
羽村先生が属していた研究室の教授役・小坂一也氏は、1997年11月1日62歳で逝去された。
BGMのシンガーソングライター森田童子氏は、2018年4月24日66歳で逝去された。彼女はマスコミに一切登場せずに、私生活の謎を秘めたまま亡くなった。

繭役の桜井幸子氏はその後、野島伸司脚本のテレビドラマの常連となって人気はさらに上昇した。
1994年「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」1995年「未成年」と野島三部作すべてに出演したが、私は見ていない。
それ以後も、1997年連続ドラマ「友達の恋人」、2009年の連続ドラマ「コンカツ・リカツ」などに主演した。
その間、2003年2月20日に、音楽プロデューサー・田中聡と結婚したが、2006年4月27日に離婚した。
離婚の原因は、若手米国実業家による略奪婚だと言われている。

彼女は2009年の連続ドラマ「コンカツ・リカツ」を最後に、惜しまれて芸能界を引退した。米実業家との結婚のために渡米し、ロスでセレブ生活をしているとの噂だ。セレブ生活なら、47歳になっても劣化せず若々しいはずだ。

今も引退しないで現役を続けて欲しかったとの声が強いが、私はそうは思わない。
何故なら「高校教師」の繭は、彼女の未来に穏やかな家庭が想像できなかったからだ。そのようなことは映像の世界によくあることだ。「ロミオとジュリエット」のオリビア・ハッセーは、映画史で最高のジュリエット役だった。しかし今、70歳になった彼女は、少女時代を想像できないほどに変貌している。
対して「繭」という少女は、いつまでも作品の中に存在する。もし、現実の桜井幸子を追っていたら、幻滅するはずだ。

繭の友達・相沢直子(持田真樹)は役の上では、しっかり者の世話女房タイプだった。自然に体育教師・新庄徹(赤井英和)と一緒になり、平凡だが暖かい家庭を築くと想像できた。だから、演じた持田真樹が年を重ね、平凡な家庭を築いていたとしても違和感はない。

羽村先生役(真田広之)は理系に有り勝ちな、純粋だが女性に翻弄されるタイプだ。放っておけない弱さが母性をくすぐり、それが女性に人気がある要因だろう。現実の役者真田広之は羽村先生とは逆だ。その後、ロスに拠点を移し、海外でも活躍している。

「高校教師」の二宮繭は、男が思い描く完璧な少女だ。
少女のあどけなさと天真爛漫さ、母親のような母性、そして、ドキッとするほどの大人の横顔。最大の魅力は、触れれば命を縮めるような危険性にあった。その一面を端的に表現していたのは、第1話「禁断の愛と知らずに」冒頭の登校シーンだ。

新任教師として女子高へ登校した羽村。
その少し前、彼は駅で偶然に二宮繭と出会っていた。
繭は笑顔で、他の生徒の冷たい視線を一切気にせず、まっすぐに羽村に話しかけた。

繭「心配いらないよ・・・あたしがいるもん・・・
あたしが全部守ってあげるよ・・守ってあげる」

大学研究室から生物教師として赴任してきた羽村先生を、大きく包み込む繭の母性に、視聴者たちは圧倒されたはずだ。
この名シーンに、羽村のナレーションが重なった。
「運命は、ほんの小さな出会いで変わると、人はよく口にする。
その言葉に従うなら、ぼくの運命はまぎれもなく変わっていった。
高校教師になった冬の朝、出会ったこの少女によって」
この出だしの繭に、わたしも心をわしづかみにされてしまった。

「高校教師」の印象に残った名場面を、いくつか抜き書きした。
「高校教師」のロケ地は下北沢近辺が多い。羽村のアパートも下北にあった設定だ。
そのころ、私は毎晩のように下北へ遊びに行っていた。
ドラマには今は無くなった場所が次々と登場して、懐かしい。

第7話「狂った果実」
繭は夜の街で不良たちから助けられて知り合い、なりゆきで泊めてくれた女性の自殺を目撃してしまった。

翌朝、警察署に保護されていた繭を迎えに来た羽村先生。
二人は目黒川の五反田大橋の上流にある歩道専用の本村橋上に立ち止まった。
女性の自死を思い出して気分が悪くなり、欄干に寄りかかってうずくまる繭。

羽村「大丈夫か」
繭「あたし死にたくない・・・死にたくない」
うずくまる繭を、抱き寄せる白コートの羽村。
繭「先生、汚れちゃうよ」
羽村「いいんだ・・・いいんだ」

二人の姿に、森田童子の「ぼくが君の思い出になってあげよう」が重なった。
歌詞・・君が忘れた、砂埃の風が吹くこの街に僕はいる・・年上の僕が寂しいと言ったら、君はこの僕を笑うかな・・
寂れたこの街で・・・もう若くはない僕は、君の思い出になってあげよう・・・

カメラが大きく引くと、本村橋の全景。五反田駅へ急ぐ人の流れ。
黒ぽいコートの若い女性が一瞬、抱き合う二人の前に、ビックリしたように立ち止まる。
そしてすぐに、時計を見ながら駅方面へ急ぐ。
カメラはその女性を追って、五反田のビル群へパン。

羽村のナレーション。
「君の小さな肩が、いつまでも震えていたね。
ひとりぼっちになろうとした君を・・僕が抱きしめていたあの時・・
僕だけの胸の中に君はいた」

このシーンを選んだのは、繭がはっきりと「死にたくない」と言っているからだ。
人は往々にして真逆のことを言う。彫刻家である父親・二宮耕介が死を前にして羽村に話したように、繭は同情して死を受け入れてしまう、破滅的な少女だった。だから、最終11話、信越線の車内で、体をよせあって眠ったように見える二人は、服毒自殺をしたと思っている。生物教師なら、毒物を手に入れるのは簡単だ。

死を確信したのは、寒い日本海に面した青梅川駅のホームで、二人が笑顔になっていたからだ。それまでの二人は、父親を死に追いやった罪悪感で表情が暗かった。しかし、死を決意してから、二人に笑顔が戻った。自殺防止活動をしている知人によると、自死を目前にした人は、意外に、明るくふるまうようだ。

どの回にも名場面が必ずあったのが、このドラマのヒット要因だ。
北鎌倉の安宿で、繭と羽村先生が結ばれた第5話「禁断の一夜」は殊に素晴らしい。

鎌倉に遊びに来た二人。
雨になった夜、繭は帰ろうとしない。
帰宅時間ばかり気にしている羽村に怒り、繭は羽村の腕時計を取って投げ捨て、壊してしまう。
最終電車が出て、帰京をあきらめた羽村は北鎌倉の安宿に泊まることにする。

しかし、部屋は埋まっていて、仕方なく一緒の部屋に泊まることにした。
羽村は父親に電話を入れるように繭に言った。
羽村の意図を裏切り、繭は父親に「好きな人といる」と本当のことを話した。
愕然とする父親・二宮耕介。
しかし、羽村は繭が父親に、友達のところに泊まると、話したと信じていた。

懐かしい和室だった。
昭和40年代あたりまで、鶯谷や新大久保あたりの同伴ホテルには、そのような和風の作りがあった。
並べて敷かれた布団。
繭17歳と羽村32歳は、その部屋で初めて結ばれた。
今なら即逮捕され、名前は公表され、羽村の社会的地位は完全に失われた。

宿の外は寒い雨。赤く光る電気ストーブ。部屋に干してある繭のコート。
並べた布団に入った繭と羽村の会話。
繭「昼間のこと、約束だよ・・・田舎へ連れて行ってくれるって。
先生が育つた家が見たい」
羽村「古い農家だよ・・・このあいだ改築したらしいけど・・・
わかった。約束な」

繭は布団から手を伸ばして、羽村と指切り。
繭「このままでいい・・切るのいやだから」
羽村「ああ」
繭「夢って、見る」
羽村「夢・・ああ・・けど、このところ疲れていて見ないんだ。
このところ、起きると忘れちゃうんだ」
繭「私、よくみる夢があるの・・
夢ん中でね、わたしが眠っているの・・とても静かで、暗くて、わたしが眠っている。
そのうち、夢の中のわたしが目覚める・・けど・・だれかをよびたいけど、声が出なくて
だんだん、息が苦しくなり・・・」
二人は強く手を握りあう。
繭「この前言ったでしょう。
人間は三つの顔がある・・・
他人が知っている自分・・自分が知っている自分・・
本当のわたしを知っても・・嫌いにならないでね」

羽村。繭の右腕の塩酸による火傷の傷跡に唇をあてる。
電気ストープの傍に、ドスッとおちる繭のコート。
壊れた羽村の腕時計のアップ。
羽村のナレーション。
「たとえば・・それがどう思われようと・・たとえばそれで・・どうなろうと、
彼女を愛おしいと思う気持ちは変わらなかった。
わたしは彼女を愛していた」

ナレーションに森田童子「G線上にひとり」が重なる。
それと同時に、壊れた腕時計が再び時を刻み始めた。
歌詞・・夏草の上に寝そべって、まぶしい孤独な夢が広がる・・・一人目覚めて、あくびして涙ふいた
夏の空は飛行機雲・・・

この名シーンは今も人気が高い。
繭の「本当のわたしを知っても、嫌いにならないでね」の台詞は、当時の女子高生たちの間で流行っていた。

翌朝の北鎌倉駅のホーム。明るい日差し。大仏さまのキーホルダーを見せあい、屈託なく笑う二人。あくびをする二人。このシーンは大好きで、その後、そのシーンを思い出しては鎌倉へ行っていた。ちなみに、小道具に使われた大仏さまのキーホルダーは、今も350円で売っている。もし、熟年の大人がそれを下げていたら、「高校教師」の熱いファンかもしれない。

第4話「僕のために泣いてくれた」の名シーン。
羽村は教授の娘である婚約者に愛がないこと。自分の研究成果を教授に奪われ、研究室から体良く追い払われたことを知ってしまった。
繭と出かけた動物園の帰り、鴨が浮かぶ不忍池のベンチにて。

羽村「愛は意味を持たない概念に過ぎないか。普遍的な愛なんてものは、進化の過程では何の意味も持たないと言われている・・・生物学者は、ある意味でみなそう思っている・・・
たとえば母性という母親が持つ愛情は、精子より沢山の栄養を持つ卵子を提供するメスが見返りを求めて、子供に執着しているとも考えられる。
全ての遺伝子は利己的であるという説が正しければ、生き物はみな本質的に孤独なんだ。
こうして集う水鳥たちも、人間だって一人ぼっちなんだ。
生まれてくる時も死ぬ時も・・・ぼくは・・・何もかも失ってしまった。
ささやかな未来も・・・はじまりがどうであれ・・ぼくは彼女を(愛していた)・・・
・・だから・・あんなところを見ても・・・もう何もない・・何もないんだ・・・何も・・」

その台詞に森田童子「男のくせに泣いてくれた」が重なる。
歌詞・・ゆめのようにはかなく、私の記憶は広告写真のように悲しく通り過ぎていく・・
羽村のナレーション。
「あの時、君はいつまでもそばにいて、一緒に泣いてくれたんだね。
こんなちっぽけで弱虫なぼくのために」

この不忍池のシーンは、今の若者たちにも絶大な人気がある。
男たちは、寄り添って一緒に泣いてくれた繭を夢見る。
そして女たちは、繭のように、羽村先生に寄り添って、慰めてあげたいと夢見る。
この頃の真田広之には、今の男子にはない鍛えられた肉体があった。
当時も今も女性たちは、それを支持している。

繭役の桜井幸子は美しいだけではなく、演技力があった。
目元のわずかな変化で、複雑な少女の気持ちを完璧に表現していた。
それまでは、好きと言うほどの女優ではなかったが、繭役でその素晴らしさに魅入られてしまった。
ふっくらとした頰。弧を描く豊かな眉。優しげで少しハスキーな声。どれも少女としての理想形だ。出演していたその他大勢の女生徒役にも綺麗な子は沢山いたが、その中で、桜井幸子は飛び抜けて輝いていた。

この回でもう一つ印象に残っているシーンは、京王電鉄井の頭線・新代田駅のホームでの別れだ。
繭は電車に乗ってから窓を開け、反対ホームに立つの羽村先生に、動物園に行くことを承諾する。
繭が身を乗り出した時、彼女を避けた窓下の二人は撮影を知っていたはずだ。しかし、他の乗客は撮影だと知らなかった。繭の後ろの女性は、突然に乗車して来た可愛い女子高生に驚いていた。窓際に立っていて撮影に気づいた若者は、反対ホームの羽村先生を凝視していた。
彼らは名ドラマ「高校教師」の撮影だったことを知っているだろうか。今、彼らはすでに50代半ばを過ぎている。
今の電車の窓は開かない構造だ。
すべての事柄に、過ぎ去った30年の長さを感じる。


今、47歳となったセレブの桜井幸子は想像しないことにしている。
危険な香りのする繭は、ドラマのままに消えてしまうのが良い。
このドラマを仕事をしながら見た私は40台半ばで、人生の中で一番楽しく光り輝いていた。
広告会社などを通じて、全盛期の民放局にも日常的に出入りしていた。
ドラマ中で象徴的に使われていたブルボン製菓のエリーゼは今も売っている。
このドラマを見ると、あっと言う間に過ぎた30年が、走馬灯のように想い浮かび、虚しさが募る。
私の二番目の青春は、母の介護が始まるまで続いて、自然にフェードアウトした。

「高校教師」を見て、教職を選んだ人は多い。
携帯がない時代だったので成立したドラマでもある。私が最後に公衆電話を使ったのは10年前だ。すでに使う人はなく、いつも人の脂気でベタベタしていた受話器は、サラサラと乾いていた。
しかし、スマホ世代の若者たちにも、このドラマの魅力は十分に理解されているようだ。

最終回はあまりにも衝撃的で、中にはしばらく鬱症に陥った若者もいた。
このような問題が多いドラマは、経営難に陥り始めた今の民放には、二度と製作できない。

ちなみに少女を描く時、首は細く、頰から顎のラインはふっくらと描き、額は少し暗く描くと少女らしくなる。繭役の桜井幸子は、まさにその通りの女優さんだった。その点、今の若い女優さんたちの顎はか細く、彼女のような少女らしさがない。
蛇足だが、彼女の姻戚に、仕事で関わりがあった出版関係者がいた。その人は、一時は大成功したが、拡大路線に失敗し出版界から消えた。だから、印象深かったのかもしれない。

M_0_20210724143601

 野仏の 笑みやさしき 葛の花
最近、墨絵に挑戦している。

オリンピックの開会式は、破れかぶれの面白さを期待して、NHKに合わせていた。結論から言えば演出がまるでだめだ。低俗な小芝居が多くて残念。その中で、気持ちに響いたのは、競技場上空に浮かぶ、1800機のドローンの光で描かれた巨大な地球だ。ドローンについて隣国民が、冬の平昌オリンピックの出し物を模倣したと非難していた。それは勘違いで、隣国も日本もインテルに発注したシステムで、高度な軍事技術を含んでいる。
メタル授与式で添えられた福島産の花束は、放射線被ばくする。
選手村のベットはダンホール製の安物で、選手を安眠させないのが目的だ。
などと彼らは何にでもけちを付ける。ちなみに、ベット価格は1式20万円。内訳は、人体工学に基づいて作られたマットレスが費用の大部分で、ダンボール部分は安い。

競技のピクトグラムを模した青白の衣装のパントマイムはよかった。パフォーマーの一人が、バトミントンを落としたのは、惜しいと言うより、よい一瞬を見て得したと思った。ちなみに、ピクトグラムは前東京大会で英語下手の日本で発案された外国人向けの指示図形だ。
大坂なおみの前衛的な聖火台へのゆったりとした静かな点火も良かった。
そのように、開会式は音止めでチラ見していた。
オリンピックの間、競技よりTBSから4週間1300円でレンタルしたドラマ「高校教師」を主に見ていた。

M_0_20220822152201

近況・・・絵本「おじいちゃんのバス停」を完成させて、Amazon Kindleの電子図書 にてアップした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B79LKXVF
Kindle Unlimited 会員は0円で購読できる。
上記ページへのリンクは常時左サイドに表示。画像をクリックすればKindleへ飛ぶ。

絵本の内容・・おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。

概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。

描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Mas

|

« 日本に統治されて、感謝の台湾と憎悪の韓国。その原因は。2021年7月17日 | トップページ | 東京オリンピックのフェイクニュース。「天城越え」「映像の世紀・パリは燃えているか」優れた音楽は真実や情熱を蘇らせる。2021年8月3日 »