東京オリンピックのフェイクニュース。「天城越え」「映像の世紀・パリは燃えているか」優れた音楽は真実や情熱を蘇らせる。2021年8月3日
以前は、ドラマなどで死別のシーンがあると、看取る家族に強く共感していた。
今は違う。看取られる側に、感情移入してしまう。
それは、残された人生が短くなったからだろう。
30年の年月の長さは大きい。
前回記入したように「高校教師」を久しぶりに見てから、その気持ちが強くなった。
10年前なら、昨日のことのようだ。
20年前なら、自分が少し若かったと、感じる程度だ。
しかし、30年となると、息苦しいほど、年月の隔たりを感じる。
やり残したことは多く、人生の終わりへ進む歩みを、辛くさせている。
オリンピックは見ないつもりだったのに、ほとんど全てをチェックしている。良かったのは、カヌーとサーフィンだった。
カヌー競技は人工の流れるプールで行われた。自然な急流と同じように障壁が設けられ、各選手に公平な流れが再現されていた。
サーフィンは台風余波の荒れ海で行われた。濁った海に、曇り空に、風に揺れる広い草原。
荒々しい波は素人サーファーにはとても危険だが、選手たちには高度な技術が発揮できる絶好の条件だった。
日本の五十嵐カノアは銀メタル、都築有夢路は銅メタルを取った。
競技を終えた選手たちが、海へ感謝している姿は心に残った。
当日の試合後、国内でプロとして活躍しているサファーたちが、すぐ近くの危険な波を試した。しかし、オリンピック選手たちの10分の1も得点できないと、技量の高さに感動していた。
殆どの競技は無音でチラ見しているだけで、ネット動画ばかり見ている。殊に、米国エンゼルスの大谷の大活躍は漫画みたいに面白い。試合の魅力は、勝ち負けだけではない。エンゼルスが大負けしても、大谷がホームランを打つと観客は大喜びしていた。
しかも、それを日本から来た若者が成し遂げている。大谷と並ぶと、大柄なはずの米国選手が小さく見える。大リーグの大物たちが、彼にサインや、記念写真をもとめていることに驚いた。
このまま活躍を続ければ、彼はベーブルースに並ぶ歴史上の名選手になる。
それを、同じ時代に生きて見聞きできることは、とても幸せなことだ。
ユーチューブで見ているのは、演歌、ソロキャンプ、宇宙物理学、面白ペットたち。
宇宙物理学は絵描きの発想に似ている。
我々が見て感じている宇宙の全ては、シャボン玉のような宇宙表面に記録された情報が、ホログラムのように空虚な内部に映し出された仮想空間、との考え方がある。
絵描きも同じように、脳皮質に記録された情報を、何もない空間に想像する。
頭の中の空間は、果てしなく広大で、時間の隔たりを無視している。
もし宇宙が仮想空間なら、相対性原理は通用しないはずだ。
絵描きの妄想だが、宇宙が頭の中の仮想空間のようなものなら、量子もつれなど、不思議なことが起きても当然かもしれない。
緑道公園の緑陰。
降るような蝉しぐれだ。
最近、演歌の動画ばかり見ている。
最初は80年代のシティポップス「プラスティック・ラヴ」の竹内まりやの動画を見ていた。
それから「真夜中のドア」の松原みき。「ひこうき雲 」の 荒井由実に移動して、はいだしょうこ、山口百恵へと辿った。
検索を続けていると、フランス人作曲家が石川さゆりの「天城越え」に感動している動画に辿り着いた。欧米人とアジア人では感動の仕方は違うだろうと、興味深く見た。しかし、フランス人の彼は、私と同じ箇所で「鳥肌ものだ」と感動していた。
石川さゆりの主な曲は、iTuneに入っている。
比べて動画の彼女には、圧倒的な感動があった。
彼女は歌手だけでなくビジュアルもすぐれている。殊に、情念を込めて歌い上げる彼女の横顔は超絶美しかった。僅か5,6分の動画なのに、1本のドラマを見終えたような深い感動を覚えた。
2000万回ほど再生されている彼女の「天城越え」の動画も見た。コメント欄には、世界中から、絶賛する書き込みが記されていた。
「天城越え」は数年前の「ブラタモリ」で、それを軸に辿る映像がとても印象に残っている。
演歌は欧米人にも意外なほどに受け入れられている。米国の第七艦隊の楽団をバックに白人の女性兵士が「津軽海峡冬景色」を熱唱している動画もあった。人間の感情は、民族的な違いはさほどないようだ。
それから、北島三郎、古賀メロディと、昭和の演歌を次々と再生し続けた。
前回、ドラマ「高校教師」から30年、自分は何をしていたのだろう、と悔恨と虚しさに囚われていると記入した。しかし、演歌を次々と聞いていくうちに、体にエネルギーが溢れるのを感じた。
古賀メロディも素晴らしかった。
「湯の町エレジー」は昭和23年のヒットだ。
子供の頃の映画には、「湯の町エレジー」がしばしば登場したので、思い出深い。
懐かしくなって検索し、市川由紀乃の 「湯の町エレジー」を聞いた。
若い彼女も、石川さゆり同様に可愛くて色っぽい。
古賀政男は、隣国では半島で育ったために在日だと思われている。
彼は日本人である。福岡県の柳川近く、現大川市で生まれ、5歳の時に父親を亡くした。
それで、長兄が働いていた半島の仁川に引っ越し、豊かで多感な少年時代を送った。
間違われたのはその少年時代の経緯にあった。
優れた日本人は全て在日だと思い込んでしまうのは、K国人の困った性癖だ。
古賀政男は大正12年に明治大学予科に入学し、明治大学マンドリン倶楽部創設の参画メンバーの一人だ。
昭和4年大学卒業後も音楽活動を続け、6月、明大マンドリン倶楽部の演奏会で「影を慕いて」を発表した。翌年、その曲を発表したがヒットしなかった。「影を慕いて」は自殺未遂の過程で生まれた。ヒットしたのは、歌手としてデビューした・現東京芸大音楽学部在籍中の藤山一郎との出会いによるものだ。
演歌へのK国人の書き込みも多かったが、多くは年長世代で、絶賛するものばかりだった。
対して、80年代のJポップに関しては、K国からの逆評価が多かった。
そのような書き込みをしたのは、強烈な反日教育を受けた世代だろう。
行き過ぎた中傷誹謗は、Jポップファンの気持ちを逆なでするもので、見つけられ次第、削除される。
私は偶然に見つけたが、実際はとても多いのかもしれない。
それらを以下に纏めてみた。
「・・はっきり言って日本の映画や音楽のレベルは低い。
比べてKポップとK流は世界で圧倒的に大人気だ。
もし、YouTubeでKポップとK流ドラマの再生回数と「いいね」の数を調べたら、日本人はJポップや日本映画の不人気ぶりに絶望に囚われるだろう。
今、KポップとK流は、世界に光り輝いている。
日本の映画や音楽を「すごいすごい」と言っている日本人は、自己満足のために、そう思い込もうとしているだけだ。
産業技術でも、学問でも、芸術文化でも、K国にボロ負けしてしまった日本人は、大昔の栄光にすがって生きている。
貧乏になって自信を無くした日本人たちは、必死になって、古臭い時代遅れの自国の文化にすがりついて、虚栄心を満たしている。
さらに許せないのは、従軍慰安婦にされたおばあさんたちや、強制徴用して賃金も食料も与えず、働かされたおじいさんたちに謝ることをせず、そのような事実はないと歴史を捏造していることだ。
日本は、K国の素晴らしい先進的な特許や技術や文化を盗みまくっている。
その上、K国は日本のおかげで復興したと、世界に嘘を言いふらしている。
戦後、我々を親身になって助けてくれたのは、アメリカとドイツの人たちだけだ・・・」
K国に「恥の文化」はない。
歴史書や、当時の新聞などの記録を調べればすぐにばれる嘘を、彼らは平気でつく。
今回のオリンピックでも、国を挙げて連日フェイクニュースを流し、日本を卑しめようとしていた。
隣国にも正しい歴史を学んでいる人はいる。
しかし、声が大きい人が目立ってしまう。
東京オリンピック関連の動画もしっかり見た。
その中では、食事についてのK国選手の放射能汚染食物拒否が一番のニュースだった。
放射線は半島の方が、現在の福島より高濃度なのは常識だ。しかし、情緒優先の彼らに、科学的に説明しても理解は無理だ。
K国が独自にホテルで用意したK国選手用の粗末な弁当より、選手村の食事の方が充実していて美味しいに決まっている。案の定、選手村で美味しそうに食事をするK国選手が現れ、その写真がK国ネットに流出した。
隣国では食事を選ぶ自由すら奪われている。
すでに名前は突き止められているので、その選手は帰国後、一斉攻撃されるだろう。
K国女子選手のユニホームが盗難にあったとの訴えがあった。
それで、K国マスコミがその洗濯工場に潜入し、盗難を確認したとのニュースだ。
セキュリティから、そのような潜入は不可能なはずだ。
もし、本当にやっていたら、刑事事件に発展する。
洗濯物を出してから受け取りに5日かかり、試合に間に合わない。それで、各国選手たちはバスタブで手洗いして、シワシワのユニホームで出場しているとの反日系ニュースもフェイクくさい。それくらいのことは、事務局に訴えればすぐに対応してくれる類だ。
ダンボール・ベットが、長身選手には小さすぎる。
慎重な日本メーカーなら、身長が高い低い、体重が重い軽い、使う選手のあらゆるケースを想定して対応して作ったはずだ。殊に身長対応など一番気にする箇所で、ユニット部材を追加するだけで対応できるはずだ。もし事実なら、組織委員会に問題がある。
バスルームが狭すぎて使えないと、ロシア選手が文句を言っていた、とのK国発ニュースには悪意がある。後日、発信元のロシア選手に聞くと、文句ではなく、ジョークとして話しただけだった。
海外派遣の関係者が外飲み違反を犯していると、海外メディアが日本政府を強く非難していた、とのニュース。これもフェイクくさい。発信元とされる海外メディア当事者に聞くと、軽く笑いながら「何故問題にしているのか」といった雰囲気だった。
BMX・自転車競技会場は近くの歩道橋から眺められるので、見物客が集まっていた。
それを日本メディアは「感染爆発を起こす」と厳しく非難していた。
私はその時の中継を見ているので知っている。私の印象では、マスコミが言うほど密ではなく、観客はマスクをし、適度に距離を保ちながら静かに見物していた。もしそれが、感染爆発を起こすほど危険な密状態なら、電車通勤も商店街の買い物も、即刻禁止しなければならなくなる。
オリンピックは日本で盛り上がっているだけで、欧米では視聴率最低だとの報道。
コロナ禍で無観客なのに、盛り上がると期待した日本人など、始めからいなかった。
しかし意外に、国内視聴率は健闘したので、これはニュースになった。
報道には原則がある。
それは、誰でも知っているニュースには価値がないことだ。
大半の日本人は、海外がオリンピックを低評価しても、当たり前だと思っているのでニュース価値はない。
当たり前のことを、深刻そうに報道する日本メディア姿勢には間抜けさを感じる。
視聴者たちは、必ず発信元を確認すべきだ。
共同や聯合ニュース、日本マスコミ発信は全面的に信じない方が良い。
彼らは必ず、日本政府が悪く思われるように真実を捻じ曲げ、尾ひれをつけて報道する。
しかし、ボランティアのバス運転手などは劣悪環境に置かれ、酷暑の中、事故が多発する雰囲気だ。
緊縮節約のために画竜点睛を欠く事態に陥ることは、絶対に避けてほしい。
昨深夜「映像の世紀」第1,2集の再放送を偶然見た。
オリジナルは、歴史の愚かさを伝えてくれた傑作だった。
再放送は初回オリジナルを編集し直したもので、詰め込み過ぎの感がある。
とは言え、今回の新型コロナ禍のもとで見ると、別の感慨があった。
パンデミックのニュース画像に、映像の世紀テーマ曲「パリは燃えているか」を重ねれば、偽善や強欲が透けて見えそうだ。
それが、時代を超えて支持される、名曲の所以だろう。
今夜の再放送は第3、第4集、「それはマンハッタンから始まった」「ヒットラーの野望」
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