セーターの虫食い穴を毛糸継ぎで簡単綺麗に変身させた。2021年12月20日
40年愛用のセーターが虫食いで盛大に破損した。ボロボロになって廃棄寸前だったが、日本伝統の金継ぎに習い、毛糸継ぎで修復し、新デザインに変身させた。これは自然の虫と私との共同作品だ。
この方法は誰にでも簡単にできる。
セーターの穴ふさぎは、同色毛糸を編み込むのが一般的だが、それは職人技で素人には難しい。
そこで、日本伝統の金継ぎに習い,あえて修復箇所を隠さず強調した。
金継ぎとは、割れた陶器を漆で接続し、漆面を金粉などで覆う、日本伝統の手法だ。この技法は欠陥を否定せず、人間成長の証とする哲学的意味づけがある。金継ぎはとても美しい。私自身、破損した愛用湯呑みを金継ぎで生まれ変わらせ、長く使い続けている。
このセーター修復にも、金継ぎと同じ哲学を深く感じる。
下画像は、本案を具体化した画像。
40年間愛用してきたセーターを春に収納する時、洗濯が不十分な上、樟脳量が不足していた。そのため初冬に取り出すと、食べ物で汚れやすい、首下・袖口あたりが盛大に虫に食われ、ボロボロになっていた。しかし、長年愛用したセーターを破棄するに忍びない。絵描きなので、色をランダムに置くことに慣れている。まず大雑把に配色を考えて色毛糸を揃え、片っぱしから色糸で修復箇所に刺した。
グリーンセーター背後の腰辺りは、リュックで擦れて薄くなっていた。その箇所は毛糸を広く分厚く刺して補強した。
住まいエレベーター内は明るくて写真撮りに適している。それで壁面の姿見を使って自撮りした。
絵に慣れない人が、花や動物やキャラクターを無理に配置しようとすると、ダサくなって失敗する。
陶器磁器の割れを補修する金継ぎを例に説明すると、漆金彩を花や動物などの形にしたら格調がガタ落ちするのと同じことだ。
加えて、絵心がない人がイラスト風に修復しようとする、それが障壁になり意欲がわかない。
だから、敢えて何かを造形しようとしなければ簡単だし、失敗しない。
私は抽象画を描くように、心のまま強引に色毛糸を置いた。
修復毛糸と下地は、あえて食い違っている方が面白く仕上がる。
だが、慣れない人には色毛糸の配色は難問だろう。
配色を考えるのが面倒な人は、ネットでキーワード「色パターン」で画像検索すると多数ヒットする。
更に「自然・元気・シック・静か・爽やか」などの形容詞を「色パターン」に付け加えて画像検索すると希望の配色が見つかる。
まず最初に準備するのは、色パターンに沿った色毛糸と、編み物の用の太い毛糸針。
毛糸針は太くて先が丸く、不器用でも指を差す心配がない。
ただし、先が丸い針は針山に刺さらないので注意。
私は上写真のような、磁力を利用した保持具にくっつけて作業している。
上図は最初の作業。セーター地と似た色の地糸を縦横に緩く張って穴ふさぎをする。この糸は最終的に見えなくなる。
上図では平織りに編み込んであるが、そこまで丁寧にする必要はない。その後の作業で色糸を刺すので、大雑把に縦横に張っただけでも強度は十分に保たれる。
緩く張ることに注意。強く張ると伸びがなくなり、引きつって着心地が悪くなる。
次に、地糸で塞いだ箇所を色毛糸でバチャバチャと適当に刺す。
その毛糸の結び目は、上図のように刺し始めだけで十分。
刺し終わったら返し縫いして端は切りっぱなし。結び目で留める必要はない。
この作業では、模様周辺部を細かくグラデーションに刺すと、セーター地と溶け込み、見た目が自然で失敗しない。
色に迷った場合は、無彩色のグレーの糸を適当に刺すと、品良く仕上がる。
刺し終えると、そこだけ盛り上がったり、引きつったりするが、気にしなくて良い。
最後に衣類スチーマーで、強めに蒸気を当てながら押し付けると、簡単に平らになる。
羊毛の特性として、蒸気を吹き付けながら圧力をかけると、羊毛繊維表面のキューティクル同士が絡みくっついてフエルト状に固まる。この作業はとても楽しい。
ただし、修正は衣類スチーマーの前にすること。
スチームをかけた後では、ほどくのが難しい。
スチーマーがない場合は、霧吹きで十分に湿らせ、当て布越しにアイロンを押しつけても代用できる。私が子供の頃は、沸騰させたヤカンの口から吹き出る蒸気をあてて仕上げていた。
以下本案に関連して、参考に母の作品を掲載した。
母の編み物3点。
97歳で死んだ母は大の手芸好きで、死ぬ寸前まで続けた。
死んだ後には山のように毛糸が残った。
色パターンを組み合わせた平面作品は、母は糸目計算をせずに適当に編んで、片っぱしから繋いでいた。そのような作業だったので凹凸や引き連れがひどく、仕上げは私がスチーマーで広げたり縮めたりして強引に平らにした。
ネコ縫いぐるみは毛糸ではない。これも下図や糸目計算なしで、いきなり端から編み始めて、あっという間に完成させた。
雑誌目次下画像の編み物は、日本ヴォーグ社からの依頼で母が提供した作品。昭和二十年代、兄姉たちが着古した戦前のセーターを解いては次々と編み加えて作った、2m×2mほどの毛糸絨毯。その上で、我々子供たちが暴れても、ビクともしないほど丈夫だった。
母の毛糸には戦前、横浜の手芸店で購入した舶来ものが含まれていた。軍港や大きな港には軍人や海外航路船員向けの手芸用品店が繁盛していた。海軍軍人や海外航路の船員たちは、長い船上生活の間、セーター編みをして妻や子供達への土産にした。だから、明治期に日本に入ったセーター編み技術は、英国海軍仕込みの男らしい趣味だった。
編み物は昔の漁師にも人気だった。私が子供時代をすごした漁師町では、級友が着ているセーターは大抵父親が編んでくれたものだった。今の漁師は、セーター編みの趣味はなくなったようだ.しかし、伝統的に漁師は漁網の修理で糸使いに習熟している。
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