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2022年1月17日 (月)

16日は誕生日で喜寿を迎えた。老後は何も考えず、日々をしっかりと楽しもうと思っている。2022年1月17日

深夜、荒川土手へ散歩へ出かける。
月明かりの広大な河川敷ゴルフ場が美しい。
今夜は満月の前々日。足元の月影を眺めると、子供の頃の影踏み遊びを思い出す。
土手道は凍えるような風が吹き付ける。ダウン・コートは暖かいが、露出している顔は痛いほど冷たい。今の住まい付近は都内で一番寒い。去年末には氷点下5度まで冷えた。
金曜土曜の深夜はのどかな華やぎがあるが、日曜夜は寂しい。みな明日からの仕事を思って、外歩きを控えているのだろう。

去年秋まで、土手下のアパート敷地角に古い自販機と、その前に小さく可愛い足元灯があった。
深夜、土手道から見下ろすと、古い自販機は虹色の光を点滅させ、昔の自慢話を小さな足元灯に話し聞かせているように見えた。

昔は、自販機近くの電話ボックスでは、夜遅くまで若者が恋人に電話をしていた。
ベンチでは、若い2人が腰掛けて恋を語らっていた。
そのベンチはいつしか古ぼけ、腰掛けるのは近所の年寄りばかりになった。
やがて、ホームレスが寝床代わりにするようになると、古ぼけたベンチは撤去されてしまった。
公衆電話も、使う人がいなくなって撤去された。

昔の賑わいを語っていた古い自販機は、去年の秋、新しい自販機と入れ替わった。
新しい自販機は白々と明るいが無表情だ。
それ以来、足元灯は寂しげに見える。

M_2_2022011702320116日の荒川土手の、まだ僅かに影が残る月。
満月は18日だ。

M_1_20220117023201

1月16日は誕生日なので、出かける前に記念に仕事部屋で自撮りした。
時刻は16時。日の入りは冬至から16時51分と30分近く伸びた。
この部屋は日当たりが良く、暖房なしでも15度だ。
背景は仏壇と神棚。
神棚は50年近く前に自分で作った。

いよいよ喜寿を迎えた。
親しかった知人の多くは鬼籍に入り、自分の死を間近に感じるようになった。
今年の年賀状は「親の介護を始めました」との添え書きがとても多かった。

ほぼ自立している老人なら、民営老人ホームでも、さほどお金はかからない。普通の老人が年金でまかなえる程度だ。しかし、寝たっきりや認知症となると、途端に費用は跳ね上がる。まあまあ普通の介護を期待すれば、1億ほどの資産がないと賄えない。内訳は入居補償金5000万以上。何年生きるかで違うが、残りは月々の支払いでほぼ消える。
通常の資産だけなら、ベットに固定されるような、かなり放置された介護になると覚悟すべきだ。自己負担なしで手厚い人道的な介護を受けられる公営特養があるが、そこに入れるのはかなり運のいい人だ。私の住む北区には海外から視察に来るような、公費が潤沢につぎ込まれた公営特養がある。知人は数億の資産があるのに、役所にコネがあってその特養に入って一生を終えた。それでも幸せな一生と言えないのが、人生の面白いところだ。
莫大な遺産が善良だった相続人たちの心を蝕むことがある。だから、ダンボールハウスで無一文のまま孤独死する方が幸せであることだってありえる。

介護する家族の気持ちは、親の状態で大きく変わる。裕福な知人の母親は認知症となり、毎夜、糞便を部屋中にこすり付けていた。初老を迎えた夫婦が、深夜、部屋の清掃や、衣服や布団の洗濯に追われている姿を想像してほしい。家族は限界まで憔悴しきっていた。そして、耐えきれなくなって、高額な民間特養に預けた。彼女は認知症が酷かっただけで足腰は元気だった。結局、その特養でも対応できず、薬物投与で無気力に眠らされ、ベットに拘束された。しかし、他人がそれを残酷と言うことはできない。老親に幸せな老後を送らせるには、更に裕福でないと難しい。

家族のいない低収入老人の場合、認知症がなければ通常の老人ホームに容易に入ることができる。しかし、認知症が起きたら、即精神病院に転院させられる。それはかなり厳しい入院生活で、頭が正常だったら到底耐えられるものではない。いずれにしても、健康年齢をできる限り伸ばすのが楽に生きる方法だろう。

私は28年間、祖母、両親を在宅介護して看取った。私は老人ホームの実態をよく知っていたので、選択肢は在宅介護だけだった。その代わり、徹底的に親の健康管理をして手間がかからないようにした。今振り返ると、それは成功だった。介護した3人の本当に大変な期間はとても短かったからだ。最後に介護した母の完全な寝たっきり期間は、せいぜい20日ほどだった。

自分の最後については何も考えていない。考えたところで、良い結果に繋がらないからだ。だから、徹底的に自分の健康管理をしている。めんどうでも、結局はそれが一番楽な生き方となる。

27年前の1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きた。
東日本大震災は11年前の3月11日だった。あの時は、母が前年の2010年に死んでくれて、本当に良かったと思った。13階の部屋は嵐の中の小舟のように揺れ、仏壇が1メートル以上離れた母が使っていたベットまで飛んだ。線香立ての灰が畳に散って、花立の水が混ざりドロドロになった。タンスの引き出しはほとんど全て飛び出した。本立ては全て倒れ、大量の本が床に落ちて乱雑に積み重なった。そのために、仕事部屋から母の部屋へ移動できなかった。だから、前年に母が死んでくれてよかったと思った。
その後の生活も酷かった。スーパーやコンビニの食品棚が空になったまま、しばらく補充されなかった。牛乳は半月以上手に入らなかった。

東京直下型地震は30年以内に確実に起こる。今年、80パーセントの確率で起きると言っている地震学者さえいる。だから、今の若者たちは確実に震災に会う世代だ。私の世代は微妙だ。震災が起きる前に、自分の寿命が尽きるのを願っている。インフラが破壊された都会で生き残るのは、老人には厳しすぎる。
でも、悩んではいない。何も考えず、1日1日をしっかりと、二度とない人生を楽しく生きることにしている。
先のことを考えないのが老人の正しい生き方だと、喜寿を迎えて確信した。

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