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2022年1月29日 (土)

ふじみ野市・在宅医療の人情医師殺人事件と、グリーフケアに記された死別後悲嘆との重い関係。早くからの心のケアで事件を防止。2022年1月29日

渡辺宏容疑者66歳の散弾銃によって犠牲になった医師の鈴木純一さん44歳のクリニックは、ふじみ野市、富士見市、三芳町の在宅患者の8割・約300人を診ていた。24時間在宅医療に全力を尽くされていた鈴木さんの死に、地元の落胆はとても大きい。

渡辺容疑者が介護していた母親92歳は10年前から、ほぼ寝たっきりだったようだ。
事件前日、鈴木医師は母親の死亡診断をしている。その翌日、クリニックの鈴木医師を含む7人が「弔問してほしい」と渡辺容疑者から自宅に呼び出された。その時、鈴木医師は容疑者から、前日死亡した母親の蘇生のために心臓マッサージを要求された。当然ながら鈴木医師は蘇生は無理だと断った。その直後、鈴木医師は散弾銃で胸を撃たれ即死した。そして、理学療法士の男性41歳は腹を撃たれて重傷を負った。他の一人は催涙スプレーをかけられ軽傷。残りの所員たちは直ちに散弾銃を取り上げたが、渡辺容疑者が予備の散弾銃を手にした。重症の理学療法士を含む6人は外へ逃れた。

母親の死の前、容疑者が終末期の母親の胃瘻を要求したのに、医師に拒否されたのが惨劇のきっかけ、との報道がある。胃瘻については、鈴木医師は在宅では難しいと断っている。ちなみに、北欧では老人医療での胃瘻の選択肢はない。胃瘻はそれで回復する患者なら意味があるが、ただ延命だけの目的では患者を苦しめかねないからだ。

今回の事件は母親の遺体の傍らで起きた。容疑者が母親の死を受け入れられなかったことが事件の核心だ。介護者が、被介護者の死に関わった医師や病院を逆恨みするのは、珍しいことではない。容疑者は医師を殺した後、自殺しようとしたが果たせなかった。自殺は死への激情が高まっている間でないと実行は難しい。立てこもっている間に激情が冷め、自殺できなかったのだろう。
もし母親の魂が現場に留まっていたら、最愛の息子を理不尽な惨劇に追い込んでしまった自分自身がやりきれないだろう。

死別による苦悩を和らげるグリーフケアでは、死別した後の悲歎を3段階に分ける。
死別後、遺族は罪の意識に苦しむ。故人の死因は自分にあるとか、生前にもっと優しくしてあげれば良かったなどと自分を責める。
容疑者のように、故人を治療した医師や病院を恨むことも多い。
遺族にとっての肉親の死は極めて特殊なことだ。しかし、医師にとっては日常の多くの死の一つであって、一人の患者と遺族を特別に配慮することは難しい。これから、さらに原因があぶり出されるが、事件の構図は単純ではない。
容疑者は介護していた母親に強い愛情を持っていた。診療順番でも、他の患者より早く診てもらいたくて、度々トラブルを起こしている。鈴木医師のクリニック以前の他病院でも、治療方法や対応についてもめていた。

母親に対する愛情が強すぎることを事件の原因にしてはならない。孤独になりがちな介護者に、早い段階から適切なグリーフケアをすることで、惨劇は防げたかもしれない。グリーフケアは医師個人の善意に任せるのは重すぎる。

私は一人で母親を介護して97歳で在宅で看取った。それまで28年間、祖母・両親を在宅介護し看取っている。だから容疑者より介護にも死別にも病院対応にも慣れていた。母の終末期「心不全の数値が極めて悪化しています。今夜亡くなってもおかしくありません。すぐに入院を勧めます」と主治医に言われたが「何をしてもダメなら、在宅で看取ります」と拒否した。
胃瘻についても、もし医師に薦められても断ったはずだ。

私のケースは異例だ。
私にはいつでも助言してもらえる親しい医師がいた。素人だが医学知識があり、貸し出してもらった痰の吸引器も、マニアルを見ながら最初から使いこなした。酸素吸入器も適切に使えた。だから在宅でも病院に近い対応ができた。
終末期の在宅介護の相談に応じてくれる専門家は現実には殆どいない。その結果、渡辺容疑者のように孤独に追い込まれ、病院に強い不信感を抱く者はこれからも増加していくだろう。

容疑者は他病院でも、母親の治療方針で繰り返しもめている。
先日起きた、大阪市北区の心療内科クリニック放火殺人事件の谷本盛雄容疑者61歳も、以前から問題行動が多かった。
ふじみ野市の医師鈴木純一さんと同様に、放火で亡くなった心療内科クリニック院長の西沢弘太郎さん49歳も人情味溢れる優秀な医師であった。しかし、どんなに患者思いの医師でも、このような惨劇を招く可能性はある。
今回のような事件を起こす者は、それ以前から幾度も問題行動を起こしている。その情報を医療機関の間で共有し対策を講じないと、同様の事件が続出することになる。

参考に、グリーフケアでの死別後の悲歎を3段階に分けて記す。

最初の急性期。
通常は1,2週間。個人差がありもっと長く続くケースもある。
症状--ショックで頭の中が真っ白になる。体の感覚が無くなり、喉が詰まったり、食欲が異常に増減する。周囲の現実感がなくなり、死者が生きていると思い込む。それはまったく異常なことではなく、精神医学では強いショックから心を守る正常な防御反応とされている。
この時期の人は葬儀の場で、涙一つ流さず、周囲からは気丈な人と誤解される。
また、葬儀の会席で異常な食欲を示し、哀悼の心がないと非難されたりする。

・・私に急性期はなかった。私は死の7年前に母に肝臓ガンが見つかった時から、いつ逝かれても仕方がないと覚悟していたからだろう。

次の中期。
故人のことが心に囚われて離れない。数ヶ月から1年、もっと長く5年続いても異常ではない。
悲しくて辛い時期なのに、周辺からはもう悲しみは解決していると誤解され、「死んだ人のことは忘れて、早く正常な生活に戻りなさい」と励まされたりする。励ましは症状を内にこもらせ、回復を遅らせるので厳禁。この時期の正常さはうわべだけで、心の中は悲しくて寂しい。励ますより「つらかったね」と優しく慰め、話を聞いてあげ、存分に泣かせてあげるのが正しい対処方法。
この時期に十分に泣き、辛い思いを人に語る人は早く回復する。昔から、大泣きする人は早く回復し、泣かない人は悲しみを引きずると言われている。周囲の無理解は死別者を二重に苦しめるので、細心の配慮が必要な時期だ。

この時期、遺族は罪の意識にも苦しむ。故人の死因は自分にあるとか、生前にもっと優しくしてあげれば良かったなどと自分を責める。人によっては、死別前から死別後、故人を治療していた病院を恨み続けることがある・・今回の事件の原因はそこにあった。

・・私も母との死別後、長く哀しみと罪の意識に囚われた。
グリーフケアでは、十分に悲しみを体験しないと回復は不可能とされている。一定量の悲しみや辛さを体験することで人間的に成長し、穏やかな回復期に入ることができる。
キリスト教が深く浸透した欧米では、信仰の助けで悲歎は少ないのではと誤解されている。しかし、欧米の統計では死別者の10〜15%が病的悲嘆に陥る。信仰があっても一定期間の苦しみは避けられない。むしろ、神が与えた試練として苦しみを忌避せず、素直に受け入れるのが、真の意味での信仰なのかもしれない。

最後の回復期。
悲しみを伴わずに、故人と過ごした日々を懐かしく楽しく思い返すことができる。
しかし、多少のセンチメンタルな気持ちは生涯残る。
長い苦しみの後に安らぎが訪れる。それは生き残った者と死に逝く者に与えられた至福だ。
母は終末期に苦しんだが、最後は安らかに旅立った。
しかし、故人の死に囚われて苦悩するのは、避けては通れない宿命だ。

事件を防ぐためには、以上のようなグリーフケアを早い段階から家族に実施することが重要だ。そのような公的システムがあれば、逆恨みを抑止できるはずだ。

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