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2022年1月13日 (木)

渋谷区・焼き肉店立てこもり犯と森鴎外短編・高瀬舟の罪人喜助。天然コロナワクチン化したオミクロン株。2022年1月13日

渋谷区代々木の焼き肉店に立てこもった28歳青年は「生きる目標がなくなりました。警察に逮捕され死刑なろうと思いました」と語っていた。しかし、人質の店主は無傷で、事前に客を追い出している。脅しに使った刃物も場当たり的に調理場の包丁を使っている。この計画性のなさでは死刑にはならない。

彼は長崎でのアルバイト生活を辞め、上京してから2週間ほど路上生活をしていた。詳細は分からないが、ほとんど無一文だったようだ。
「逮捕される前に焼き肉が食べたかった。それで、焼き肉を食べてから立てこもりました」
寒空の下、彼は食うや食わずだったようだ。
事件を知った近所の別の焼肉店店主の言葉。
「焼き肉を食べたかったのなら、うちにくれば好きなだけ食べさせたのに・・」
この言葉は人情味があってホッとする。
彼は「ハロウィンの電車の事件のように、世間の注目を集めたかった」と語っている。しかし、両事件の本質は違う。大きな違いは、逮捕された時の態度だ。ハロウィンの犯人が傲然と取材陣に顔を晒していたのに対し、今回の犯人は俯いていた。多分、犯罪を恥じる感情が残っていたのだろう。この事件には貧困が招いた古典的な昭和の匂いを感じた。

この事件をニュースで知った時、森鴎外の短編・高瀬舟を思い出した。
高瀬舟は京の高瀬川を行き来する船で、流島される罪人の護送にも使われていた。
舞台はその高瀬舟船上。
登場人物は弟殺しの罪を負った喜助と、罪人護送を任せられた同心・羽田庄兵衛。
極貧ながら喜助兄弟はとても仲が良く、助け合って生き抜いてきた。
しかし不幸なことに、弟は重病にかかって兄に迷惑をかけるばかり。
兄の留守中、思い余った弟は首を切って自害をしようとしたが失敗。
そこに帰宅した兄喜助は、血だらけで苦しむ弟を助けようと喉に刺さったままの刃物を抜く。その時、血まみれの刃物を手にした喜助を、近所のおばあさんが目撃。彼女は喜助が弟を刺したと誤解する。
弟はそのまま絶命し、喜助は捕縛される。
喜助は我が身の潔白を語らず、弟殺しの罪を負って流刑になってしまう。

しかし、庄兵衛には、喜助は晴れ晴れと幸せそうに見えた。
庄兵衛は、常の罪人らしくない喜助の明るさが不思議でならない。
喜助に理由を聞くと、
「今まで自分は散々に苦しい目をしながら生きて来ました。その苦しさを思うと、辛いと言われる島暮らしも苦にはなりません。しかも、自分の懐にはお上の慈悲で下された二百文というお金が入っております。生まれてこの方、この様な大金を持ったことはありません」
喜助は幸せそうに語った。

200文の今の価値は6500円ほど。
面白いことに、前記の焼肉店立てこもり犯人が食べた焼肉代金も6500円だった。
喜助は流刑地で200文を元手にささやかな仕事を始めて、生活の足しにすると、庄兵衛に明るく語っている。
幼くして両親に先立たれた兄弟は、様々な仕事をして生き抜いてきた。わずか200文でもそれを元手に稼ぐ方法は心得ているのだろう。私の想像だが、中古の粗末な大工道具くらいなら買えたはずだ。喜助は道具を使った賃仕事で、少しは稼げると希望を抱いたのかもしれない。
喜助は罪人として、働かなくても毎日食事がいただけるありがたさを深く感謝していた。劣悪な牢屋の食事でさえ、食うや食わずの喜助にとっては有難い食事だった。

このあたりの表現に、江戸時代の刑務制度の一端が見える。
当時の中国、朝鮮などの護送役人なら、罪人が二百文を持っていると知ったら、直ちに取り上げてしまったはずだ。
さらに支配者が罪人の食事を賄うことはしない。生活費はすべて本人か家族に負わされ、援助のない無一文の罪人は餓死する他なかった。
その点、日本の刑務制度では、罪人の最低限の生活は公が責任を持ち、担当役人も罪人に対して清廉だった。

最下層の貧民でも、昔は生き抜く手段が多く残されていた。
江戸は坂が多い。当時の極貧に落ちた失業者たちは、湯島あたりの急坂の下に立って、大荷物の大八車がやってくるのを待った。そして大八車を押す手伝いをして、数文の駄賃を稼いだ。それを何回か繰り返せば、一杯の蕎麦にありつくことができた。
しかし今は、そのような誰にでもできる手軽な仕事は皆無だ。
先の立てこもり犯は、公園で寝泊まりしている間にホームレスと知り合っている。
多分、日々の食事を得る方法や、寒さを防ぐ段ボールハウスの作り方などを学んだのだろう。
先輩ホームレスに犯人は「住み込みの仕事が見つかった」と話している。高瀬舟の喜助なら、大喜びするほどの幸運なのだが、立てこもり青年はそう思わなかった。だから、仕事が見つかったのに「生きる目標がなくなりました」と語ったのだろう。
極貧の喜助は未来に希望を抱いていたのに、立てこもり犯は絶望しかなかった。
二人の違いは何だったのだろうか。

近年、生きる目的が分からせなくなった若者たちの嘆きを多く聞く。
お釈迦様は「人は明るさか暗さか、いずれかを目指して生きている」と説かれている。
人生の終わりに明るさを思い浮かべられる者は幸せだ。しかし、人生の終わりに暗さしか思い浮かばない者は救われない。たとえ強大な財力や権力を手に入れたとしても、最後に孤独で暗い死しか思い浮かばない者は、大変に不幸だ。


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仏壇のロウソクの燃え残り。母が生きている頃から15年ほど貯めてきた。この容器をロウソクの燃え残りで満杯にするには、あと150年以上はかかりそうだ。ちなみに、江戸は完全なリサイクル都市で、このようなロウソクの燃えかすを買い取る業者がいた。
何れにしても、死ぬまでに、この容器をロウソクの燃え残りで満杯にさせるのは到底不可能だ。

この容器を見ていると、仏教で表現される天文学的時間単位の「芥子劫」を連想する。
それは、芥子粒で満たされた四十里四方の城から、百年に一個づつ芥子粒を取り去って空になるまでの長大な時間のことだ。

さらに長大な時間の単位に「盤石劫=バンジャクコウ」がある。
あるところに四十里四方の大岩があった。
その大岩に、百年に一度、天女が舞い降りた。
そのつど、天女は薄い羽衣でサラッと大岩を撫でた。
それは長い長い年月繰り返され、大岩は摩滅して消えてしまった。
そのとてつもない長い年月を「盤石劫」と言う。

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先日の大雪。

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寒い夕暮れ、母子が楽しそうに雪だるま作りをしていた。

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環八沿いの大型自転車店。

オミクロン株陽性者が猛烈な勢いで増加している。
「オミクロン株が出現してコロナ流行は終わりそうだ。ワクチンメーカーは儲け時期を失してがっかりしているだろう」とウイルス学者が話していた。今激増している弱毒化したコロナウイルスのオミクロン株は、ワクチン同様の働きをするらしい。さらに流行れば集団免疫が形成されてコロナ禍は収束するようだ。

伝統的なワクチンは、病原菌やウイルスを弱毒化して作られる。オミクロン株は同じように、強毒性のコロナウイルスが、自然に弱毒化してワクチン効果をもたらすようになった。オミクロンの重症化と死者数は極めて少ない。これから陽性者はさらに激増し、東京都で3万人あたりを迎えるとピークアウトするようだ。今の増加グラフの様子では、ピークアウト時期は1月末から2月頭あたりだ。

コロナウイルスは自然界では特殊なものではない。大昔から殆どの哺乳類は様々なコロナウイルスと平和共存してきた。今回の強毒性コロナの出現は、コロナの歴史では、とても異例のことだ。だが、結局は強毒性の宿命として弱毒性コロナ・オミクロンと入れ替わり終息することになる。

しかし、PCR検査を続けているかぎり、永久にコロナ流行は終わらない。なぜなら、コロナの断片や無害なコロナでも、検出して陽性者にしてしまうからだ。この検査方法を考えたノーベル賞受賞のキャリー・マリス博士は「感染症の診断にPCR検査を使うときは慎重に」と言った趣旨の発言をしている。
コロナが2類に分類されている限り、そのようなPCR検査の弊害は続きそうだ。

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