「願えば叶う」を量子物理学が証明。映画マレーナ役のモニカ・ベルッチは最高に美しい。美味しい餅菓子。 2022年3月31日
量子力学の二重スリット実験はとても不思議だ。量子を一個ずつ二重スリットへ発射すると、誰も見ていない場合は量子は波として振る舞い、二重スリットを通過後に干渉縞を作る。しかし、誰かが実験を観察していると量子は粒子として振る舞い、二重スリットをくぐり抜けると、普通に二本線を映し出す。その時、観察者が「右へ」と強く念じると、右側スリットを通過する粒子は明らかに増加する。
実験者の意志が量子の動きに反映するとしたら、脳細胞の「量子もつれ」が深く関連しているのかもしれない。脳細胞の一部の「量子もつれ」は、すでに確認されている。
「量子もつれ」とは、2個以上の量子が古典力学では説明できない相関をもつ現象。
近年、量子よりはるかに大きな、炭素がサッカーボール状に繋がった分子・フラーレンでも、同じ二重スリット現象が確かめられている。そうだとすると、もっと巨大な宇宙にあるすべてのものが量子と同じ現象を起こす可能性がある。
念力とか魂とかは迷信とされて来たが、脳細胞に起きている「量子もつれ」と深い関連があるようだ。
2020年ノーベル物理学賞受賞者、アインシュタイン以来の天才と言われているロジャー・ペンローズ氏は、念力や魂を量子脳理論で解明しようとしている。
魂や意識と臨死体験との関連についての、ペンローズ氏の仮説。
意識は重力・空間・時間に影響されない素粒子より小さな粒子だ。
意識の粒子は通常は脳に納まっているが、臨死体験者の心臓が止まると脳細胞から飛び出て拡散する。
その人が蘇生すれば意識の粒子は脳に戻る。
死に至れば、意識の粒子は宇宙に浮遊し続ける。
そしてチャンスがあれば、別の生命と結びつき生まれ変わる。
意識は脳細胞に残る記録で、形はないと思われて来た。
目に見えない重力も磁力も全て粒子だ。同じように、意識を素粒子より小さな粒子とする仮説はとても斬新だ。
人の強い意思や願いは脳細胞の「量子もつれ」を介して、過去・現在・未来のすべてに影響を与えるのかもしれない。
知人は「自分は胃がんで死ぬ」といつも言い続けてた。彼女はその言葉の通り、80代半ばに末期胃がん宣告を受けてすぐに亡くなった。私にがん発症を伝えた時、彼女は「やっぱりね」と安堵した表情になった。長年「胃がんで死ぬ」と言い続けたので、その通りになったのだと思った。その逆に「必ず健康になる」とか「必ず幸せになる」と強く念じ続けている人はその通りになることが多い。
量子脳理論は物理学なのに哲学や宗教の側面があるようだ。
量子力学では、現実は二次元に記録された情報がホログラムのように投影された仮想現実だ、との考えがある。人の意識とものごと全ては、二次元上の膨大な記録と「量子もつれ」を介して繋がっているのかもしれない。だから、強く念じ続けると記録が書き換えられ、運命が変化するのだろう。
現実が二次元の無限な記録に基づいているなら、多重現実もあり得る。
そうだとすると、私たちが生きて感じている現実は、孤独でかけがえのないものだ。
東京都北医療センター庭の桜。
この桜とは、20年以上前に幼木が植えられた頃からの付き合いだ。
近年はすっかり成木になって、毎年、見事な花を咲かせてくれる。
コロナ前、病院下の見事な桜並木はすべて伐採されて幼木と植え替えられた。失望した近隣の住人たちは、今年はこの病院庭で花見をしている。だから、最近は私が好きなベンチがふさがっていることが多い。
女性の笑顔はとてもいい。
しかし、笑わないのに魅力的な女性は、それ以上に素晴らしい。
高慢ではなく、深い悲しみを秘めて毅然と立ち向かっている姿は美しい。
笑わなかった女性としてすぐに思い浮かぶのは、イタリア映画「マレーナ」のモニカ・ベルッチが演じるマレーナだ。2000年公開・ジュゼッペ-トルナトーレ監督・イタリア映画「マレーナ」は10年以上前に放映されたので録画してある。とてもいい映画だが視聴率が稼げず、その後の再放送はない。
映画の舞台は第二次世界大戦中。ムッソリーニのファシスト党が支配するイタリア、シチリア島。12歳の少年レナートは、夫が出征中の貞淑な人妻マレーナに夢中だった。
マレーナは、同級生たちや町中の男ーたちにとっても憧れの存在だった。だから、町中の女たちは彼女を魔女のように嫉妬し嫌悪していた。
マレーナに、夫がアフリカの戦地で戦死したとの訃報が入った。遺族年金だけでは生活できなくなったマレーナは、言い寄ってくる男たちに翻弄され、やがてドイツ兵たちを相手にするまでに身を落とした。
やがてシチリアに米軍が上陸した。
ドイツ兵を相手にしていたマレーナたちは、街の女たちからリンチを受けた。マレーナは失意のうちに街を去った。マレーナが住む、乾いた海辺の寂しげな映像はとても美しかった。
マレーナの夫は、右腕をなくして捕虜として生き残っていた。敗戦後に帰還した彼に街の人たちは冷淡だった。レナート少年は、マレーナがいなくなった訳と、彼女の行方を伝えた。彼はマレーナを探すために街を去った。普通の物語ならそこで終わるのだが、この映画は違っていた。
マレーナと夫は街に堂々と帰って来た。
街の広場を腕を組んで歩く二人に、人々は冷たい視線を向けた。
それでもマレーナは毅然として、毎日街へ出かけけた。
「マレーナは、さすがシチリア女だね」
マレーナの強さに、市場の女たちは敬意を抱き始めた。
その爽やかな結末は今も深く心に残っている。
作品中では、マレーナは一度も笑顔を見せなかった。
演じたモニカ・ベルッチは、モデルとしてデビューしたほどで、スタイル抜群で豊満だ。今も美しい女性として彼女を最初に思い出す。
モニカ・ベルッチの父親は運送会社経営で母親は画家だった。彼女は弁護士を目指した学生の頃にモデルのアルバイトをして認められ、その後、女優の勉強をした。現在、57歳だが今も美しい。
28日月曜夜のNHK番組「春よ来い」を見た。
出演した平原綾香の「春よ来い」は芝増上寺からの生中継。背景は夜桜と東京タワーと増上寺の大伽藍。平原綾香の「春よ来い」は熱く魂がこもっていた。
その後、国際情勢悪化で緊迫するフランス・パリからの中継映像。その映像をバックに、加古隆のピアノ・クァルテットの生中継。曲はすぐ前の番組「新・映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」。20世紀日本を代表する名曲の一つで、当然に素晴らしい。だが、背景のパリの昼間風景は白白と薄っぺらで違和感を感じた。
「映像の世紀」は真実をモザイクをかけずに映し出すことに意味がある。
だから、現実のままの白々としたパリでも良いのかも知れない。
今日の荒川土手は風が強く、時折雨が落ちてきた。
散見する白い花は山桜。夏にはさくらんぼが沢山実る。
土手にはヨモギがたくさん芽吹いていた。
今日3月31日に、115年の歴史があるサンフランシスコの和菓子屋「勉強堂」が、後継者不在のため閉店、とのニュースがあった。50年以上サンフランシスコに住んでいる知人は「勉強堂」の和菓子はとても美味しいと話していた。だから、米国人が何時間も並んで買い求めているくらいだ。店ではカード類は一切使えず現金売りだ。「品揃えも味も日本の餅菓子とほぼ同じ。ただ少し柔らかめ」と知人は話していた。
私はやや硬めな餅が好きだ。
しかし、サツマイモをつき込んだ柔らかな草餅は大好きだ。故郷の南九州では、それに甘いきな粉をまぶして食べる。赤羽に引っ越して来てすぐ、早春の荒川土手でヨモギを摘んで、芋と一緒につき込んで食べた。芋を加えた餅は、冷めてもいつまでも柔らかい。勉強堂の餅菓子も、芋餅の柔らかさに近いのかもしれない。
昔の南九州は台風銀座のため米作りに向いていず、足りない主食をサツマイモで補っていた。
私が育った漁師町ではサツマイモを、イモ飴、芋入りのご飯、芋餅と様々に加工して食べていた。
芋餅の材料の芋粉は、生芋の薄切りをゴザに広げて固く干して、石臼で粉にしたものだ。それを餅粉と練って蒸した芋餅は真っ黒で枕みたいに大きかった。固くなった芋餅は切って焼くと、香ばしくて強烈な個性があった。私は黒砂糖を加えた甘い芋餅が好きだった。
郷里の餅で大好きだったのは、節句のチマキと柏餅だ。東京のチマキは笹の香りが薄いが、郷里では生の笹の葉を使っていたので強い笹の香りがした。柏餅はサルトリイバラの葉に挟んで蒸し上げ、特有の香りがして美味しかった。
最近、欧米でも餅が大人気だ。と言ってもアイス入りの「雪見だいふく」の進化形だ。様々な果物で味付けされ、彩りもカラフルだ。南米産のキャッサバ粉は調理するとモチモチする。だから、欧米人にも好まれる要素があるのだろう。
子供の頃、冒険小説「家族ロビンソン」が愛読書だった。その中に、キャッサバ芋を摩り下ろし、絞って毒抜きをして食べるシーンがあった。とても美味しそうだったので、子供心に憧れていた。
上京してすぐ、銀座場末の中華料理店でキャッサバ粉で作ったタピオカを初めて食べた。とても美味かったので、次は幼い姪たちを連れて行った。透明でプルプルのタピオカをカエルの卵だと教えると「うそだー」と大騒ぎしながら美味しそうに食べていた。
それから50年以上経て、タピオカが大流行した。
タピオカやキャッサバ粉は、昔からアメ横で安価に売っていた。タピオカは透明にプルプルするまで茹でるのは大変だったが、キャッサバ粉の調理は簡単だった。水溶きして薄焼きにすると、モチモチしたトルティーヤができた。炒めた肉野菜等の具材や小豆餡を包むと、とても美味しかった。
薄く塩味をつけた豆大福も大好きだ。母は四の日の巣鴨刺抜き地蔵のお詣り帰りに、必ず大きな豆大福を買ってきた。豆大福の豆は赤エンドウだ。干した赤エンドウはアメ横で買った。赤エンドウは塩茹でにして、さいの目に切った寒天に混ぜ、黒砂糖の黒蜜をかけ豆かんを作った。黒蜜の甘さに赤エンドウの塩味とほんのりと磯の香りがする寒天が絶妙に調和して、とても美味しかった。
夜、食べ物について記入していると、無性に腹が減る。
心に残る餅菓子を妄想しながら、幾度も生唾を飲み込んだ。
散歩道の民家駐車場入り口に咲くスミレ。
左右に、スミレを避けるように車輪の跡が残っている。
まったく傷ついていないスミレに、住人の優しさを感じる。
3月31日今日、KDDIのガラケー3G回線サービスが終了する。
私のドコモ・3Gガラケーは人気機種だが、2026年にサービスは終了する。
私のガラケーは電池の持ちが良く、充電は月に2度ほどだ。
だから、2026年まで十分に使えると思っている。
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