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2022年5月31日 (火)

映像の世紀「テレサ・テン」は失敗。現代日本は全国民が心地よさを追求した結果生まれた。2022年5月31日

映像の世紀「テレサ・テン」は期待はずれで、テーマ曲「パリは燃えているか」は上滑りしていた。前回「"パリは燃えているか"は人の愚かさを露わにする」と書いた。切れ味が悪かったのは、NHKが忖度して中国の愚かさを薄めたからだろう。番組中に日本時代のヒット曲はなく、政治的な曲が目立った。その構成は民主化弾圧の暗黒史を浮き立たせたとは思えない。テレサ・テンのヒット曲の中「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」から一つでも登場させたら心に響いただろう。彼女は庶民的な歌手で、政治活動家ではない。今回の構成はエデット・ピアフの番組に「愛の讃歌」を登場させないようなものだ。

反政府の曲は観念的になりがちだ。1970年前後の新宿西口広場では、ギターを抱えたフォークシンガーを若者たちが黒山のように取り囲んでいた。聞こえてくるのは「ひょっこりひょうたん島」などの歌詞を反政府的な言葉で置き換えた稚拙なものだった。それを鼻にかかった甘ったるい歌声で聞かされると、心底ゾッとした。「こいつらは10年もすれば、結構いい会社に入って、70年代は、良かったなどとほざくのだろう」と思いながら、大人になっていた私は、広場を駆け抜けた。

故西部邁氏は東大自治会委員長として安保闘争に参加した左翼だったが、後年、右寄りの論客に転身した。彼が好きだった歌謡曲の一つに「川は流れる」がある。その歌詞には反戦とか反政府の言葉はないが、時代の空気を重く澱ませていた。彼は2018年、寒い夜の多摩川に入水した。その時、彼の脳裏に「川は流れる」が流れていたような気がしてならない。

故テレサ・テンのヒット曲も同じだ。「時の流れに身を任せ」のような甘く切ない歌謡曲の方が、より政治的メッセージを含んでいる。中国人が日本時代のヒット曲をどのように聞いていたかは知らない。しかし、今回のように、ステレオタイプに細工されてしまっては、気持ちはすれ違うばかりだ。

私が「川は流れる」を知ったのは18歳の時だ。在籍していた宮崎大宮高校は古代の川のなごりの"弦月池"に接していた。その淀んだ岸辺で生徒会主催の合唱大会があった。その時、配られたガリ版刷りの「川は流れる」の歌詞を、私たちは大声で合唱した。当時の私は難関の芸大受験を目指して、昼夜なく猛烈に絵を描きまくっていた。しかし、一次試験・国英社の勉強はまったくやらなかった。私が「川は流れる」に惹かれたのは、その矛盾に気づいていたからだと思う。
受験は実技に進む前に学科で落とされ、手も足も出なかった。
しかし、その障壁を逆手にとって、私はなんとか絵描きに転身することができた。

気温が30度を超えた日曜日、散歩道から5月の木々の梢の向こうに白亜の都民住宅が見えた。その風景が心地良かったのは、からりと晴れた日曜日だったからかもしれない。日曜・休日と無縁の生活を続けてきたのに、なぜか休日に幸せを感じる。若い日々のデートへ向かう高揚感が、まだ意識下に残っているのかもしれない。透明な大気と生き生きとした木々と美しい建物。その絵に描いたような光景に、幸せが集約されていた。

長く独りで生きていると、孤独に耐性ができてストレスは少なくなる。
家庭への調査では、伴侶や家族が「イライラ」「疲れた」の主因となっていた。

散歩道の私の前を、若い父親と小学一年生くらいの可愛い女の子が歩いていた。
買い物帰りの中年女性が父娘とすれ違った。
「あっ、先生だ」
女の子は、いつもとは違う姿の先生に驚いた様子だった。
「先生だ。先生だ。」
女の子は嬉しそうに、スキップを踏みながら女性に纏わりついた。
「そうよ。先生よ。」
女性は笑顔で女の子の相手をしていた。
それは「教職を選んで本当に良かった」と言った表情だった。

家族がそのような光景を保てるなら、イライラや疲労感は起きないだろう。しかし、どのように平和な家庭でも、予定外の異変は必ず訪れる。その時、期待と現実の齟齬によって不快感が生じるのだろう。
とは言え、日本は海外諸国と比べると、極めて穏やかな国だ。それは、どうすれば世の中が心地よくなるか、国民が一致協力して作り上げた、世界でも稀な国家だからだ。
「日本人が他人に気遣うのは、そうしないと世間から厳しい制裁を受けるからだ」
中国や韓国の人たちはそのように批判する。日本人が交通信号を守るのも、拾ったものを交番に届けるのも、ゴミを道路に捨てないのも、電車やスーパーのレジで行列を作るのも、守らないと社会から厳しい制裁を受けるから、と彼らは考える。
しかし、日本人の多くはそれを否定する。
そのようなマナー違反をしても、罰せられた人を見たことがない。
「他人からされて嫌なことは、他人にするな」
私たちは子供の頃から、そのように教わって来た。

子供たちは大人がすることを見て学ぶものだ。
日本の大人たちは、車が通らなくても交通信号を守る。なぜなら、どこからか、子供が見ているかもしれないからだ。
子供の道徳心は学校で教わらなくても、大人の行動を見て身に付ける。
海外の多くの国では、災害や暴動が起きると、待ってましたとばかり略奪が始まる。それは長年、大人や年長者たちが略奪をしていたからだ。子供たちは、災害などで混乱した時、どう行動すれば良いか大人たちを眺めて学ぶ。だからチャンスが到来すると、待ってましたばかり店のショウウインドウやシャッターを破って、欲しかったものを盗む。
不道徳なことを子供たちは、大人から学び、受け継ぐものだ。

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午前4時、外が明るくなったのでカメラを持って玄関前に出た。

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荒川河川敷では、桑の実とさくらんぼが熟し始めた。桑の実は甘いが、私はほろ苦く甘酸っぱいさくらんぼの方が好きだ。枝を引き寄せると、濃紫に熟した実が片手一杯は取れる。それを口に含み、タネは草むらに吹き出す。河川敷の桑や山桜は、そのようなタネが荒川上流から運ばれてきて実生したものだ。

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先に書いたように芸大に落ちたが浪人はせず、親戚の紹介で十条の腕の良い彫金師に弟子入りした。理由は職人仕事が大好きだったことと、好きな時間に働いて、多く稼げたからだ。
画像のルーペは、1980年1月、高級レンズを買ってきて真鍮で手作りした。視野が広く拡大率10倍でとても使いやすい。ルーペは今も毎日のように使っている。汚れればクエン酸で磨く。そのように手作りした道具が沢山あるが、私の人生が終わる前に、誰かに譲ろうと思っている。幸い、今はメルカリなどがある。価格を配送料のみに設定すれば、誰かが引き受けてくれるだろう。

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40年近く前、ルーペを使って作った金細工。金・銅の合金・赤金と、金・銀の合金・青金を組み合わせた。
当時は若く、硬貨模様なみの精密さを実現する技量はあった。しかし、それでは表現過剰なので、この荒さにとどめた。

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彫金で使う金敷は、金属を叩いて伸ばしたりするための大切な道具だ。
これは新幹線のレールを切断したもので10kgはある。長い板を細工するときに重宝した。今は玄関に置いてドアのストッパーとして重宝している。玄関なので金運がつくように真鍮色に塗装してある。

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ガクアジサイ。この花の横で、死の1ケ月前、母の写真を撮った。
だから、この花が咲き始めると母を思い出す。

明日6月1日は父の命日。仏壇の花を取り替え、果物を供えた。
終戦直後、私たちは食糧事情が良かった南九州日南へ引っ越した。母は戦前、その漁師町の漁師たちと交友があった。母は彼らに強く勧められて、私たちを連れて引っ越した。だから私は、1歳の誕生日をその小さな漁師町で迎えた。

父は終戦直後の博多に一人残り、一攫千金を夢見ていた。父は人脈を見つけるのが得意で、サッカリン、自転車の部品、と金になりそうなもの見つけて、小銭を稼いでは浪費していた。その時代に起業したソニー、ホンダは世界的な企業に育ったが、父には仕事を大きく育てる才覚は皆無だった。
父は人間も小さかった。以前、書いたようにが、闇で手に入れた高価なラッキーストライクの封を丁寧に剥がして、中身を国産タバコと取り替えて人前で吸うような、いじましい見栄張りだった。7,8歳の私が記憶しているくらいだから、子供心にも恥ずかしいと思っていたのだろう。

昔の日本は完璧なリサイクル国家で、終戦直後は「モク拾い」と呼ばれる職業があった。絵の長いキリのような道具で、道に落ちている吸い殻を突き刺して拾い集める仕事だ。それを業者が買い集めて、新しいタバコに再生していた。
その頃、ちょっと不良だっ兄は紙巻きたばこを作るブリキ製の道具を持っていた。古い英語辞書のページを四角く切り取って端に糊をつけて器具に装着させた。その紙に刻みたばこを一列置いて、ダイヤルをくるくる回転させると紙巻きたばこが1本完成した。とても楽しそうだったので私もやってみたかった。しかし、兄も楽しいようで、絶対にやらせてくれなかった。
品不足の象徴みたいなタバコだが、英文がプリントされた紙巻タバコは、今思うとお洒落だ。昔の西部劇では、カーボーイが紙片の一端を舐め、刻みたばこを器用に丸め込んで吸うシーンがよくあった。今は映画・ドラマから喫煙シーンはなくなった。

話は飛ぶが、40年昔、銀座場末のインド料理店でインドの安物タバコを売っていた。草の葉で刻みたばこを巻いたもので、形状は節分のチマキにそっくりだった。それを20本ほど束にしたものを200円ほどで売っていた。そのインドタバコを、音楽方面の素朴な友人に「インドの大麻の一種だ」とうやうやしく差し出すと、大喜びして「効くー」と吸っていた。記憶に残っている画像を検索したら「ビリ」と呼ばれる激安タバコだった。今も現地では市販されている。

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