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2022年5月14日 (土)

夜道の一人歩きでは、決して振り返ってはならない。死は、幾度も折り合いをつけながら受け入れてしまう。2022年5月14日

雨に濡れた夜の道は、白く光って死出の道のようだ。
先に逝った人たちは、そのような死出の道を一人寂しくあの世へ旅立って行った、と思っていた。しかし先日、夢の中で母と話してから、その考えは変わった。
「あの世への道は寂しかったでしょう」
母に聞くと「少しも寂しくなかった。あの日も大勢が死んだから、とても賑やかだったよ」と笑顔で首を振った。
にぎやかだったとの言葉に、すこし驚いた。私は思い違いをしていたようだ。
「死は孤独で、とても寂しい」は世間の思い込みだ。
寂しいのは残された方で、死んだ人は善人も悪人も煩悩から解放され、爽やかなはずだ。
夢の中で母と話して以来、夜の土手道は寂しくなくなった。
今宵の雨に濡れた土手道では、河川敷ゴルフ場のカエルたちの合唱や野鳥の鳴き声が聞こえた。夜風にはツルジャスミンが甘く香っていた。

不意に「夜道を一人で歩いている時は、絶対に振り返ってはダメだ」と、子供の頃に年寄りから言われていたことを思い出した。
「どうして?」と聞くと、何も答えず、ただ笑っていた。
それからは夜道を歩いていると、背後に何かの気配を感じて振り返りたくなった。
風に揺れる草木の葉ずれや枯葉のカサコソにもギクリとして「魔物がついてきているのかな」と無性に怖くなった。

東京は街灯が密に設けてあるので、現代子は夜道の闇が怖いことはないだろう。
しかし、住まい前の荒川土手に灯りは皆無で、時折、子供の頃の闇の怖さが蘇る。ことに、上着のフードが風でカサコソ音を立てたりすると、怖さが募る。でも「振り返ってはならない」と言われたことを思い出して、我慢して歩いている。一度振り返ると、何もなくても二度三度と振り返り、収拾がつかなくなるからだ。年寄りが「決して振り返るな」と話したのはそう言うことだった。

寂しい夜道で思い出すのは祖母が経験した出来事だ。
私は昭和20年1月、日田市豆田の産婦人科病院で生まれた。
その頃父は、日田郊外の山中・女畑(おなごはた)で、国策事業の用水路工事の土木技師として働いていた。住まいは村長宅の離れを提供されていた。博多で暮らしていた母たちも、空襲が迫っていたのでその住まいに疎開していた。

田舎が嫌いで博多に残っていた祖母は、私が生まれてすぐに、日田市から1里ほどの雪の夜道を歩いて母を訪ねた。
祖母が一人で暗い凍った雪道を歩いていると、ゴトゴトと誰かがついて来る物音がした。
振り返ったが誰もいない。
狐か狸に化かされていると祖母は思った。それで、路傍に腰掛けキセルを取り出した。狐や狸や山の魔物たちは、タバコの煙が大嫌いだと聞いていたので、お守りのようにタバコを身につけていた。刻みたばこを詰め数服すると、物音はピタリと止んだ。魔物たちを追い払えたと、祖母は安堵して歩き始めた。
しかし、ゴトゴトと更に大きな音が祖母を追いかけてきた。
祖母は恐怖にかられて、一目散に駆け出した。

祖母は息急き切って住まいに着くと、引き戸をバタンと開け、倒れこむように飛び込んだ。
「はばちゃん。どうしたの」
夕食後、くつろいでいた母たちは、青ざめて土間で腰を抜かしている祖母を見て驚いた。
「何か・・何かに・・追いかけられた・・」
祖母はしどろもどろに、やっとそれだけ言った。
しかし、母たちは祖母の姿を見て大笑いした。
解けた長い帯紐の先に大きな雪玉が凍り付いていて、漫画みたいだったからだ。

魔物の正体はその雪玉だった。
解けた紐先に付いた小さな雪玉が、雪道を転がりながら夏ミカンほどに大きくなっていた。
ゴトトゴトと大きな音は、凍った雪玉が凸凹の雪道を転がる音だった。
帯紐が解けたことにも気づかなかったくらいに、祖母は一人で歩く夜道が怖かったのかもしれない。

もう一つは、同じ女畑での初夏の出来事だ。
母と幼い姉は山を降りて日田市内に買い物に出かけた。
帰りは日が暮れて、月が山道を白く照らしていた。母と姉は楽しくて、童謡を歌いながらのんびり歩いていた。すると、突然、目の前の道は木の生い茂った山裾にぶつかり、そこでプッツリと消えていた。昼間、同じ道を下ってきたのに、それが忽然と消えてしまい母は茫然としてしまった。それは一本道で、間違えることは絶対にない。
意味がわからず、混乱して立ちすくんでいると、幼い姉が自信ありげに「大丈夫。大丈夫」と言った。そして、一人でグイグイその小山を登り始めた。母は、しかたなく幼い姉の後について行った。
登り切ると不思議なことに、小山の向こうの山裾から、見慣れた道が月光に照らされ、白く続いていた。
母は狐に化かされたような気がした。

二人はその山道を歩いて無事に帰り着いた。
その不思議な出来事を父に話すと、すぐに部落の人たちと確かめに出かけた。
その場所に着くと、母の話したことは嘘ではなく、立ち木が生えた小山が道を塞いでいた。

原因はすぐにわかった。その数日前に大雨が降って雨水が地中に溜まり、ゆっくりと山崩れが起きたようだ。山崩れが滑らかに起きたため、立ち木や下生えを全く損なわず、一片の土石も散乱させることなく、小山が道を塞いでしまっていた。
原因がわかれば、ただの自然現象だった。
しかし、幼い姉が小山の向こうに山道が続いていると確信したことが、母はとても不思議でならなかった。

その、半年後に私は生まれた。だから母の不思議な体験の記憶は、私にも微かに残っているかもしれない。
その姉は、母が死ぬ2年前に69歳で逝った。

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島忠前のベンチでお茶を飲んだ。
程よい暖かさが、とても爽やかだった。
時折、流れる雲から雨が落ちたが、傘をさすほどではなかった。

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田舎のような静謐な広場の舗道の隙間に夏草が生えていた。
不思議な懐かしさを感じる午後だった。
この近辺は、OKストアー、島忠、イトーヨーカ堂、ビバホーム、ユニクロと大型店が集まっている。
車での来客が多く、郊外型のショッピンセーンターの雰囲気だ。

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帰宅してすぐシャワーを浴びて、着ていたものを全て洗濯した。
週末にかけて雨が続くが、室内はまだ乾燥しているので、部屋干しでもよく乾く。
傍の洗濯機は二曹式だ。
自分で適度に調整できるので旧式は好きだ。

夕食後、仕事をしながらユーチューブ音楽を聴いた。
自動で再生されたのは「カッチーニのアヴェ・マリア」だ。歌手は旧ソ連邦ラトビアのリガ出身のイネッサ・ガランテ。この歌曲は、シューベルト、グノーと並んで「三大アヴェ・マリア」の一つとして親しまれている。
後年、カッチーニ作とされていたのは間違いだと分かった。本当の作家はソ連時代の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ。彼は自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあった。作曲家としての名誉を自ら捨てる謎の行動だが、当時の政治体制を恐れて、そうしたのかもしれない。彼は「カッチーニのアヴェ・マリア」がこれほど有名になるとは知らないまま、1973年、48歳で亡くなった。
そのようにロシアには変人が多い。数学の難問の一つ「ポアンカレ予想」を2003年に解いたグレゴリー・ペレルマンは、1億ほどの賞金を拒否して世間から身を隠した。世界を混乱させているプーチンもロシア的な合理性を欠いた変人の一人かもしれない。

カッチーニが活躍した500年近く前のバロックにしては、この「アヴェ・マリア」は、近代的な香りがすると思っていた。私が聞いたのは1時間以上に長大に編曲されたものだ。「アベ・マリア」の言葉を熱く繰り返すだけなのに、陶酔させる強烈な魅力がある。それはオペラ歌手、イネッサ・ガランテの並外れた力量によるものかもしれない。
ちなみに、マリア崇拝は一神教のキリスト教では禁じられている。しかし、ラテン諸国では大衆に熱烈に信仰されている。この究極の母性は、異教徒の私も強く惹きつけられる。「カッチーニのアヴェ・マリア」は様々な歌手が歌っているが、日本では異色のソプラニスタ・岡本知高が女性にはない魅力がある。

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「カッチーニのアヴェ・マリア」を聴きながら絵を描いていた。
背景を完成させてから消しゴムで消して、霧の中を進むように描き変えた。

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細部を消すには消しゴムを薄く切って使う。
それで、昔ながらの竹の洗濯バサミを削って、消しゴム挟みを作った。
この消しゴムは濃い鉛筆用で、軽くこするだけで綺麗に消してくれる。
私は昔から道具作りが大好きだ。
作品作りより、そちらの方に熱中している時間の方が長いくらいだ。

お笑いタレントの上島竜兵さんが自死された。
熱湯風呂の頃から、彼のフアンだ。
「なぜ・・」
報道を耳にして最初に思った言葉だ。仕事に行き詰まっていた訳ではない。もしかすると、長いコロナ禍が心を痛めつけていたのかもしれない。芸人さんのこのような訃報は本当に辛い。

最近の私にも死はとても身近で重い。だから最近、作品の整理をしている。書きかけの絵本原稿が多数見つかった。それらは到底、生きている間に完成させられない。無性にもっと時間が欲しいと思っている。

数ヶ月前にBS・TBSで「高校教師」の再放送があり、ネット上で話題になっていた。
作者の野島伸司が作品中に自殺を描けたのは、若かったからかもしれない。死が本当に身近に迫ってくると、自殺は重すぎてテーマには選びにくい。
関連して、2月に亡くなった石原慎太郎氏の絶筆「死への道程」を目にした。癌の再発を告げられ、余命が残されていないことを知ってから「以来、私の神経は引き裂かれたと言うほかない」と綴られていた。そして、故美空ひばり氏の「いつかは沈む太陽だから」を聴くことで、死との折り合いがついたようだ。

死との折り合いに決定的な方法はない。
幾度となく死と折り合いをつけているうちに、否応なく受け入れてしまう。夢の中で、母と「死出の道」について話したのも、折り合いの一つだった。明日より今日は1日だけ若い。だから、これからは悪い日も良い日もない。今日、どのような運命に出会うとしても、精一杯、楽しもうと思っている。

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