« 赤羽夏景色。酷暑の中、12回目の母の命日を迎えた。2022年7月1日 | トップページ | 安倍元総理銃撃・暗殺の背景。2022年7月9日 »

2022年7月 6日 (水)

酷暑の中、死への考察、コロナ、戦後レジーム、映像の世紀の女性活動家たちが学んだ合気道、などを思い返した。2022年7月6日

50歳を過ぎたあたりから、死をどのように迎えたらよいか、常に思っている。しかし、これから先も結論は出ないだろう。あえて言えば「死は荘厳な究極の否定」。古来、多くの賢人が解明を試みたのに明快な答えは一つもない。それらで分かったことは「死を支配しようなどと考えてはならない」ことだ。むしろ「何も考えずぼんやりと、死になされるがままに過ごすのが、最善の方法だ」と思うようになった。
荘子は「受け身こそ、最高の生き方」と言っている。年を重ねるにつれ、その言葉の重みが増す。

昨夜は涼し過ぎて明け方に目覚めて、夏布団を取り出した。
最近、夏風邪--公にはコロナだと言われている--が増えている。
クーラーをかけ、換気を抑えているのが原因だ。主症状は喉の痛みで、かってのコロナような味覚嗅覚異常は殆どない。コロナ用飲み薬を服用すれば重症化を防げる。4回目のワクチン接種の申込書が先月届いていた。悩むところだが、多分、今回は受けないだろう。

夜の荒川土手散歩は涼しくて快適だ。35度を越す酷暑の日でも、夜の土手道は26度ほどに下がる。自然は豊かだが蚊はいない。だから、深夜までジョギングを楽しんでいる人は多い。
夜の土手道を歩いていると、時折、死んだ母が話しかけてくる。
「あたしは死んでから、何年経つの?」
「13年目だよ」
「へー、そんなに経つの」
母は久留米なまりで、ちょっと驚く。

私に訛りはない。強いて言えば博多と久留米と日南の鈍りがミックスしたものだ。
絶対に宮崎弁は使わない。宮崎は明治以降県庁が置かれてから発達した町で伝統はない。親たちは、宮崎市は吹き溜まりだと話していた。実際、地元の人より、我が家のように他県から流れ着いたものがとても多かった。
だからか、宮崎市辺りの言葉には、人に阿るような雰囲気があり品がなかった。
それに対して、私が子供時代を過ごした県南の日南地方は、江戸から続く飫肥藩の文化があり、はんなりとした優雅さがあった。5年前に帰郷した時、地元の人たちの優しい言葉使いと品のある顔立ちに驚いたほどだ。

それでも、友人たちの宮崎弁は許容していた。しかし、友人たちに誘われて行った宮崎郷土料理店で、店主が馴れ馴れしく宮崎弁で話しかけて来た時は、嫌悪感を感じた。

M_1_20220706114701

「おじいちゃんのバス停」おやつ風景。
これは20年前から描き始めた。鉛筆画にした理由は、描き始めた頃に母の介護が始まったからだ。絵具で描くと、準備や後片付けに時間を取られる。その点、鉛筆画は時間の合間に気軽に手を入れられる。しかし、新境地も開拓したい。それで、セピア色の懐かしい写真と水墨画のイメージを取り入れた。良し悪しは人が決めることだが、良い反応を得ている。

M_2_20220706114701

僕の部屋、朝の窓辺。

円安が続いている。来日観光客には朗報だが、コロナ対策で観光客の来日は難しい。
いち早く、観光客を全面解放したタイは、欧米観光客で賑わっている。
「タイにも吉野家があるので日本料理は楽しめる。
今のままでは日本観光の魅力は薄れて飽きられ、観光産業は衰退の一途を辿るだろう」
そのような馬鹿馬鹿しいネット記事があった。日本観光の魅力が吉野家にしかないと記すのは、愚論すぎる。
コロナ対策は別にして、もし日本の魅力が吉野家にだけしかないとしたら、衰退しても仕方がない国だ。
本当の日本は多様性と独自性があり民度も高い。
日本の魅力は、海外に知られ始めたばかりだ。
タイ観光の落ち込みは悲惨レベルだった。
他に生きる道を多く持っている日本は、観光はタイに譲るべきだろう。

円安の利点は、10%の円安によって日本のGDPが0.4〜1.2%上昇することだ。
円安最大のデメリット、電気料金の急上昇は原発再稼働で解決する。
原発はすでに11年間止まっている。
この状況が続けば、安全稼働の技術継承は途絶えるだろう。
原発は、ただ止めているだけで安全を保てるわけではない。
むしろ、稼働させた方が安全だ、との考えがある。しかし、岸田政権は選挙が終わるまで行動しない。

先日月曜の映像の世紀バタフライエフェクトは「RBG最強の女性判事女性たち百年のリレー」
米国最強の女性判事と呼ばれたルース・ベイダー・ギンズバーグ、通称RBG、彼女を主軸に構成されていた。
男女平等は当然すぎることで、異論は全くない。
ただし、近年、活動が過激になって、自由を毀損する傾向が生まれているのは残念。
番組で面白かったのは、女性運動を制圧しようとする保守的な男性や警察に、日本の合気道を使って女性活動家たちが立ち向かったことだ。それはこの番組で初めて知った。今回の映像の世紀シリーズが面白いのは、毎回、日本との関わりを加えていることだ。

ちなみに、合気道の大名人・塩田剛三氏は身長154cm、体重46kgと、欧米の女性活動家たちより小柄だった。
塩田剛三氏の晩年、来日したロバートケネディ氏は彼の演武を見学した。その時、小柄な老人が大勢の屈強な男たちを、次々と投げ飛ばすのを見て、彼が本当に強いのか疑問を覚えた。それで、米国から同行した100kgの護衛官と対決させた。すると、護衛官はピンで止められた蜘蛛のように、床に簡単に這いつくばってしまった。喜んだロバートケネディ氏はその逸話を米国で発表し、合気道は米国で一気に認知された。
護衛官と塩田剛三氏との対決動画はネット上にあり、すぐに検索できる。

その頃、塩田剛三氏に他流試合を申し込んだ格闘家がいる。血気盛んな格闘家は本気で老人に殴りかかったが、一瞬で肩から落ちて脱臼してしまった。合気道の演武で、攻撃側が簡単に転がるのは、そのように転がらないと大怪我してしまうからだ。もし、頭から落ちれば首を骨折してしまう。

ロシアと一緒になって、中国が世界を不安定にしている。
なぜ、米国は中国を援助して自分たちを脅かすほどに豊かにさせたのか。
それは、日本占領が大成功だった、との思い込みがあるからだ。
その誤った成功体験が原因で、第二次大戦後に介入したすべての戦争で、米国は失敗を重ねた。

夏になると、大戦を思い出す。
沖縄戦の日本軍戦死者は、陸海軍その他を含め 計約8万9,400人。
一般住民の死者は10万人〜 15万人。
広島・長崎ではそれを上回る一般市民の死者を出した。
東京空襲での、確認された遺体数は10万5千人。
「沖縄は、日本の捨て石になった」
地上戦は悲惨だったが、前記の死傷者記録を見れば捨て石にしたとは言い難い。
「捨て石」にされたのは、満洲からの引き揚げ者たちだろう。

この言葉が作られた背景に、米占領軍のプロパガンダがある。
当時の米軍行政官は左翼が占めていた。
その伝統で、沖縄の左翼支配は今も続いている。
先の慰霊祭の厳粛な会場でも、
「米軍基地を追い出せ」
「日本政府は反省しろ」
と、怒号が飛び交っていた。

沖縄在中の活動家は、中国よりの左翼と韓国人が多い。
辺野古基地周辺には彼らがバリケードを作って、地元民でも、近づくと石や生卵を投げつけられ、車の窓ガラスを叩いて威嚇される。
残念ながら、多くの地元の人たちは、政治的に無関心になるように教育されている。

沖縄戦で米軍は、圧倒的な戦力を保持しながら、1万5千〜2万人の死者を出した。
この結果、本土決戦を忌避する空気が米軍に生まれた。
日本は一方的に敗戦したわけではなかった。

B29の空襲に対して、日本は手も足も出ず、国土は自由に蹂躙された、と教えられて来たが、真相は違う。
米軍記録では、B29・485機が撃墜された。搭乗員死者は3041人。それは神風特攻機で戦死した人員に匹敵する。襲撃したB29のほとんどは高射砲や迎撃機による損傷を受け、無傷で帰還する機は殆どなかった。日本軍戦闘機の変わったB29迎撃方法に、クラスター爆弾を使ったものがある。B29編隊の中央で爆発するようにセットされたクラスター爆弾を戦闘機から投下して、同時に数機を撃墜させたケースすらあった。

高高度から爆撃しても、軍事施設は殆ど被害を受けなかった。
だから低空攻撃をするほかなかったが、戦闘機の迎撃や猛烈な高射砲弾幕によって損害が増えた。そのために硫黄島攻略が必須となった。実際に、硫黄島陥落以降は米軍護衛機がB29爆撃に随伴したので、撃墜されることは減った。
その頃の日本は本土上陸に備えて、新鋭機やベテランパイロットの温存を図ったために迎撃は減った。国土は米軍機に蹂躙されたとのプロパガンダはそれ以降の状況に対して、作られたものだ。

米軍爆撃は軍事施設から、非人道的な一般住民の無差別爆撃に変えられた。
無差別爆撃の立案者カーチス・ルメイに対し、日本政府は1964年に勲一等旭日大綬章を贈った。航空自衛隊の育成に貢献したのが叙勲の理由だが、日本人として極めて恥ずかしい。
ちなみにカーチス・ルメイはキューバ危機において、即核攻撃を主張してケネディ政権と厳しく対立した。

第二次大戦中、大陸では日本は敗戦まで占領地を増やし続けていた。親しくしていた年長の知人は、北支から転戦を重ね、連戦連勝して終戦時は北ベトナムまで侵攻していた。
本土で米軍に占領されたのは、沖縄と南方の島嶼部だけだ。
戦後、日本の国体が維持されたのは、米軍側に対ドイツのような完全勝利の意識がなかったからだ。しかし、日本人お花畑脳への洗脳は世界史上稀と言われるほどに大成功した。そのことが後年、対中国政策を誤らせることになった。

日本の戦後民主化は、米軍占領政策の功績ではない。
元々、日本には民主国家の下地があった。封建時代の江戸時代であっても、他国のような専制国家ではなかった。実態は意外なほどに民主的で、武家による「切り捨てごめん」など現実には起きなかった。もし、理不尽に町民や農民を切り捨てれば、武士であっても厳しく罰せられた。裁判も、同時代の欧州と比べて民主的だった。明治大学の犯罪博物館に江戸期の拷問器具が展示されている。欧州では凄まじい魔女狩りに伴い、実際に拷問に使われていたが、江戸期では、拷問器具が実際に使われることは殆どなかった。なぜなら、もし自白が得られなかったら担当者は失策したとして罰せられ、拷問の許可をだした老中まで責任を取らされたからだ。

それ以前の安土桃山時代に来日した欧米人たちの印象でも日本の民度は高かった。当時は戦国時代であったにもかかわらず、日本は穏やかで貧しくても貧困はなかった。貧しい地域でも町の清掃は行き届き、笑顔が多く善良で、識字率は世界で突出して高かった。比べて、当時の海外での貧困地帯の悲惨さは凄まじく、不衛生で糞尿やごみ汚物に溢れ、犯罪が横行し、住民の殆どが文盲で教育も受けていなかった。
そのような歴史の真実が、日本で一般に知られるようになったのはインターネットの功績だ。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Mas

|

« 赤羽夏景色。酷暑の中、12回目の母の命日を迎えた。2022年7月1日 | トップページ | 安倍元総理銃撃・暗殺の背景。2022年7月9日 »