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2022年11月19日 (土)

浅草・龍泉・二の酉にお参りした帰路、旧吉原で迷った。2022年11月19日

16日は二の酉だった。今年は三の酉のお参りを予定していたが、快晴に誘われて午後4時に家を出た。日暮れが早く、京浜東北線王子駅に着く頃には黄昏ていた。王子駅前の陸橋を渡り、都電三ノ輪行きに乗車。例年、運転席脇に立って車窓を眺めていたが、50年以上、同じコースを辿っているので隅々まで記憶にある。座席に腰掛け、駅名のアナウンスを聞いているだけで沿線風景が目に浮かんだ。

終点三ノ輪駅界隈は、去年よりさらに寂れていた。梅沢写真会館 (旧三ノ輪王電ビルディング)を抜けて日光街道へ出る。梅沢写真会館を潜る抜け道は、20年前まで新聞販売店、飲み屋、惣菜やなどで賑わっていたのに、どの店もシャッターが締まったままで暗く寂しい。

常磐線の高架を抜け日光街道を上野方向へ歩いた。3年前からの空き地は今も放置されたままで、草が丈高く生い茂っていた。日本の空き地は放っておくと、すぐに自然が回復してしまう。それほどに豊かな国土なのだろう。

40年前、母が元気な頃に一度だけ酉の市へ連れて行ったことがある。その頃は軒の低い町屋が並び、小さく質素な店が軒を連ねていた。それらのほとんどはバブル期に地上げされ、ビルに建て替わっている。その一角にあった小さな駄菓子屋のおばあさんは、酉の市の客目当てのおでん屋を開いていた。その日は寒く、母におでんを食べさせたことを思い出す。その駄菓子屋は、それから4.5年は開いていたが、いつの間にか消えた。

東京メトロ三ノ輪駅の出入口前の交差点を渡り、さらに日光街道を歩く。この辺りまで来ると、大きな熊手を抱えた人を散見できる。
それから少し歩くと左右に分かれたY字路。その左、国際通りを辿る。すぐに夜店が増え始めて賑やかになる。露店商はコロナ自粛で大変に厳しい3年を過ごしてきたが、やっと客足が回復してどの店も活気があった。そのあたりは樋口一葉終焉の地龍泉。この町名標示を見るとレトロな歴史的な雰囲気が一気に高まる。

樋口一葉記念館の案内がある辺りから裏通りに入る。裏通りを少し行くと右手に「飛不動」。別名「飛行神社」と呼ばれ、航空業関係者のお参りが多いお不動さんだ。お参りしたあと、少し歩いて国際通りに戻る。例年、そのあたりまで行列が伸びていたのに、今年は三の酉まであるので参詣客は少なめだ。10分ほどの待ちで、境内に入った。

運気が低迷しているので、いつもは使わない鷲神社社殿左側でお守りの熊手・金のメタル付きを1500円で求めた。これは去年までなかった新作のお守りだ。参拝も例年の社殿右側からではなく、左側から行った。これで運気は好転するかもしれない。夏目漱石の言葉に「行動しないと、寝ている箸は立たない」がある。その通りだ。これから行動すれば、何か良いことが起きるかもしれない。

海外からの観光客は意外に少なかった。二の酉は海外観光客に認知されていないのかもしれない。しかし、夜店の通りは若い人が多く、活気があった。スマートボールの夜店で若い母親と男の子の2組が挑戦していた。なかなか球が一列に並ばず外ればかり。40前後の店主は気前よく何度も球をおまけしていた。結局、子供二人はともに当たって、大喜びで景品を選んでいた。サービスが良かったのは、若いお母さんたちが可愛いかったからだろう。眺めているだけで気持ちが温かくなった。

いつもは国際通りに戻って、浅草の観音様へ向かうのだが、千束方面へ歩いてみた。
遊郭の一角にあった吉原神社を左手に見ながら歩く。昔の東京の男たちは酉の市帰りに吉原で遊ぶのが定番だった。20年前まで、その通りは遊郭が転業したソープの店が多かったが、今は、多くが小さなマンションに建て替わっていた。しかし、少し裏通りにはいると、その手の店はまだ多く営業している。最近は、スマホ利用の気軽な男女の出会いが増えたので、やや衰退気味だ。

30年前まで、アールデコと色街のケバケバしさが融合したような、吉原特有の看板建築が多く残っていた。その頃、出版社企画で旧遊郭をスケッチする仕事を依頼された。それで、赤羽から川口にかけての遊郭跡を取材したことがある。旧遊郭のほとんどは連れ込み宿に替わっていたので、女性同伴で内部を見学した。色ガラスの窓や、球石を埋め込んだ通路、遊園地のような過剰装飾のお風呂など、遊郭の雰囲気が色濃く残っていた。部屋は和洋折衷が多かったが、剥き出しの梁がある部屋もあり、SMプレイなどに使ったと想像された。その企画は結局は潰れたが、今となれば貴重な思い出だ。

旧吉原にはそのような怪しげな雰囲気が、今も残っていた。どう見てもコーヒー客目当てではなさそうな、訳のわからない喫茶店がたくさんあった。一軒のドアが開いていたので中を見ると、壁に作業着がかかっている建築会社の事務所みたいな室内だった。その青白い蛍光灯の室内に、まったく唐突にカウターがしつらえてあり、目つきの鋭い男が片肘をついて外を眺めていた。コヒー客だけでは絶対に営業は成り立たない雰囲気だ。多分、遊郭の待合茶屋が現代風に変形したものだろう。

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通りを携帯をかけながら急ぎ足で行く女性とすれ違った。黒いファーのコートを着た、色っぽい女性だった。電話で指定された場所へ向かっているのかもしれない。我々の世代には、わずかだが売春防止法以前の記憶がある。ただ通り過ぎただけで胸騒ぎのする、不思議な郷愁を感じる町だった。

史跡吉原大門跡を抜け大通りにでた。吉原大門停留所に都バスが目の前にやって来たので乗車し、雷門へ向かった。仲見世の多くはしまっていたが、多くの海外観光客で賑わっていた。
扉が閉まっている観音様にお参りした。外の賽銭箱に参拝客が列を作っていた。私のすぐ前は、大阪から来たゲイの男女のカップルだった。いい女ぷりだが、尻周りが小さく男だとすぐに分かった。
境内のおみくじ売り場では、中年夫婦と美しい娘の3人連れがおみくじを引いていた。
「わぁ、すごい」母親は大吉を当てて大喜びしていた。
「こんなの、ありか・・」
凶を引いたらしい父親は苦笑いをして、落ち込んでいた。
両親の傍らの17.8の娘は、すらりと足が長い、本当に綺麗な子だった。

地下鉄で上野に出た。アメ横を少し歩いて、帰路につき7時頃に赤羽についた。埼京線は人身事故で止まっていた。赤羽で下車して、駅そばのスタバに入った。クリーム緑茶を飲みながら20分ほど休み、家まで歩いた。短時間に色々なことがあった。長いタイムトラベルをしてきたような気分だった。ちなみに三の酉は11月28日。冷え込んで酉の市らしくなりそうだ。

 酉の市 鳴かぬ小鳥は売れ残り

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