追加AI生成画像-9点。恥ずかしい行為ほど楽しい。2023年5月14日
一般的に、彫りが深く濃い顔立ちは写真写りが良い。
対して、薄す目の平板な顔立ちは写真写りが悪い。
しかし、写真では凡庸だったのに、実物は肌が綺麗で表情が豊で、実に魅力のある人も多い。その逆に、写真写りは良いのに、実物に会ってがっかりすることもある。
写真を撮ってもらった時、後でどの写真を送付してくれるかで、相手と自分の関係が見えてくる。
以前、仕事仲間の集まりで、知人が私の写真を10枚ほど撮ってくれた。そして後日、彼は私の髪が薄くなっている頭頂部を見下ろた角度の陰気な写真を選んで、メールで送ってきた。
「彼は、私が苦手なのかな」
その時、ふと思った。
彼はとても温厚で善良な人だったが、心の底には闇を抱えていたのかもしれない。
後年、それを裏付ける出来事が起きて、それを期に疎遠になった。
私の経験では、良い写真を選んでくれる人は概ね性格が良いようだ。
恥ずかしい行動。
公序良俗に反せず、人を傷つける行為や言葉でなければ、恥ずかしいことでも気にせず行動した方が良い。本人が楽しい行為ほど、他人の視線では恥ずかしく見えるものだ。
快楽のほぼ全てが、恥ずかしい行為から生み出されている。例えば、勇気を出して好きな人に告白するなど、その際たるものだろう。告白が成功したら幸せだが、失恋したとしても、長い人生の中では楽しい思い出になる。
逆に言えば、恥ずかしいことをやったことがない人生など無味乾燥でつまらない。
私は思いついたら実行せずにいられない性格だ。
子供の頃から恥ずかしいことを他人の10倍はしてきた。おかげで近年まで、毎日のように半世紀以上さかのぼっては恥ずかしいことを思い出して「嫌だ、嫌だ、恥ずかしい」と自己嫌悪に陥っていた。しかし最近、その自己嫌悪から解放された。「自分の意思による行動は、違うことない自分自身だ」と、過去を全て認めて、否定しなくなったからだ。おかげて、恥ずかしい記憶からは解放された。
自慢は楽しい。
以前、スーパーのレジで、母親に連れられた男の子が「今度、小学校へ入学するんだよ」と嬉しそうにレジの女性に自慢していた。子供の母親とレジの女性が親しいわけではない。母親は「そんなこと言って」と恥ずかしそうに顔を赤らめていた。レジの女性は笑顔で「そーお、大きくなって良かったね」と子供に話しかけていた。
その情景を思い出すと、ほのぼのとする。
しかし、18歳くらいの若者が「今度、大学に入学します」と知らないレジの女性に話したら、かなり恥ずかしい。自慢することが恥ずかしくなる年齢は、私の経験では8歳辺りからだ。
成長して恥ずかしさを自覚し始めても、人は自慢をやめない。それはもしかすると、生き抜くための大切な仕組みだからかもしれない。ちなみに、ネコやイヌでも獲物を人に見せて自慢する。野生動物でもオス同士が闘いに勝つと、誇らしげにメスたちにアピールする。自慢することは生き物の自然な本能のようだ。ただ、人が行う自慢は脳の発達によりシンプルさを失い、複雑怪奇に変化したのだろう。
私が子供の頃は終戦後の物が貴重な時代だった。
その頃、貴重だった真っ白な運動靴を買ってもらうと、近所を歩き回って誰彼なく自慢した。当時の子供の靴は実際の足より数センチ大きくて、爪先に新聞紙を詰めて調整していた。ブカブカの靴を履いて、近所を自慢して回る姿を思い出すと、ほのぼのとする。
35年程前、高校の同窓会の幹事をしたことがある。
熱心に事前の広報をやったおかげて、初参加の同窓生がとても多かった。
初参加の動機は、家を新築したとか、子供が有名大の医学部に入ったとか、自慢したい人が多かった。当時、同窓生たちは一様にそのような年齢に達して、同窓会は「自慢する」絶好の機会だった。しかし哀しいことに、他の常連の同窓生たちは冷めていて、適当にお愛想を返してお茶を濁していた。結局、初参加の同窓生たちは期待した目眩くような満足感を得られず、それ以降の同窓会には参加しなくなった。
丁度その頃、私は絵描きに転向したばかりだった。
まだバブルの余韻が残っていて、作品は予想外に売れ、仕事も多かった。元来、私は他人の気持ちなど考えずに、平気で成果を自慢する性格だった。だから、同窓会に参加する都度、作品を印刷したカードなどを出席者に配った。
その行為は裏で、多くの同窓生たちの反感をかっていたようだが、私はまったく気にしなかった。「それくらいのことでめげるようでは、プロを目指す資格はない」と思っていたからだ。
しかし、マウントを取るための自慢は恥ずかしい。
ステルス自慢は、相手にマウントと思われないために発達した。例えば、ブランド品のスカーフなどのメーカー・タグをさりげなく見せたりすることだ。それに気づいたら、すかさず「いい品ですね」と褒めると良い。そうすれば人間関係が良好に保たれる。
ただの自慢も、ステルス自慢も、かなり難しい。
そのコツは率直に1回だけ自慢することだ。
その時、気をつけなければならないのは、自慢を聞かされた相手が聞こえないフリをしてスルーすることだ。その時「聞こえなかったのかな」と2回3回と自慢を繰り返すと最悪になる。小さな声での自慢でも、相手にはちゃんと聞こえているものだ。
画像生成AIによって、あっという間にイラストレーターが大量失業し始めた。
殊にCGを駆使したような従来のイラストは大影響を受けている。
ただし優秀な作家はむしろ、生成AIを使って量産できるので、これから更に豊かになりそうだ。
従来型の画家も影響を受けるが、それは限定的なものだ。
たとえば、ピカソにそっくりな絵を生成して売ろうとしても、それは真似であって、ピカソの万分の一の価格でも売れない。
だから、すでに世に出て、地位を確立している作家は大きな影響を受けない。しかし、これから売り出そうとする新人には厳しい時代になりそうだ。もし画家を目指すなら、速やかに自作のイメージを世間に認知させるべきだろう。
Image Creatorで生成した画像。
「港町のカフェ」
Image Creatorの描く人物はかなり気持ちが悪い。
それで、ホトショップで大きく修正した。
「水の精霊」
こちらも、色味と透明な水の精を修正した。
「雨の午後」
古い写真のように、「萎れた薔薇」4点。
映画の1シーンのように「マリリンモンロー」
「森の神殿」
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