郷里の駅は無人駅になっていた。2023年7月10日-1
私が少年期を過ごした南九州日南市の漁師町は、昔は大漁続きで町には子供が溢れていた。
6年前、古い友人の叙勲を祝うため、私は招待された。
その帰り、空港まで送るという申し出を固辞して、思い出深い列車で空港まで行くことにした。
70年前の大堂津駅には駅員が6.7人いて官舎が併設されていた。
駅の構内には日通の支所があり、作業員がいつもコモや荒縄で海産物を梱包していた。
戦前に作られた駅舎はどこにも傷みはなかった。
しかし、目の前の鉄路は野草が繁茂していた。
目を瞑ると、その頃の情景が蘇った。
その頃は列車が到着すると大勢の乗客が下車してきた。
駅舎は子供達の遊び場になっていて、機関車を眺めて楽しんだ。
消えてしまった情景を思い出すと切なくなった。
30分ほど過ぎて着いた上り列車は乗客は数人だけだった。
その無人駅は数年前に取り壊され、簡素なコンクリート作りに建て替わった。
叙勲された友人のスケッチ。
典型的な日本人で、極めて善良な苦労人だ。
本当に叙勲にふさわしい人だと思つている。
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