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2023年8月28日 (月)

今年の暑さは炎のようだ。夜明け前に都会を感じる。西域への想い。2023年8月28日

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 「涼風」高原の湖を吹き渡る涼風を擬人化して描いた。
私の部屋は冷房を入れず、ベランダのガラス戸を全開にして過ごす。
しかし、近くに姉の部屋の室外機がある。今日のような南よりの風の日は、室外機の熱風が私の部屋へ吹き込む。

「まあ、仕方がない。ベランダのガラス戸を閉じて冷房を入れれば良いだけのこと」と、気にしてはいない。

例年の夏はただ暑いだけだが、今年はちがう。
大きな炎を目視しているような熱さだ。
「我慢してはダメですよ。歳なんだから」
家庭医は言う。
その言葉は医学的には正しい。
しかし人生では、体に悪いことをするのが正しいこともある。

先日、他所の冷房の効いた事務所で、終日、仕事の打ち合わせをした。
仕事を終えて外へ出ると、熱さに慣れていた体が、わずか6時間ほどで退化していることに気づき愕然とした。
帰りの街中では、熱気と湿気がねっとりと体にまとわりついて耐えがたかった。

我が家は荒川に近く、都心より2度は低い。
散歩道の荒川土手には、炎天下でも川風が吹いていて心地よい。
しかし、土手道を降りて北赤羽駅方向に200メートルも歩くと、確実に気温と湿度は上がって気分が悪くなる。
そこに住んでいる人たちが気の毒になる。

北赤羽駅から浮間橋を渡り、東京医療センターがある丘上の緑地地帯へ向かうと、再度気温は下がり始める。
樹木の気温の調整能力は驚くほど素晴らしい。
今回の絵は、その緑地帯のベンチで、藪蚊と闘いながら描いた。

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「夜明け」個人蔵。ドボルザークの「家路」を描いた。
本当は「家路」は夕暮れの曲だ。
しかし初めて聞いたのは、12歳の時、日南の漁師町から宮崎市へ引っ越した翌日の朝だった。

朝の光の中、この曲が近くのデパートから流れてきた時「今、自分は都会にいる」と、とても感動した。

今の住まいでは、夕暮れに川向こうの川口市から「家路」が聞こえてくる。
すると条件反射のように、私は「都会の朝」を思い浮かべてしまう。

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「青いナムジル・モンゴルの民話より」パロル舎。文・寮 美千子。絵・篠崎正喜。
出征した若い兵士ナムジルが愛した西域の美しい人。
しかし、ナムジルは兵役を終え、故郷へ帰還しなくてはならなかった。
彼女はナムジルを想って悲しんだ。

「西域」とか「シルクロード」などの言葉を目にすると憧れや胸騒ぎを感じる。
タクマラカン砂漠に、さまよう湖・ロプノール。タマリスクの茂み。
西域はほぼ砂漠地帯だが、少し北へ行くと絵のような森林地帯がある。
中国に支配されていなければ、すぐにでも行きたい地域だ。

既に亡くなったが、御茶ノ水大で中国学を教えていた中山時子さんと親しくしていた。
彼女は戦時中、北京大で学んだ。
戦後、東大は女性にも門戸を開いた。
引き揚げてきた彼女はすぐに受験した。
その時、入学した優秀な女性3人の一人が彼女だった。

彼女を介して中国人留学生などと僅かな関係はあった。
文化大革命の頃は、人民日報から雑誌などが送られてきた。
その後ネット時代に変わり、人民日報はネットで読み始めた。

人民日報はいつも、日本の総理を「〇〇」と呼び捨てにしていた。
「せめて〇〇首相と役職名を付けるのが、文明国としての礼儀だろう」
私はブログで人民日報の批判をした。
すると、人民日報へのアクセスが突然ブロックされてしまった。
その時、中国が一般市民である私のブログまで監視対象に入れていたことを知った。

すぐに人民日報へ「大国のくせに、やることが小さい」とメールを送った。
すると、ゴマ粒みたいな小さな字で「你明白了吗」(わかった)と返信が来た。
ブロックはすぐに外され、人民日報を読むことができた。
その経緯で、私は中国のブラックリストに載せられたと確信した。
だから私が、中国に行くことは絶対にない。

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