東京迷宮。十条の八百屋さん。2023年9月27日
「東京迷宮」コロナ禍の正月に描いた。
この頃とは違う意味で、今の東京は迷宮化している。
秋葉原のフィギア専門店では、海外からきたオタクが、よだれを垂らしそうにウインドウを覗いていた。
先日、浅草へ出かけたとき、カッパ橋のある田原町で海外観光客たちが下車して行った。
アメ横のエスニックな居酒屋の外テーブルでは、若い旅人が一人、ビールのジョッキを片手に、高架を過ぎる電車をぼんやり見上げていた。
迷宮には無目的に彷徨うの楽しさがある。
それは異郷での観光の極地かもしれない。
たとえば、バルセロナでサグラダファミリアに行くとか、
京都で金閣寺に行くとか、
目的があるうちは本当に旅を楽しんでいることにはならない。
その地が迷宮化したとき、目眩くような旅の楽しさが生まれる。
まさしく、今の東京がそれだと思う。
十条の昔ながらの八百屋。
赤羽の隣の十条には昔風の商店街がある。
7月1日の山開きの日、十条の富士塚にお参りしたあと裏路地を歩いた。
路地の小さな八百屋で、女主人と中東から来た若者が野菜料理について話していた。
その街で私は9年間暮らした。
小さな路地が多い町だった。
夏場など、開け放った家々の食事風景が道路から見えた。
当時はそれが普通のことだと思っていた。
住まい近くの床屋の主人は、隣の風呂屋に素っ裸で大事なところだけタオルで隠して駆け込んでいた。
彼にはグラマーな一人娘がいて、店を手伝っていた。
彼女に頭をあたってもらっていると、ふくよかな胸が肩に触れるので、ドキドキした。
父親は50前に突然亡くなった。
娘は同業の婿をとって理髪店を続けた。
その頃、ビートルズの登場で若者たちに長髪が流行り、理髪業はどこも大変になり始めていた。
仕事が減った娘婿は店を放り出して、競馬競輪に熱中した。
やがて借金がかさみ、一家は夜逃げして町から消えた。
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