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2023年9月28日 (木)

横浜中華街へ月餅を買いに出かけた。2023年9月28日

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先日、アメ横で買った輸入品の月餅が酷い味だったので、味覚が劣化したのかと心配になった。
それで27日に横浜中華街へ出かけ、重慶飯店でいつもの月餅を買った。


先日の輸入月餅は塩卵黄身1個入りで600円だった。
今回の重慶飯店月餅は塩卵黄身2個入り。
重さもアメ横輸入月餅の2倍ほどで1個972円。

重慶飯店月餅はいつも通り、とても美味しかった。
私の味覚劣化がなくて安堵した。
アメ横輸入月餅は餡を小麦粉で増量しているような粗悪な味だった。

皮は重慶飯店月餅はパイのような豊潤な味。
対して、アメ横輸入月餅は生焼けのパン生地の感じ。
しかも、値段もかなり割高だ。

アメ横の店は長年利用していて信頼できる。
もしかすると、中国の輸出業者に騙されたのかもしれない。
しかし、味見はしたはずだ。
中国人店主はあえて気づかないフリをしているのかもしれない。

かの国のメーカーは信頼に欠ける。
その点、中華街の老舗は日本での信頼を大切にしている。
在日中国人も、
日本中華は本国より良心的で美味しいと評価しているほどだ。

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画像は「ヴォーグ社手芸雑誌の目次・母が編んだ毛糸の絨毯」
母は私たちのセーターが古くなると解いて絨毯に編み込んでいた。
だから絨毯は年々厚くなった。
子供の頃、絨毯に寝転んでいと、母は一つ一つ毛糸の由来を話してくれた。


絨毯には横浜元町の手芸店で買った輸入毛糸も含まれていた。
だから、子供の頃から元町に親しみを感じていた。
昔は大きな港や軍港には必ず手芸店があって繁盛していた。
海外航路の船員や海軍水兵は長い船旅の間、
暇な時間に編み物をして過ごした。
完成したセーター・マフラー・手袋などは家族への土産にした。
ちなみに日本の編み物の技法は英国海軍直伝だ。

石川町駅で下車した。
元町を歩きながら、子供の頃に母が話してくれたことを思い出した。
通りに横浜らしいスタバがあったので入った。
注文カウンターで、先日、浅草雷門のスタバで、
注文上がりを知らせるためにニックネームを聞かれたと話した。
「それは米国スタバの習慣だと思います。
でもよかったら、お名前を教えてください」
注文カウンターの女の子が笑顔で聞いた。
「マー・ピンポーです」と答えた。
そしてすぐに「冗談ですよ」と否定した。
彼女は楽しそうに笑っていた。
彼女の可愛さは、海外観光客が褒め称える日本品質だった。

元町は以前より宝石店が増えていた。
この街は東京より静かでお洒落で品が良くて、大好きだ。


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「山下公園の黄昏」中華街の重慶飯店から山下公園へ向かった。
海辺へ出ても赤羽より蒸し暑い。
夜風を期待していたが、早々に引き返した。グランドホテルの裏通りを通って元町へもどることにした。
道路に面したホテルの厨房から美味しそうな匂いが漂ってきた。


60年近く昔、同じ道の暗闇から
オレンジの芳香が漂ってきたことがあった。
闇に目を凝らすと、浮浪者が美味しそうにオレンジに齧りついていた。
当時、オレンジは高級輸入品で庶民には縁遠い果物だった。
多分、古くなって客に出せないオレンジを、
厨房のスタッフが浮浪者にあげたのだろう。

その頃、中華街で買った大量の輸入食材を下げて、
深夜の真っ暗な倉庫街を歩いていたことがある。
すると警備のパトカーが通りかかって捕まってしまった。
食材に輸入品を示すラベルが貼ってなかったのが理由だ。
パトカーに乗るのは初めてだったので、私は嬉しそうにしていた。

すると「困りましたね。あんなところを深夜に歩いていてはだめですよ」
と諭され、横浜駅までパトカーで送ってくれた。
今考えると、犯罪ドラマに出てきそうな寂しい怖い場所だ。
よくそんなところを一人で歩けたものだと、
思い返すと冷や汗がでる。

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「グランドホテルの中庭」周りを瀟洒なレストランが囲んでいる。
母は若い頃、久留米から上京して、このホテルを定宿にして根岸の競馬場へ通っていた。
母の話では、掛け金の最低額は今の10万ほどだ。今の競馬場の感覚とはかなり違う。

当時、母はそこで中国財閥の息子と知り合い、交友があった。
後年、母が満洲へ家出した時、
彼からもらった名刺が大変に役に立ったと話していた。

中庭はクリスマスが近づくと美しく飾り付けられる。
誰でも見ることができるので、機会があったら是非お勧めする。

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「横浜から帰る・歩数15000越えで、かなり疲労」
帰りは石川町から大宮行き各駅停車で赤羽まで1時間半かかった。
行きは東海道線を利用したので50分ほど。
帰り、新橋あたりから都内に帰ってきた安堵感があった。
帰宅すると姪から米沢土産の駅弁「牛肉どまん中」が届いていた。
空腹なのでとても美味い。


横浜へは頻繁に行くが、浜松町-横浜区間はほとんど縁がない。
乗客の雰囲気も都内北半分と少し違う気がする。

蒲田には昔、印台作りをしている知り合いがいた。
人から印台を頼まれ、仕事場を訪ねたことがある。
鰻の寝床みたいな仕事場では若い弟子が4.5人、忙しそうに働いていた。


印台とはハンコを兼ねた男用のゴツい指輪のことだ。
殊に金の印台は昔の土木・大工さんなど職人さんのステータスで憧れだった。

普通は印面に名前を入れるが、入れない人もいた。
そのような印台は、さらに稼いだ時に穴を開け、ダイヤを星留めにした。


印台作りの職人さんの左手の親指と人差し指はカニのハサミのように異常に発達していた。
その指でがっしりと金の塊を挟み金槌を打ち付けると、あれよあれよと印台は完成した。


高度成長期に印台作りは全盛期を迎えたが、時代が落ち着くに従い廃れて行き、太い頑丈な指の職人さんたちは転業していった。
いくら頑張っても、結局は自動生産や海外生産に潰される訳だから、早く転職した方が生き残る確率は高かった。



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