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2023年10月 4日 (水)

上野公園の可愛い子。昔描いたプール脇のパーティー。2023年10月4日


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「上野公園の女の子」雨で涼しい。
出かけたくてウズウズするので上野へ出かけた。
上野は赤羽から2つ目の駅だ。
何故か最近、新宿・渋谷方面へ行く気にならない。
こちらの南東方角が無性に好きだ。
東京、銀座、新橋、そこから一気に飛んで横浜、鎌倉が良い。


今日は上野公園へ行った。
上野公園口は改装され、すっきりとして瀟洒だ。
噴水前のスタバへ入ろうと思ったが、海外観光客が大勢並んでいたので諦め、木陰のベンチに腰掛けた。
小雨が降っているが、むしろ心地よい。
東南アジア辺りから来た女の子たちが厚めのセーターを着て、はしゃぎながら噴水前を通り過ぎた。
常夏の国の女性たちはセーターを着るのが憧れと聞いたことがある。
しかし気温18度では、セータは暑そうに見える。

隣のベンチは、日本人の4.5人の若い男女が楽しそうに話していた。
女の子がうっかりお茶を白いスカートにこぼした。
「おいおい、すぐ拭かないと、おしっこ漏らしたみたいだぞ」
男の子たちが囃立てた。
スカートを汚した女の子は、明るく笑い転げていた。
お茶をこぼしても可笑しい歳だ。
すぐ前を通りかかった欧米系の若い旅人二人が笑い声に振り返った。
どことなく羨ましそうな視線だ。
海外の人たちには、日本人の女の子の声は小鳥の囀りのように可愛く聞こえるらしい。

そこからアメ横へ向かった。
雨の都会風景は本当に美しい。
さらにアメ横はますます無国籍化して、異国へ旅している気分になった。
食材を買って、上野駅構内のドトールでココアを飲んだ。
この絵は、そのカウンターテーブルで描いた。
子供の頃から、紙と鉛筆があればまったく退屈しない。

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「プールサイドでの少し心が痛いパーティー」若い頃の作品。
水面に描いた黒は心の影。その頃は節操なくパーティーに出席していた。
出席すると、みんなが妙にマウントを取り合っていて居心地が悪かった。
それでも誘われたらホイホイ出かけていた。

「嫌なことでも経験すれば、それなりに役立つ」
との信念があったからだ。
それは確かだった。
パーティーでの人間観察はとても面白くて、後年絵描きに転向した時、人物描写にとても役立った。

不思議なことに、その時に親しくなった人たちとは今はきれいさっぱりと交遊は消えてしまった。
しかし、絵描きに転向してからの人脈はいまも途切れずに生きている。
それは人として真摯に向き合っていたからかもしれない。

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「生命倫理」日本生命倫理学会冊子の装丁。
保険会社の日本生命の倫理部門が発行した冊子と間違われることがよくある。
これは医学者・宗教家・哲学者を網羅して、設立に養老孟司氏が深く関わった生命を考える真面目な学会である。
事務局はメンバーの属する大学や宗教施設などに持ち回りで設けていたが、今は専任の事務局が設置された。


長い間、医師と看護師団体がこの冊子に協賛していたが、今は看護師団体が抜け別の研究誌を発行している。

この回の装丁は一部の医学者たちからクレームが入った。
何故クレームが入ったのか私なりに考えてみた。
理由は次のようなことだ。
医師たちは無意識に描かれている女性を診断してしまった。
精神医学の方たちは、キリン・夜明け前・眠っている女性の組み合わせを解析してしまった。
いずれにもマイナスイメージが含まれていて、受け入れ難かったのだろう。

絵の心理学的な解析は、絵描きならだれでも必ずしていることだ。
そのように考えると、クレームがとても納得できる。
それ以降は冊子装丁に人を描くのをやめた。

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「国ことば」高野公彦・短歌。絵・篠崎正喜。
くもん出版から受けた昔の仕事。
 
語尾にゆたかに 母音あり 母音は海と 日の匂いする。

子供向けの詩や短歌などに絵をつける仕事だった。

先ほどまで、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をYouTubeで聴いていた。
4年間で1130万回視聴の名曲だ。

若い頃は、寒くなるといつも北国へ旅していた。
私が初めて青函連絡船に乗った頃、石川さゆりは5歳くらいだ。
それから13年後あたりに「津軽海峡冬景色」が発表された。
もし、連絡船に乗った頃にこの曲があったら、
船上で感激しながら聴いていただろう。

初めて青森で連絡船に乗った時、
デッキから、去っていく青森港を眺めていた若い女の子がいた。
その様子から、東京からの帰省のようだ。
彼女の長い睫毛に雪が積もっていたのが、強く印象に残っている。
日が落ちてから通過した竜飛岬は、
歌詞のように暗い雪の中に微かに見えた。
そのように、若い頃に旅をすると、何でもない出来事が感動に変わる。

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