毎日母を見にやってきた初代トムと、パーテイーの思い出。2023年10月6日
「毎日、母を確認に来る黒猫トム」
40年前、毎日我が家を覗いて行く黒猫がいた。
窓辺で母が編み物をしているのを確認すると満足して帰って行った。
「おばあちゃん、生きていて良かったね」
トムはガラス戸の桟に足をかけ、ビックリするほど長く体を伸ばして目をクルクルさせて母を眺めていた。
トムは隣家の初代の飼い猫だった。
子猫の頃から遊びに来ていた2代目トムは、私たちを飼い主の一人と思っていた。
彼は1日中我が家で過ごして夕暮れに帰って行った。
猫は自分から飼い主を複数選ぶ習性がある。
我が家には、そのような他家の飼い猫がいつも遊びに来ていた。
毎日、遊びに来ていた赤トラは「バカ」と呼ぶと「ニャン」と返事した。
不思議に思って、そのことをメモにして首輪にくくり付け帰すと、翌日、返事を下げてやって来た。
「この子の名前はバクです」
なるほど「バク」と「バカ」は似ている。
でも「バカ」の方が呼びやすいので、ずっとそう呼んでいた。
バクはとても頭が良くプライドの高いネコだった。
忙しい日、煮干しを与えて追い帰そうとすると、とても怒って餌には口をつけずに帰った。
「餌をもらいにきたのじゃニャイ」と態度で示したようだ。
バクは強い猫で、テリトリーがとても広かった。
隣の赤羽台団地で夜更けに出会うと、嬉しそうに遠くから駆け寄ってきた。
喧嘩が強いネコだが、あまりにも遠くまで来てしまい心細かったようだ。
パーティーに無節操に出席していた40年前、38歳の恥ずかしい写真。
彼女のお嬢さんはとても綺麗な人だった。
その人は美大でデザインを学び、服飾デザイナーになろうとファッションブランドに就職した。
するとすぐに御曹司に見初められ、家庭に入ってしまった。
写真の彼女はこの10年後に突然亡くなった。
彼女のお嬢さんは、今も個展をすると来てくれる。
コロナ前に個展をした時、色ぽいファションで来訪してくれた。
エッチな冗談を言うと「あなたは、黙っていればとてもいい人なのに」とピシリと叱られた。
その向こうっ気の強さが、さらに可愛い。
パーティー会場はホテルが多かった。
個人宅でのパーティーは、バブルの頃はとても多かった。
埼玉の資産家宅でのパーティーでは、トイレに入ると10畳間ほどの広さがあり、落ち着いてできなかった。
日本にも信じられないような豪邸はたくさんある。
私が好きだったパーティーは、食品メーカー主催のものだ。
昔、サントリー会長主催の時は、信じられないほど食べ物が豪華だった。
最近は誘われてもパーティーには出席しない。
前回記入したように、マウントの取り合いが面倒だ。
殊に近年は、米国ドラマのようなステルス・マウントの取り合いが多くうんざりする。
しかし、パーティーに出席しなくなった理由は他にある。
東京全体が、パーティー会場のように楽しいからだと思っている。
「勇者たちの聖なる丘」若い頃の作品。
何も恐れず空へ空へ、勇者たちは浮遊して行く。
多分、その頃は何かを恐れていたのだろう。
だからこの画像に、解放される願いを込めたのだろう。
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