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2023年10月 3日 (火)

中国文化大革命の裏側での若い頃の絵。絵描きに転向してアートは格闘技だと知った。2023年10月3日

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「狼と女」若い頃の作品。未熟だけどエネルギーはある。
夜も寝ないで、猛然と何枚も何枚も描き続けていた。
私は決まった時間に働いたことがない。
収入も同世代と比べるとかなり高かった。
しかし、若者らしく鬱積したものはあったようだ。
それがこの絵に読み取れる。

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「屋上の片隅に追い詰められた黒猫」若い頃の作品。
傍らのTVでは「映像の世紀・バタフライエフェクト・竹のカーテンの向こう側」をやっていた。
中国ベッタリだったNHKが批判的に描くようになったことに隔世の感がある。


この絵を描いた頃、中国では文化大革命の最中だった。
北京から毎週、人民日報の週刊誌が送られてきた。
建前は有料だが、請求されたことはなかった。


内容はよく覚えている。
「農業は大寨に学べ」とか「チベット解放」とか「毛沢東の大躍進政策の正当性」などがあった。
今思うと報道を「農業は大寨に学ぶな」「チベット植民地化」「毛沢東の大躍進政策の失敗」と逆に解釈すれば、当時であっても真実が見えたわけだ。
「映像の世紀」を見ながら、報道に対して疑念を持つことの大切さを思った。

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「ゴミおじさん」若い頃に描いた絵だ。
その頃に作ったこのキャラクターは今も頭から離れない。
時折、今も絵の片隅に登場する。

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「T氏・肖像画」肖像画を依頼した彼は、南九州で先進的な農園経営をしている。
今の技法と若い頃の荒々しい技法を融合させて描いた。
今回、若い頃の作品を連続して投稿したが、その技法はいつか役立つものだ。

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「Sentimental GODZILLA」絵描きに転向してすぐの作品。
アートは制作姿勢を含め格闘技に近い。
この絵は愛知の美術館の企画展のために描いた。
企画展は成功し、この絵はテレビ局でメインに取り上げられて放映された。

その結果、美術館買い上げが決まった。
しかしそれから、極めて怪しいことが起きた。
「美術館が作品を5万で買ってやってもいいと言っているので、検討してほしい」
企画を請け負った画商から電話が入った。
画商は私を素人の新人だと思っている様子だ。
すぐに他の出品者に聞くと「出品料の5万円と一緒に、作品は手元に戻ったよ」と教えてくれた。
私はその5万の出品料を貰っていない。
美術館出費の出品料5万円を買い上げ料にして、作品を取り上げる魂胆だと分かった。

すぐに画商が経営する画廊へ出かけて告げた。
「5万で50号の絵を売る訳がないだろう」
「では150万でどうだ」
画商は買取価格を30倍にした。
それが本当なら美術館はその倍の300万以上で買い上げを決めているはずだ。
今までの経緯を見たら、150万を素直に支払うとは信じられない。
「支払わずに、ズルズル踏み倒すに決まってるだろう」
私は強く言い返した。
「自分には有力な美術評論家がついている。
そんな強引なことを言うと、絵の世界で食えなくなるぞ」
画商は脅した。
かまわず私は出品料の5万は受け取らず、
強引に作品を回収して持ち帰った。

持ち帰った作品は輸送料50万かけて美術品輸送の専門業者に依頼し、九州の出身小学校に寄贈した。
東京からの輸送トラックには、梱包した絵に担当者二人が付き添って来た。
それは美談として、地元の新聞社やテレビ局で大きく報道された。

ちなみにその画商はその数年後、障害者美術家を支援する善意の人としてNHKが取り上げていた。
アートの世界にはそのような胡散臭い話が山ほどある。

「Sentimental GODZILLA」・・・あの頃から長い時が過ぎた。
凶暴だった彼は今は心優しく 静かに音楽をかなでていた。
そこは南の国の雨上がり。
彼は琥珀色の、追想の日々を過ごしていた。

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