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2023年10月20日 (金)

60年前の安達太良山の思い出。2023年10月20日

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60年昔の19歳の思い出だ。
5月の連休明け、私は突然旅に出たくなった。
仕事の手が空いていたので、師匠から3日間の休みをもらい、給料の前借りをして出かけた。
上野で夜行列車に飛び乗ると、夜明け前に列車は郡山辺りを走っていた。
間もなく左手に朝日に染まった安達太良の山塊が見え始めた。
その広大な山の姿に惹かれるように二本松で下車した。

宿は決めていなかった。
駅員に相談するとは親切にあちこち電話をして宿を手配してくれた。
当時の国鉄駅は観光案内所を兼ねていた。
30分ほど待つと可愛い女中さんが迎えに来た。
「旦那さん、お荷物を持ちます」
小柄な少女は私の背から大きなリュックを無理やり取って担ぎ、元気に歩き始めた。
旦那さんと呼ばれたことと、後ろからついて行く自分がとても恥ずかしかった。
「重いでしょう」と聞くと、那須の開拓農家で育ったから、このくらい平気だと答えた。
宿の主人は少女の親戚で、連休に引き続き高校を休んでアルバイトをしていると話した。

宿に着くと、宿の主人が炬燵へ迎え入れてくれた。
福島の五月の早朝は寒いくらいだ。
主人は七十代半ばの頭を剃り上げた元気な人で、粋な柄の端布を繋いだ半纏を羽織っていた。
「どちらから来なすった」と聞かれたので「東京から」と答えた。
主人は長火鉢の鉄瓶からお茶を入れてくれた。
「二本松でも少年隊が討ち死にしたのに、白虎隊ばかり有名で残念だ。是非に二本松城を見てくれ」
彼は維新の頃を昨日の出来事のように話した。

大広間で泊まり客たちと一緒に朝食を済ませた。
それから少し仮眠を取った。
当時は若く、一晩くらい寝なくても平気だった。

駅へ迎えに来た若い女中さんが廊下を通りかかったので、二本松城址への道順を聞いた。
「お昼の後まで待ってくれたら、案内してあげる」
と少女は快活に言った。

お昼ご飯のあと、少女の案内で城跡公園に出かけた。
見学より、彼女と散歩するのがとても楽しかった。
九州にはいないタイプで、色白で目鼻立ちがくっきりした子だった。
翌日、安達太良山に登ると話すと、明日は休みだから一緒に行こうと言った。
ただし、宿の人に黙っているように念を押された。


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翌朝、宿で弁当を作ってもらった。
「彼女は本当に行ってくれるのかな」
私は不安げにバス通りへ歩いた。
バス停の手前で、物陰から突然に少女が現れた。
笑顔で近づいて来ると、男の子のように「やあ」と私の体を軽く押した。
それまでの憂鬱さは一瞬で吹き飛んでしまった。

安達太良登山口がある岳温泉行きのバスには乗り遅れた。
気にせずタクシーを拾うと、少女はタクシーは始めてだとはしゃいでいた。
岳温泉は宿が十数軒だけの小さな温泉町だった。
中央にだだっ広いコンクリートの坂道があり、どの宿も斜面を転がり落ちそうに建っていた。
少女は旅館で働いている女友達を呼んで来ると旅館へ走って行った。
連れてきた友達と喫茶店へ入った。
二人は喫茶店のコーヒーとケーキは始めてだと大喜びしていた。
「タクシーでここまで来たよ」
少女が話すと、友達は目を丸くしていた。
友達はケーキを食べ終えると、急いで職場へ戻って行った。

安達太良のスキー場まで歩いて、閑散としたリフトに乗った。
山腹からウグイスの声が聞こえた。
リフトの終点から頂上は近い。
私は楽しくで足が早くなった。
少女は「こわい、こわい」とついて来た。
「何が怖いの」
聞くと少女は笑い転げた。
「こわい」は福島の方言で「疲れた」の意味だった。

山頂に近づくと雪が残っていた。
溶けかけた残雪に少女の運動靴は足首まで沈み濡れてしまった。
見晴しの良い日溜まりで小休止した。
そして、びしょ濡れの少女の靴下を私の予備の靴下と取り替えさせた。
少女は濡れて固く締まった靴下を脱ぐのに苦労していた。
手伝うと素足に一瞬手が触れた。
少女は頰から耳元まで赤くなった。
私は一瞬、どう対処していいのかわからなくなった。
気まずさを打ち消すように早い昼食にした。
それぞれの弁当を分け合って食べた。
そこからさらに残雪が多くなる気配だ。
運動靴の彼女には無理だと判断し登頂は諦めた。

下山し始めると少女は無口になった。
「なぜだろう」
若い私は少女の気持ちが分からなくなり、気持ちが混乱した。

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午後の明るいうちに、二本松行きのバスに乗った。
席に着くと、少女は「いつ帰りますか」と聞いた。
「明日朝、東京へ戻る」と答えると少女は無言で外を眺めていた。
二本松に着いた。
二人は他人のように間隔をずらして下車した。

夕食の給仕は年配の女中さんだった。
彼女は笑いながら言った。
「タクシーで岳温泉へ行かれたようですね。
田舎ですから、誰かが見ていますよ。
お客さんは真面目そうだから心配しませんけど、人様の娘を預かっていますので、気を使います」

少女は主人から叱られたと思った。
自分のせいだと思うと気が重くなった。
庭を隔てた大広間では宴会が始まって、深夜までうるさかった。
なかなか寝付けず、夜明け前に少し眠っただけで起床した。
大広間での朝食の時、遠くで給仕をしていた少女は、私と一度も目を合わさなかった。

朝食後、部屋に戻って帰り支度をした。
すると少女がやって来て正座し「どおぞ」と紙袋を私に差し出した。
紙袋を開けようとすると「列車の中で見てください」と言った。

列車の中で紙袋を開けると、
洗ってアイロンを当てた靴下と手紙が入っていた。
「安達太良山へ一緒に行けて、とても楽しかったです。
アルバイトが終わったら手紙を出します」
私は何度も読み返した。

帰京して1週間後に手紙が届いた。
すぐに返事を書いたが、やりとりはそこで終わった。
今は新幹線で乗り継げば3時間弱で二本松に着く。
しかし当時は、とても遠かった。
だから、互いに切なさがあったのだと思う。

今も安達太良山の名を耳にすると、
5月の北国の新緑と少女を思い出す。


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