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2024年1月10日 (水)

1996年厳冬、北海道。2024年1月10日



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 「1969年北海道冬景色」北海道旅行帰路の列車。
同席した帯広奥地の開拓牧場の16歳と10歳の姉弟。
見知らぬ父親から「二人は汽車に慣れていない。終点の函館まで見張っていてくれ」と頼まれた。
姉は目鼻立ちがくっきりとした小顔の綺麗な子だった。
「ふたりとも、このにいさんの言うことをちゃんと聞くんだぞ」
父親は心配そうに、ホームで見送っていた。

父親の気持ちも知らず、姉は弟に函館がいかに大都会か楽しそうに話し聞かせた。
「函館の道路にはチンチン電車が走ってんだぞ。ビックリすんな。叔母ちゃんたちに田舎もんと笑われっから、平気な顔しろ」
どうやら残りの冬休みを函館の叔母さんの家で過ごすようだ。見た目とくい違う素朴な会話が微笑ましかった。
やがて彼女は列車の暖房が暑いと、人目も気にせずスカートをパタパタさせた。白い素足が露わになる都度、私はドギマギして、慌てて車窓の広大な雪景色に視線を移した。
少女の鮮やかな花柄のスカートに編み上げのワインレッドの皮靴。どことなくロシアの大地を感じた。もしかすると親は、満洲の北辺からの引揚者だったのかもしれない。満州からの引揚者が北海道奥地に再入植したケースは多かった。

二人とは7時間ほど一緒に過ごした。
函館で別れ青函連絡船に乗船した。
一人になると喪失感を覚えた。重く雪が降りしきる津軽海峡は石川さゆりの「津軽海峡冬景色」そのままの風景だった。

青森駅の桟橋から連絡通路を歩いて始発の上野行き急行列車に乗車した。ほぼ満席だったが、やっと空き席を見つけた。
前席は大湊から東京へ戻る女子大生だった。早稲田小劇場で役者修行中だと話していた。彼女との会話は楽しく、上野に着くまでの20時間は退屈しなかった。

男女の出会いは日常的に起きると思っていた。だからずーっと青春を浪費し続けた。そしてバブルの終わり、43歳で安定した職人生活を捨て絵描きに転身した。幾度となく結婚のチャンスはあったが拒否し続けた。安定した生活を捨てなければ絵描きは無理だと思っていたからだ。

覚悟していた通りに絵描きは低収入だった。
しかし自由で、モノクロの世界が鮮やかに色づいたくらいに華やかな変化を味わえた。
その第二の青春は12年続いた。
そして母の介護生活が始まると同時にフェードアウトした。
その後の生活は大変だった。
しかし、生きている愛おしさを身をもって知ることができた。

全てを得ようとすると全てを失う。
一つに絞れば得ることは容易で、他もそれに続けて得られるかもしれない。
・・・

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