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2024年1月29日 (月)

恥ずかしい記憶。2024年1月29日

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昔のドラマを見ていると、その頃の恥ずかしい記憶が蘇る。
60年代後半のヒッピー文化の頃がそうだ。私も若気の至りでヒッピースタイルをしていた。
本家米国のそれは自然と調和した生活とか、ベトナム反戦を基にしていた。
しかし、私など日本人若者の多くは上辺だけ真似たファションだった。


その頃、ヒッピーご愛用のヤギ毛皮のコートが流行っていたので私も買った。
バックスキン一面に唐草が毛糸で刺繍してあって、とても格好よく見えた。
すぐにジーンズのパンタロンにそのコートを羽織って原宿へ出かけた。
すると夜店のおじさんに「よっ、格好いいね」と声をかけられた。


普段なら素直に喜ぶが、その時の私は恥ずかしくて、ひどく落ち込んだ。
アフガニスタンあたりのヤギ皮処理は最悪で、獣臭が強かったからだ。

獣臭を芬芬と漂わせながら電車に乗り人混みを歩いて来た自分を、夜店のおじさんに指摘されたような気がして恥ずかしくなった。

獣臭はクリーニングに出しても、専用の洗剤で洗っても取れず、結局捨てた。
それをきっかけに、ヒッピースタイルは止め、その前から流行っていたアイビールックに戻った。

その頃のことを思い出すと、今でもとても恥ずかしくなる。

私も母も、思いついたらすぐに実行する性格で、一般より恥ずかしい行動は多い。
私は70歳を超えてから、節操のない行動はしなくなったが、母は97歳で死ぬまで治らなかった。


その頃の冬、旧居の下を流れる新河岸川を水死体が流れて行ったことがあった。
当時母は歩くのが不自由だったが、見たいから玄関前通路まで連れて行ってくれと頼んだ。

「人の不幸を見物するんじゃない」
私は母をたしなめた。
今思うと、母は好奇心で見たかったのでない気がする。
90歳代半ばになり、身近かに迫って来た死を確認したかっただけなのかもしれない。


その頃、新河岸川近くで温泉の掘削をしていた。
工事中、突然天然ガスが吹き出て大炎上したことがあった。
その時も、見たいと言っていたが、北風が寒く、風邪を引かせたくないので止めさせた。

東京都内の低地は天然ガスの宝庫で、どこを掘っても天然ガスが噴出する。

それから数日後、家庭医のKさんが定期往診に来た。
「このところ、ガス爆発見学で風邪を引いた患者さんが多くて、てんてこ舞いですよ」
Kさんは嬉しそうに母に話していた。
「それは良ございましたね」
母が楽しそうに受け応えするのが聞こえた。
Kさんは親切で優しいお医者さんだが、患者が増えず経営は大変だった。
経営を心配していた母は、うっかり口を滑らせたようだ。


その頃の夜、母の部屋と仕事部屋を繋ぐ内線電話が鳴った。受話器を取って用件を聞いたが母の声が聞こえない。仕方ないので受話器を手に母の寝室へ行くと、母は電話機を逆さに持って、一生懸命私に話しかけていた。
「どうしたの」
傍からと聞くと、
「ボタンを押してもテレビのリモコンが効かない」
母は目覚まし時計をテレビに向けて操作しようとしていた。
「それはリモコンじゃなくて、時計だよ」
「見もしないで、どうして分かるの」
母は内線電話機に文句を言っている。
「そばにいるから分かる」
やっと母は傍に私が立って居ることに気づいた。
「居るなら居ると言えば良いのに」
ぼやく母の傍らで、なぜ丸い時計と細長いリモコンを間違えたのか、可笑しくなった。

母に関しての記憶は恥ずかしいと言うより、今思い返すと、どれも暖かくて懐かしい。

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