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2024年1月 6日 (土)

まじない、さんどがんのかくさん死なさった、あー忙し、あー忙し。2024年1月6日

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昔の記憶だ。
「さんどがんのかくさん死なさった、あー忙し、あー忙し」母は出掛けに針で繕いをする時、小声で呟いた。
母の郷里久留米では出がけに針を持つのは縁起が悪い。それで前述の厄除けのまじないを3度唱えた。
「かくさん」は方言で奥さんの意味だ。
「さんどがん」の意味は母には分からなかった。

写真は母92歳。赤羽自然観察公園の桜の頃、肝臓がんの大手術から生還して2年後の母の姿だ。
リハビリのため、私は毎日車椅子で自然公園へ連れて行っていた。
その頃、私は毎日、10キロほど車椅子を押していた。

駒込病院で手術を受ける時、
「90歳でこの手術を受けた方はいませんので新記録です。
もし、少しでも不安があったら、手術台に乗ってからでも遠慮なく言ってください」
執刀医はそう言ったが、イケイケどんどんの母は「新記録」と聞いて俄然喜んでいた。
「先生、遠慮せず思いっきり切ってください」と母は実に嬉しそうだった。
もしかすると、猫好きの母はトキソプラズマに感染して、そいつらから脳を超楽天的に変られていたのかもしれない。

母は80代に7回ほどの開腹手術を受けていたので、メスを入れる場所は脇腹にしか残されていなかった。
「篠崎さん。これでは切られ与三てすね」
最初に診察した医師は驚いていた。
「切られ与三」とは 歌舞伎狂言・与話情浮名横櫛 よわなさけうきなのよこぐし、の通称。
その登場人物が伊豆屋与三郎。

手術日、私は早朝に駒込病院に出かけて、病室の母の笑顔を何枚も撮った。
内心私は、葬式の祭壇に飾る写真にするつもりだった。
しかし、手術は大成功した。
手術室から血液が付着した手術着のまま、執刀医が家族待機室へ飛び込んできた。
「篠崎さん大成功です。嬉しいです。手術寸前まで、手術はやめてほしいと言われるのを期待していました。もし失敗したら功名を焦ったと医学界から大バッシングされるところでした」
執刀医はよほど嬉しかったのか、大きな声で一気に話した。

退院してからすぐに夏になり、母の回復は冬まで要した。
「もう、何があっても手術も入院もしない。
助からないと思ったら、治療はせずに家で死ぬ」と母は宣言した。
さすがに術後は辛かったようだ。

自然公園での花見から5年後、何が起きても母を入院させず、在宅で私は一人で看取った。
母の最後の吐気を確認し、最後の心音を聞くことができたのは幸せだと思っている。

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