渋谷スクランブル交差点は、エネルギッシュな舞台のように感じた。2024年2月16日
午後、錦糸町へ出かけて出版社と会った。
錦糸町は30年ぶりだ。
その頃、駅近くで友人が歯科医院を開業していた。治療をしてもらった後、毎回友人は錦糸町の過激なキャバレーへ連れて行ってくれた。
そのころは絵描きに転向していたので、コレクターや画商が銀座のクラブへ連れて行ってくれることが時折あった。
「こちらは絵描きさんだ」と綺麗なホステスさんに紹介してもらうと「わー素敵」と拍手してくれた。その時、心底良い商売に転向したと思った。
社長と別れてから、浅草の観音様に回った。
雷門は相変わらず海外観光客が多く、周りから聞こえてくるのは外国語ばかりだった。
お参りした後、いつもの雷門脇のスタバで7時まで抹茶ラテを飲みながら休んだ。
帰りの銀座線に乗ると、乗客の8割は海外観光客だった。
目の前の席に60くらいの大柄な父親と30くらいの父親似の娘が座っていた。見るからに米国あたりの富裕層に見えた。終始、父娘はにこやかに会話していた。
彼らは本国では、移動には必ず車を使うだろう。しかし、日本は例外の国だ。欧州の王族や大スターでも気楽にスーパーで買い物できるような安全な国だ。車を使わず清潔な電車や歩行で移動できるなら、その方が心身ともに楽しいに決まっている。
ロスに住む裕福な友人は300m先へ行くにも車を使っている。そうしないと、身の危険があるからだ。真夜中でも散歩に出かける私にはゾッとするような世界だ。
上野では下車せず、終点の渋谷へ向かった。
目の前の父娘は溜池山王駅で下車した。
改装した銀座線渋谷駅は初めてだ。どこをどのように辿ったらハチ公前に出られるのか皆目わからない。とにかく外へ出てみると、素晴らしい夜景が広がっていた。新しいビル群の明かりが目が覚めるように美しい。切符自販機には海外観光客たちが群がり、あーだこーだと陽気に話し合っていた。
スクランブル交差点は世界中の人種のカオス状態だった。見上げると無数の広告スクリーンがあった。殊に、高いビル上部に設置されたスクリーンのコカコーラ広告のCG動画が素晴らしかった。
赤い炎の中から巨大なアームが降りてきてコカコーラのボトルを掴み上げ、飛び立つ巨大ロケットのようにボトルは渋谷の夜空へ消えて行った。
様々な音楽ステージも映し出されていた。音楽と映像。そして後ろには巨大なビル群に建設用の巨大クレーンが交差する。この街は日々刻々と未来へ変化し続けている。面白いのは交差する大群衆だけではない。1時間でも2時間でも見飽きない、渋谷は壮大なドラマの舞台だった。
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