近松門左衛門「大経師昔暦」の映画化作品、溝口健二「近松物語」2024年2月13日
昭和29年・溝口健二「近松物語」おさんと茂兵衛の姦通事件の時、近松は浄瑠璃作者としてデビューした30歳。魂を揺り動かす事件だがすぐに戯曲化しなかった。「大経師昔暦」を完成させたのは1715年。その年はおさん茂兵衛の三十三回忌であった。
1683年9月22日、おさんと茂兵衛と下女お玉の三人は処刑された。映画脚本の川口松太郎「おさん茂兵衛」では下女お玉は途中暇を取らされて刑死はしない設定となっている。
処刑された時、おさんは十九歳。裕福な商家に育った美しい少女だったが、傾き始めた実家の為に30歳年上の大経師以春の後添えに入っていた。だから不義密通と言うより、初めて恋に目覚めた少女と若い手代との激しい恋だった。
今、私の人生は残り少なくなった。
命懸けの恋を見ると不思議な共感を覚える。
19歳のおさんには、平均寿命が50歳を切っていた江戸時代では後のない恋だ。だからこそ、不義密通の連帯責任を一族に負わせることを忘れ、激しい恋に走ったのだろう。
おさん・香川京子(22歳)今は希少になった清楚な美しさだ。茂兵衛・長谷川一夫(40歳半ば)は完成された見事な演技。下女お玉・南田洋子(21歳)はこの作品では若く実に初々しい。
下女お玉は腕の良い経師職人・茂兵衛を慕っていた。しかし茂兵衛は主人の内儀おさんを密かに想っていた。
一方、おさんは傾き始めた実家から度々お金を無心されて困り果てていた。おさんは夫の以春に頭を下げるが、ケチな以春は冷たく拒否するばかり。
それを知った茂兵衛は、密かに主人以春の印判を使ってお金を用立てようとする。それを腹黒い番頭に見咎められてしまう。
主人の印判を不正に使うのは大重罪。茂兵衛は厳しい処罰を待つ間、倉に閉じ込められるが、密かに脱出して、おさんのために金の工面へ夜の町へ。
一方、おさんは下女お玉にも手を出そうとする不節操な以春に愛想を尽かした。おさんは家を出て実家への夜道を急いだ。
その時、偶然に二人は夜道で出会った。
それからは運命に翻弄されるように、二人の死への道行きが始まる。この道行きに近松のストーリーテラーとしての非凡さを感じる。
二人は以春のよこした役人の追っ手に追いつめられるが、小舟で琵琶湖へ逃れる。しかし逃げるすべはない。二人は入水を決意する。その時、茂兵衛は死ぬ前にこれだけはと、おさんを慕っていたことを告白した。
感極まるおさん。おさんも密かに茂兵衛を慕っていた。
「それを聞いた以上、死にたくない」
おさんは小舟の上で茂兵衛にすがりつき、初めて二人は結ばれた。露出度は少ないのに、なぜか着物の絡みは官能的だ。
山中の茶屋にて、茂兵衛はおさんに罪を被せまいと、一人密かに自首を決意して山を下る。それに気づいたおさんは斜面を転がるように追ってくる。おさんに気づいた茂兵衛は隠れるが、耐えきれずにおさんの前へ。茂兵衛、おさんをしっかりと抱き止めた。
おさんはすがりつきながら言った。
「あなたは奉公人ではない。すでにかけがえのない私の夫」
その時茂兵衛は、おさんを死ぬまで離さないと決意した。
おさんは大経師以春の追っ手に捕まり連れ戻された。
実家に軟禁されたおさんを追って来た茂兵衛に裏木戸に潜んだ。おさんはすぐに気付き、狂ったように茂兵衛へ駆け寄った。
おさんの切なく熱い眼差しが胸を打つ。
不義密通の罪で捕らえられた二人は背中合わせに荒縄で縛られ、裸馬に乗せられ白昼の京を引き回された。
おさんと茂兵衛はしっかりと手を握り合い、微笑みをたたえながら刑場へ向かった。
これは心中ではなく、二人は敢然と理不尽な法に立ち向かって処刑された。そこに「大経師昔暦」の近代性を感じる。映画では、原作を更に現代風に解釈し、おさんは自分をはっきりと主張する凛とした女性に描がかれていた。
「大経師昔暦」は菊池寛の「藤十郎の恋」の下敷きにもなっている。経師とは書画を額や掛け軸に表装したり修理する仕事。その頂点にいたのが大経師で、朝廷から暦の発行を独占的に任され莫大な利益を独占していた。
物語の大経師の以春は商才にも優れ、金貸しの他に京都近隣に広大な田畑を所持して巨万の富を築いていた。しかし、この不義密通事件の責任を厳しく問われ、すべてを失ってしまった。
溝口健二監督は黒澤明、小津 安二郎と並ぶ国際的な映画監督である。前年制作した京まち子主演「雨月物語」同様に「近松物語」の映像美も素晴らしい。衣装、髪型、セット、どれを取っても浮世絵から抜け出たような優美さだ。映画全盛の昭和29年だから完成できた作品で、今では不可能だ。
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