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2024年2月 3日 (土)

三島由紀夫原作、映画「春の雪」考。2024年2月3日

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三島由紀夫は太宰をひどく嫌っていた。理由は太宰作品が言い訳の文学だったからだ。生きていることへの言い訳。不誠実さへの言い訳。情死への言い訳。大地主の血脈への言い訳。言い訳せずに黙って受け入れていたら長生きできたのに、太宰は言い訳に疲れ果て、玉川上水で入水情死してしまった。

言い訳は若者の特性だ。
だから太宰は若者に好まれるのだろう。しかし太宰は彼を礼賛する若者たちと違う。自分自身をも切り裂いてしまう刃をいつも胸の内に秘めていた。
自堕落を正当化するために太宰作品を利用すべきではない。軍国主義と旧弊に抗するように生まれた自堕落と、自由放任による自堕落は本質が違う。

今回の画像は先日見た三島映画「春の雪」を描いた。三島は何かに殉じて死にたいと思っていた。「春の雪」で清顕はなぜ宮家に嫁ぐことになった聡子と関係したのか。そんな面倒なことをしなくても、彼は両家に祝福されて聡子と結婚することができた。だから「子供っぽい」と清顕を評する言葉が作品にしばしば出てくるのだろう。
清顕が目指していてのは死に値するほどの聡子への究極の愛だった。だから子供っぽく、愛を複雑にして双方を追い詰めて行って行った。
三島は磔のイエス像が好きだった。
彼はイエスのように死にたかったのだと思っている。

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」以来、悲恋は魅力に溢れている。「春の雪」の聡子役の竹内結子は、現実にそれから15年後に2人の子供を残して40歳で自殺した。再婚相手は優しく生後8ケ月の子供の世話も手伝っていた。それでも出産後の育児鬱が起き、コロナ禍による社会不安も加わり自殺したのかもしれない。

太宰を批判した三島由紀夫は市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で割腹自決した。殉じる目標が見つかったから三島は自決したのだと思っている。

太宰も死を通じてメッセージを残そうとしたが分かりにくい。
戦前の保守的な旧家で育った太宰は「男らしく」と言われ続けたはずだ。しかし、彼は反抗して女々しく振る舞った。そんな態度が女性の母性愛をくすぐり、情死にまで付き合ってくれたのだろう。

太宰が熱望していた芥川賞から落した審査員の川端康成も逗子のマンションでガス自殺した。自殺前に書いた岡本かの子評伝が、昔自分が書いたものと殆ど同じだったことに気づき、作家として絶望して自殺したとされている。

芥川龍之介も睡眠薬自殺している。狂言自殺をしようとしたのに、発見が遅れて本当に死んでしまった、との説がある。

親しくしていた作家も狂言自殺を繰り返し、担当編集者を困らせていた。もの書きは書けば書くほど内へ閉じこもり、憂鬱になって自殺しやすい。
対して、絵描きは滅多なことでは自殺しない。相当に追い込まれてもタフに明るく生き抜く。これは、絵は描けば描くほど外向きに気持ちが解放されるからだ。
だが、ゴッホは自殺し、ゴーキャンは自殺未遂をした。それは経済的な挫折によるもので、動機は文学者の自殺とはやや異なる。

瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ

「春の海」で聡子と清顕はこの歌を交わして約束した。
二人は転生を繰り返し、幾度も再会し結ばれるだろう。

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