千鳥ヶ淵で花見した。桜を楽しんでいなかった中国美人。2024年4月5日
世界的に「将軍」が大ヒットしている。殊に登場する戦国の女性たちの凛とした美しさが絶賛されている。女性の美しさは容姿だけではない。むしろ、内面の魅力が重要だ。例えばクレオパトラは容姿はさほど美しくなかった。しかし、頭の良さと人間性が男たちの心を掴んだ。玄宗皇帝に愛された楊貴妃の1番の魅力は優しさだった。
絵は昨日千鳥ヶ淵に出かけた時に見かけた中国人だ。花見客の中で一際目立つ美人だった。しかし、桜を楽しんでいるように見えない。二人は喧嘩をしていたのかもしれない。女性は目一杯不満げな顔でグイグイと歩いていた。連れの男性は身の置き所がないように俯き、黙々と彼女について歩いていた。年に一度の見事な満開の桜なのに、二人は人生を無駄にしているように思えた。
日本女性は、嫌なことがあっても相手に恥をかかせまいと、人前であからさまに嫌な顔はしない。だから世界で好かれるのだろう。
知人と花見をする予定だった。
私は待ち合わせ時間より早めに行って、写真撮りをした後、靖国神社へ行った。花見はこちらの方が空いている。
母の弟は久留米師団で、インパールで戦死した。だから母は頻繁に靖国神社へお参りしていた。実を言うと、私が社殿までお参りしたのは初めてだ。
巨大な金属製の鳥居が迫力があった。社殿で長くお参りしなかったことを叔父に詫びた。
午後5時に知人と合流して、ライトアップまで花見を楽しんだ。迫力のある田安門の中は意外に空いていた。「将軍」の大ヒットで、これから海外観光客の人気が出そうだ。花見客は外国人ばかりだ。ベトナムから僧侶の団体が観光に来ていたのが珍しかった。
花見帰り、知人とは丸の内の仲通まで歩いて、レストランのオープン席でビールを飲んだ。店はほぼ満席だ。夜になっても暖かいので頭上から照らすストーブを消してもらった。10時半頃まで楽しく談笑して帰路に着いた。
11時半に帰宅した。絵を描きたかったが、他にすることが多く、午前2時に就寝した。午前7時に目覚めた。若い頃のように7時間連続して眠ったことはない。目覚めてから少し仕事をした。それから朝食を摂って、ネット・ニュース読んでいる内に突然眠くなり30分程眠った。
60年以上昔の宮崎時代、よく家族揃って映画を観に行った。
当時は2本立てが殆どで、夕暮れに入館して見終えると10時を過ぎていた。当時は外灯が少なく、冬の夜など月が煌煌と道を照らしていた。
町の所々にラーメン屋があった。外まで美味しそうな香りが漂っていて、親の懐具合が良ければーメンを食べさせてくれた。
店内には、白濁したスープと麺をゆでる大釜が二つあった。注文すると煮ザルに麺を放り込んで茹でた。どんぶりにはあらかじめ調味料と背脂が入れてあった。そのどんぶりに麺を盛り、白濁スープを注いで焼豚を並べ、シナチク、青ネギ、もやしなどをたっぷりと盛った。
それに胡椒をかけて、ふーふーしながら食べた。あの美味さは今も忘れられない。
ラーメンは映画の帰り食べたのが一番多いので、アランドロンの「太陽が一杯」を「ラーメンが一杯」などと記憶している。
最近の東京ラーメンは多彩に美味しく変化した。
上京した昭和30年代の東京は醤油ラーメンばかりで、さほど美味しくなかった。だから、友人たちと集まると、何とかして郷里のラーメンを再現しようと苦闘した。
当時はスープの素と乾麺を組み合わせたものを売っていた。それは郷里の味に近かったので、市販の焼豚ともやしを加え、物足りないと思いながら食べていた。
郷里のラーメン屋の焼豚は自家製で、朝から店先の七輪でコトコト煮詰めて作っていた。南九州は素材の豚肉の質が良かったのでとても美味しかった。
母が元気な頃、車椅子を押しながら、よく映画帰りのラーメンの話をした。煌煌とした月の光の記憶を母と共有していた。比べて姉には情景の記憶が欠落している。だから想い出話をすることはない。
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