乙姫橋と初代ゴジラ。かって死は禍々しいものではなかった。2024年4月1日
男はつらいよ・寅次郎の青春・舞台は郷里隣の港町油津。冒頭にアーチ式石造りの乙姫橋が登場する。昔は油津と郷里を結ぶ重要な橋で、この周辺の街は賑わっていた。今はバイパスが出来て、この街は寂れてしまった。
名前の由来は橋の袂に乙姫神社が祀られていたからだ。今は、古い木造の社殿は味気ないコンクリート作りに建て替えられてしまった。
油津は戦前、東洋一の本マグロの水揚げを誇っていた。
その頃、久留米から遊びに来た母を地元の漁師が揚げ場に案内してくれた。漁師は牛のように大きな本マグロを顎で示しながら「地元では、こんな脂っぽい魚は喰わなない」と言っていた。世界の超高級魚に変わってしまった今では嘘のような話だ。
隣の小さな漁師町大堂津で育った私には油津は大都会に思えた。油津の映画館で名作洋画が公開されると、母は小学校に来て私を早退けさせて油津に連れて行った。当時の洋画は数日で興行が終わることが多かったので、学校を休ませてでも私に見せたかったからだ。
初代ゴジラを見たのも油津の映画館だ。映画館前の広場に宣伝用のゴジラのハリボテが置いてあった。竹の骨組みに新聞紙を貼ってペンキで塗装したものだ。ギラギラ輝く南国の陽光の下、今にも炎を吐き出しそうな怖い形相で立っていた。
映画ゴジラは怖くて怖くて、前座席の背もたれに隠れ、目だけ出してスクリーンを凝視していた。映画を見終えて外に出ると、ハリボテのゴジラが更に巨大に見え、今にも襲いかかってくるように思えた。
それ以来、夕暮れに裏山を見上げると、山の端からゴジラが顔を出しそうな気がして、怖くてたまらなかった。
しかし、油津行きはとても楽しかった。夏には映画帰りに母はミルクセーキや鮮やかな緑色のソーダー水を飲ませてくれた。お昼は貨客船が停泊する岸壁で弁当を食べた。今も映画のシーンと油津の古い街並が渾然と一体化し、記憶の一部になっている。
当時の油津の商家は明るいペンキを塗ったコロニアル風の建物だった。後年、私は好んで無国籍のコロニアル風の絵を描いた。今回、二度目の投稿作品「時は静かに過ぎ行く」の右手のアーチ橋のモデルが乙姫橋だ。そして、岬の向こうに描かれた島は郷里沖合にあった大島である。私の描く海の絵の殆どは当時の記憶が元になっている。
「寅次郎の青春」は御前様役の笠智衆の遺作になって、46作から彼は登場しない。
今は何を見ても経験しても、死と対比して考えてしまう。しかし死にマイナスイメージはない。昔は世界中どの国でも生を死と対照的に捉えていた。だから中世の名画には死をイメージする髑髏や大きな鎌を持った死神が普通に登場する。
日本は死を面白おかしく捉える伝統がある。
たとえば落語の演目の「野ざらし」がそうだ。
長屋に住む八五郎の隣りの部屋から若い女の声が聞こえて来た。隣りに住むのは堅物の尾形清十郎という年寄りの浪人者だ。
彼が向島で釣をしていたら、しゃれこうべが釣れた。清十郎は哀れに思い、酒をかけ手向けの一句を詠んで弔った。すると夜中に美しい女が訪ねて来て、肩をもんだり世話をして帰って行った。
落語だからお笑いとして展開する。長屋の壁に開けた穴から一部始終を見ていた八五郎は、自分も美人にあやかろうと骨釣りに向島へ出かけた。そして、お決まりのドタバタの末にしゃれこうべを釣り上げて供養する。
しかし、訪ねて来たのはむつけき大男だった・・との落ちだ。
噺の元ネタは中国明代に作られた笑い話しだ。
土葬が一般的だったその頃は、大水で流された人骨が河原に転がっているのは珍しくなかった。たとえば中世まで、京都の四条河原は遺体の捨て場所になっていた。その状況はあまりにも陰惨で、心ある僧侶が人骨をまとめて埋葬し供養のために地蔵菩薩を祭った。
今も、日本各地の町外れに地蔵菩薩が祭られている。
大抵は寂しい荒れ果てた場所だ。そこは異界で、中世まで遺体の風葬の場所だった。だからそこには死者を冥土に導く地蔵菩薩が祭られている。
ディズニーランドにも死をテーマにしたものが多くある。ホーンテッドマンションは墓地そのものを、カリブの海賊は殺戮と拷問と遺体をテーマにしている。しかし禍々しさはない。死を明るく楽しげに描いている。観客が死や墓地を楽しむ心理には、死を自然なものとして受け入れたい願望があるからだろう。
ディズニーランドのマークトゥエィン号が出航して間もなく、インデアン集落がある左手岸辺にバッファローの頭骨が並べられている場所がある。その中央に4本の柱で支えられた台があり、白い布に包まれた遺体が置いてある。しかし、その正体を知っているゲストはほぼいない。
それはシベリア原住民が広く行っていた風葬で、高い台に置いたのは遺体が獣たちに荒らされないためだ。その風習はユーラシア大陸からのモンゴロイド大移動とともにアメリカ大陸にもたらされた。
それを手抜きせず、しっかり再現しているところにディズニーランドの凄さがある。
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