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2024年4月17日 (水)

広島原爆投下下での本因坊戦。2024年4月17日

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広島原爆が投下された下での橋本本因坊と挑戦者岩本七段の本因坊戦。場所は爆心地から8キロ離れた五日市町吉見園。対局中、グラマン戦闘機の機銃掃射が対局場の屋根に当たるなど、無事に行われる状況ではなかった。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、原子爆弾が投下された。その43秒後、地上600メートルの上空で閃光を放って炸裂し小型の太陽に変わって6000度の熱線を放った。

対局の場には閃光と同時に大音響が響き、爆風で障子襖が倒れ、碁石は飛び、窓ガラスは粉々になった。
橋本昭宇本因坊は庭まで吹き飛ばされた。
対局は一時中断されたが、部屋を清掃して10時半ごろに再開された。
両対局者は動揺を抑え最後まで打ち切り、同日午後4時ごろに橋本本因坊の五勝で終局した。

以上、いかにも災害に慣れした日本人らしい逸話だ。
橋本本因坊は1994年に87歳、挑戦者の岩本7段は1999年に97歳と、いずれも長寿を保って死去した。

1955年第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した原爆再現映画「ひろしま 」
エキストラには広島市の中学・高校生、教職員、一般市民など約8万8500人が参加した。彼らには実際の被爆者が多く含まれていた。
画面からは作り物ではない体験者だけが知る真実の迫力が伝わってきた。現代のメイクアップ技術やCGを使えば、よりリアルに描ける。しかし、実体験をした人たちが再現した迫力には遠く及ばないだろう。

映画は大手配給から拒否され、細々と自主上映された。
私は小学生の頃に郷里日南市・油津の映画館で見た。
だから、防火帯のために家を取り壊すシーン、爆発の瞬間に馬が倒れるシーン、荼毘のシーン、戦後、戦災孤児たちが「パパ、ママ、ピカドンでハングリー、ハングリー」と進駐軍相手の台詞を練習しているシーンなどを鮮明に記憶している。
ちなみに、私が最初に覚えた英語がこの台詞だった。

爆心地から亡者の列のように避難する阿鼻叫喚のシーンは、平和な社会で生活している自分たちが、いかに幸せなのかを実感できる。
爆心地の彼らは6000度の熱線に焼かれ、皮膚の下部組織は瞬時に沸騰し、炭化した皮膚は剥がれ、ボロ布のように垂れ下がった。

映画では描かれていなかったが、爆風で、ガラス片が針山のように刺さった人、目の玉が飛び出して顔から下がってしまった人、爆心地で生き残った人たちのほとんどは数日で亡くなった。それでも生き残った人たちは、原爆症に苦しめられながら10年足らずで亡くなった。その絶望的な苦しみは、即死した方が幸せだったと思えるほどだった。

出演者では、倒壊した家から妻を救い出せずに見殺しにし、子供達を探す父親役をした加藤嘉の鬼気迫る演技が強く心に残った。

映画「ひろしま」の前にアニメの「この世界の片隅に」を見た。
ほのぼのとした中に深く突き刺さるものがあり、「ひろしま」と併せて見てその重さが増した。

冒頭の、主人公すずが広島市内へ海苔を届けに小船で行くシーンは、私も子供の頃、幾度も同じような経験をした。小舟から眺めた川底、接岸した時の石壁に当たる感覚、どれも、とても懐かしかった。
「ひろしま」と「この世界の片隅に」は1対で観るべき映画だと思っている。

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