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2024年4月21日 (日)

昔は良かったは間違っている。今の方がずっといい。2024年4月21日

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絵のモデルの家の主人は船酔いがひどい漁師だった。彼の家は船大工が建てたもので、丸ごと転がしても壊れないくらい、恐ろしく頑丈に作られていた。
彼は辛い漁に出ないで済むように一念発起して大型遠洋漁船を手に入れた。60年前の高度成長期で国の支援が厚い時代だった。

遠洋漁業が絶好調の時代だ。漁師見習いの10代の少年が一航海でサラリーマン年収の5倍300万ほどを手にすることができた。彼は短期間で大型遠洋漁船3隻を持つまでに成功した。
私が遊びに行った時、彼の家人は平気でゴミを目の前の岸壁から美しい海へ捨てていた。当時の日本はその程度のモラルだった。

昔は良かったけど今は悪くなったと言う人が多いが、当時を知っている私は納得しない。殊に東京に限れば、モラルが良くなったのは東京オリンピック以降のことだ。
住宅地では個々が家の前を履き清めていたが、繁華街では至る所にゴミが散乱していた。電話ボックスには風俗のビラが無数に張られていた。

トイレの水洗化率も低く、しばしばバキュームカーの悪臭に悩まされた。私が住むアパートのトイレは落下式で、2階のトイレの便器を覗くと土管の3.4m下に水面が小さく見えた。だから大きいのをすると、お釣り・跳ね返りが当たらないようにパッと避けた。そのストレスで便秘になり痔が悪くなったほどだ。

当時の隅田川と東京湾の汚れは最悪で、発生した硫化水素で真鍮などの金具はすぐに黒くなった。下町に縦横に設けられた堀割りは下水を兼ねていて悪臭を放ち、至る所にゴミが浮いていた。

その頃の旅行では、駅弁などの空箱やみかんの皮は座席の下に捨てていた。
だから列車の動きに合わせて、サイダーやジュースの空き瓶が床をゴロゴロ転がった。食べ終えた弁当を窓から線路脇に投げ捨てる者も多かった。
その惨状は映画館も同じだ。映画の幕間には掃除のおばさんが一周して座席下のゴミを拾い集めていた。

街中では自動車の警笛が煩かった。横断歩道に立っても車のほとんどは停車してくれなかった。タクシーは神風タクシーと呼ばれるほど乱暴だった。
昭和三十年代の車の宣伝に、警笛が丈夫で壊れないとあったのを記憶している。それほどに車の警笛は繁用されていた。

日本人の心根の優しさと思いやりは今と変わらないが、戦争の影響が残っていた時代だ。戦地で殺し合っていた男たちが教壇に立ち、第一線で働いていた。今の日本人が当時に戻ったら、日本は後進国に見えるはずだ。

昔はスリや置き引きも多かった。日本の伝統的なスリは徒弟制度で育てられたが、私の頃はその制度は廃れ老齢化していた。彼らに代わって半島あたりから来日した集団スリが横行していた。彼らは4.5人でターゲットを取り囲み強引に金品を奪っていた。

現代日本では、テーブル席に貴重品を置いたままトイレに行けると海外旅行者が感激しているが、私が若い頃はそんな危ないことはできなかった。
歌舞伎町の裏通りだけでなく、赤羽あたりの深夜の夜道を歩く時は、悪い奴と出会ったらどう逃げるか回避方法を考えながら歩いた。

昔の旺盛な経済活力は経済至上主義者には素晴らしい時代だ。
しかし、私には今の方が穏やかで素晴らしい。そして間違いなく昭和より今の方が総体的に豊かだ。
ただし、食材は今より格安なものが沢山あった。うなぎは今よりずっと安い庶民の食べ物だった。ズワイガニの大きな片身が200円でアメ横で売っていた。

これからどんどん悪くなって行くばかり、との悲観的な考えは止めたが良い。良くなったり、悪くなったりしながら月日は過ぎていくものだ。

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