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2024年5月13日 (月)

母の交友関係は幅広かった。2024年5月13日

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 母の交友関係は玉石混合で奇妙だった。ホームレスの老人から経団連重鎮の未亡人までいた。未亡人はよく遊びにきて母と談笑していた。

彼女の手土産はいつも変だった。ある時、世界の食用卵を10種類ほどセットにして大量に持ってきた。黒くて大きなエミューの卵に、ほろほろどりの小さな卵に孔雀の卵まであった。

量が多くて食べきれそうになかったので、人にあげようとしたが敬遠された。
結局全て、私一人で食べた。
味はどれもさほど変わらない卵の味だった。強いて言えば、ダチョウのような大型の卵は大雑把な味で、小型のホロホロ鳥の卵は濃厚で繊細だった。
印象的だったのは空色の卵だ。
今調べてみると烏骨鶏の卵だった。
烏骨鶏は飼育環境や餌の関係で青い卵が生まれることがあるようだ。

他には世界各地の天然塩を、説明書きのラベルを貼って持ってきた。薔薇色、オレンジ色、薄いセピア色、宝石みたいに綺麗だった。しかし私はほとんど塩を使わないので、近年まで残っていた。

母が死んだ後、しばらくして彼女から「体がひどく弱りました。長くないかもしれません」と手紙をもらった。そしてその後、連絡が取れなくなった。

在宅介護していた母が死ぬ半年前、蓄えを使い果たして窮地に陥った。
万策尽きて、以前絵を買ってくれた人に「絵を買って欲しい」と頼んでみた。するとけんもほろろに侮辱され拒否された。
頼まなければ良かったと後悔しながら「今月の家賃のあてがない」と1行だけブログに記入した。当時は家賃が高い不相応な所に住んでいたが、先がない母の環境を変えるのは良くないと思い、我慢していた。

記入してから数時間後、突然に旧知のYさんから電話があった。
「心配するな。明日訪ねるから、売却可能な絵を揃えておいてくれ」
彼は言った。
翌日、彼は車で訪ねてきて、作品の一部の代金を置いて、数十枚の作品を車に積んで帰って行った。

母に絵が売れたと話すと、それまでノー天気だと思っていた母が声を出して泣いた。母の涙を見たのはそれが初めてだ。
その翌日から奇跡が起きた。
毎日のように絵を買ってくれた人から代金が振り込まれて、その後2年楽に暮らせるほど金が入った。

昔、Yさんの事業に一度だけ協力したことがある。
そのことを彼は恩義に感じていてくれたようだ。
彼は絵を買ってくれただけでなく、嫁さんを世話すると、病院長の娘とか企業家の娘とか、裕福で綺麗な人たちを次々と紹介してくれた。
しかし私は結婚する気は全くなかった。
とりあえず彼女たちの好意に甘えて、絵を買ってもらった。

その中のとびっきり綺麗な人にちょっと惹かれた。
それで、彼女の住まいを訪ねたことがある。
その時、玄関で迎えた彼女は私の靴の揃え方がダメだと指摘した。
その一言で私の気持ちは一気に冷めてしまった。
注・・私は反省して、それ以来靴は常にきちんと揃えるようにしている。

母は四角い部屋を丸く掃く大雑把な性格だった。
それは料理洗濯一切やったことのない祖母に育てられたのだから致し方ない。
父は何でもきちんと揃えないと嫌な性格だった。
だから私の性格は母に似ている。しかし、職人を経験しているので、道具や仕事場の整理整頓は得意だ。

Yさんのおかげで窮地を脱した。
それで他の女性たちも全て断った。
彼女たちには絵を買ってもらっていたので、斡旋してくれたYさんには誠心誠意感謝すると、苦労人の彼は全て納得してくれた。

後年、女性の一人とパーティで再会した。
「貴方から買った絵は人に安く売っちゃった」
彼女はそう話した。
私は気づかなかったが、彼女のプライドを傷つけてしまっていたようだ。絵が好きなコレクターなら良いが、そのような関係で売るべきではないと深く反省した。

画像はチョコボール。素材・ダチョウの卵。

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