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2024年5月 6日 (月)

風薫る5月の皇居前、和田蔵門噴水公園。2024年5月5日

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和田蔵門噴水公園のスタバで九州から上京した姪と待ち合わせした。
しかし、長蛇の列だったので入店を諦め木陰に腰を下ろした。
風薫る皇居前。新緑の香りを運ぶ風が心地よかった。
「ウィッグを買った」
博多土産のお菓子を食べながら姪が言った。
「渋谷スカイは被り物は厳禁だよ。
風で飛ぶと危険だから、カツラだけでなく帽子も厳禁だ」
教えてあげると姪は感心しながら頷いていた。

先日散歩道で1円玉を拾った。
「1円を無視する者はお金に嫌われる」
私はそう信じているので必ず拾う。

昔から悪運は強い。
本当はゆとりを持って不運を乗り越えたいが、それは全くない。運はとことん追い詰められてからやっと訪れてくれる。

食べ物動画が大好きだ。B級から超セレブな高級料理まで満遍なく見る。しかし私はグルメではない。ただただ食べるのが好きなだけだ。

50年前、高級料理店経営者と料理人たちで構成されたグルメの会に参加していた。
毎月、メンバンーの店が持ち回りで料理を担当した。参加費は材料費だけだ。しかし、腕によりをかけた一流料理だったのに、さほど美味しくなかった。なぜなら、その時食べたかった料理ではなく、お仕着せ料理だったからだ。

生涯で一番美味しかった食物は即答できる。
小学生だった昭和20年代、最高に好きだったのはハムだった。その頃のハムは本格的に作られたドイツ式でスパイスの香りが強かった。
高度成長に合わせてハム・ソーセージは粗製乱造され、本物の味と香りは完全に消えた。
世の中が落ち着いた頃にドイツ輸入のハムを食べた。
「この味と香りだ」と思ったが、子供の頃の感動にはほど遠かった。

4,5歳の頃食べた、米軍横流しのハーシーのチョコレートの芳醇な香りには、頭がおかしくなるほど大感激した。しかし、後年、同じハーシーのチョコレートを食べてみると、大味でとても不味かった。

生涯で一番美味かった食事は・・・
15歳の休日、飯盒に米、メザシ、沢庵の古漬けを持って、宮崎市から15キロほどの青島へ自転車で出かけた。
誰もいない海岸で流木を拾い、砂山でかまどを作り飯盒炊爨をした。炊きたてのご飯をメザシと沢庵をオカズに食べた。メザシは小型のカタクチイワシを固く干し上げたものだ。沢庵はやや酸味のある古漬けだ。この時以上に美味しい食事は今に至るまで経験していない。
満腹後は砂浜に寝転び、青空と大海原をぼんやり眺めた。その幸せ感が今も蘇る。

子供の頃に最高に美味しかったのに、どうしても思い出せない赤いシロップがある。
それは山いちごを煮詰めて作ったような香りがした。
それはババロアにかかっていた。
食べた記憶は残っているのに、それが何だったのか思い出せない。
上京してから今に至るまで、似たものを見つけては食べてみるが記憶とはかけ離れている。
今も不意に、その甘い香りが鼻腔いっぱいに蘇ることがある。

最高に美味しい食べ物はどれも18歳くらいまでに食べたものばかりだ。
だから、私のグルメに対する考えは一般とは大きく違う。それは食物レポーターが、大仰に褒めそやす有名店の料理ではない。

1年間、同じものを食べ続けても毎回感動できる健康な食欲を保つことがグルメだ。軽い運動で適度に疲れ、健康な空腹感の中で食べるのが最高の料理だ。

昨日は散歩帰りに買った茹でホタテをキャローラ油を敷いたフライパンで弱火で蒸し焼きにし、胡椒を振ってシンプルに食べた。とても美味かった。

5月中ばになると、荒川河川敷の桑の実や山桜のサクランボが熟し始める。口内や舌をアントシアニンで紅色に染めながら食べる野生の果物は最高の食物だ。

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