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2024年5月23日 (木)

静かな夜に咲く芙蓉に看取った祖母と両親を想った。2024年5月23日

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静かな夜だ。朧月に芙蓉が美しかった。
このサイトには親の介護を迎える方が多い。
私は在宅で祖母と両親を看取った。
在宅介護はさほど大変ではなかった。

徹底的に三人の健康維持に努めたおかげだ。
祖母と父の寝たっきり期間は共に1ケ月ほどだった。
最後の母の寝たっきり期間は20日間ですんだ。
祖母と父の場合、夜型の私は仕事の合間に対応したので、母は夜、安眠できた。
しかし、母の介護は私一人だったので大変だった。

母が死ぬ2年前、私は個展をした。
その間、母を施設に預けた。
その時、施設の現実を知った。
95歳の母は同じ歳の年寄りと比べると、とても元気で見た目も若々しかった。腰を痛めていたがトイレは一人で使うことができた。

翌日、個展会場の銀座へ行く前に施設に寄った。
母は暗い顔で寝ていた。
わずか一晩だけで10年くらい老いて見えた。
「こんなところ嫌だ。家がいい」
母はポツリと言った。
部屋を見渡すと、ベット脇にポータブルトイレが置かれ、部屋の壁にあったトイレまでの手すりが外されていた。
多分、トイレへ行く時に転んだら責任を取らされると施設側は思ったのだろう。

共有の薄暗い大部屋では老人たちが暗い顔で俯き、テーブルの前にただ腰掛けていた。
職員は一段高いところで、書類に目を落としていた。
一瞬、彼女が刑務所の看守のように見えた。

私は銀座へ向かう前に、母を車椅子に乗せて近くの公園へ連れて行った。
いつもの母なら快活にお喋りするのに、話しかけても暗く小さく返事するだけだった。
「明日家に帰ろうか。
その代わりオレが銀座から帰るまで一人だよ」
そう話すと母は初めて嬉しそうな顔になった。

翌日の早朝、母を退所させた。
母の部屋のテーブルに昼食を用意して銀座へ出かけた。
母が施設にいたのは一泊二日だが、その僅かな期間に母は驚くほど老いが進み弱ってしまった。
もう二度と施設に入れないと決意した。

それをきっかけに母は弱り始めた。
翌年の春、母はさらに弱った
食欲は減衰したが、輸液などはやらなかった。
「口から食べている限り、人は死にません」
家庭医は話していた。
ただし、水分補給のためのブドウ糖入りの点滴だけは受けた。

母の完全な寝たっきり期間は20日間だけだった。
今日が危ないと言われた日、医師は脈の取り方を教え、亡くなってから知らせてほしいと言った。

最後の吐息を確認してから母の胸に耳をあてると30秒後に心音が止まった。
その後、病院に電話をして、正式な死亡を確認の上、死亡診断書を書いてもらった。
母は完全な自然死で、死に顔はふっくらとして若々しく見えた。

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