映像の世紀安保闘争とゴーギャンの希望学。2024年6月4日
画像は「こどものためのサティ」の最後のページ。
「潰してみたいなアリンコのタマタマ。見上げてみたいな鯨のオシッコ。いつかきっと見れるよね」
昔替え歌にした元歌をどうしても思い出せない。
歳のせいで、思い出せないことがとても増えた。
午睡中に死んだ母が出てきた。
「まさき、黙って行動しないで、何か始める時は事前に教えてね」
母は理詰めに文句を言っていた。
「そうだね」と返事をしたところで目覚めた。
午後3時半だ。ベランダから下の道路で子供達が遊ぶ声が聞こえた。
「日曜はいつだろう」
ぼんやりと考えた。休日など関係ない生活をして来たのに、今も日曜に華やぎを感じる。
近年、自分が何をしたいのか分からない若者が増えた。
真実はシンプルすぎて、情報が多すぎると見えなくなる。
だから時には、自ら失敗を選ぶことがある。
ゴーギャンは現代の若者たちと違う意味で、そうだった。
彼は株式仲買人として成功したが、パリ生活に嫌気がさして、タヒチでの貧乏絵描きを選んだ。
ゴーギャンは死の4年前、貧しさと病苦から自殺を決意した。
現地妻はいたが、その頃は愛想尽かしされていた。
彼は拾ってきた麻袋を繋ぎ合わせた粗末なキャンバスを作った。
そして、傑作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を遺書代わりに描いた。
大作を描くための絵の具は十分になかったようで、驚くほどの薄塗りだ。
しかし、プリントされた画像が重厚に見えるのは迷いなく描いたことの証だ。
彼は遺作が完成の後、裏山へ登り大量のヒ素を飲んだ。
しかし、多過ぎたため嘔吐して未遂に終わった。
生き残ってからも作品を残したが、4年後に看取る者もなく55歳で病死した。
生前に作品は殆ど売れず、借金や知人からの援助で細々と暮らしていた。
その点では交友があったゴッホと酷似している。
タヒチに彼の作品は一つも残っていない。
現地の商人たちに借金返済代りに作品を渡した。
その作品はゴミ同然に扱われて焚き付けにされてしまった。
それが当時のフランス植民地の文化水準だった。
現在残っている作品は、たまたまフランスでの作品展のために送った少数の作品などだけだ。
ゴーギャンのような者は希望学のモデルにはならない。
彼らは絶望的な結末が分かっていても突っ走る。
逆説的になるが、希望学を純化させるとゴーギャンの生き方になるのかもしれない。
彼と真逆の生き方をしたピカソは世界一裕福な画家だったが、極度に死を恐れていた。
そして死の恐怖に晒されながら晩年を迎えた。
対してゴーギャンは死を愛していた。
どちらが良いかは好みの問題だろう。
画像・絵本「こどものためのサティ」表紙。
エリックサティ作・立松和平訳文。評論社。
映像の世紀で故立松和平氏が安保闘争を熱く語っていたので、この絵を選んだ。
残り時間が少ないと言うと「100歳まで生きられますよ」と言われる。
真意は去年、宿痾の緑内障が悪化したことで、命がすぐに終わると言ったのではない。
だから、そう言われると違和感を感じる。
視力が弱ると目を細めて画面を眺める必要がないので絵を描くのは楽だ。加えて今描けることへの深い感謝もある。
視力が悪化していない頃は今ほど絵を描かず、自堕落に暮らしていた。
もし悪化しなかったら、今もズルズルとその生活を続けていただろう。
絵描きは死の寸前まで現役でいられる珍しい職業だ。
大正期の文人画家・富岡鉄斎は70歳を越えてから絵が良くなった。
彼の最高傑作仙縁奇遇図は72歳の時の作品だ。
葛飾北斎は75歳に世界的傑作富獄百景を完成させた。
北斎は自分で薬を調合するほどの健康おたくだ。
彼は一度、脳梗塞で倒たが、自分で工夫した薬で回復した。
しかし彼らは稀有な例で、大半の画家は70歳辺りから画力が急速に衰える。
絵が売れていた絵描きの友人は65歳の頃「玉ねぎ一個を描くのに2ケ月かかった」と嘆いていた。
だから今、遅すぎだが絵に集中できていることに感謝している。
昨夜は映像の世紀・安保闘争。
これはかなり重い番組だった。
「国民運動となって十数万の人々が国会を取り囲んだ60年安保闘争。
戦後生まれの学生が警官隊と衝突した70年安保闘争。
日本が怒りのエネルギーにあふれていた時代の記録」と副題にあった。
しかし数日前の番宣では「人々が怒りに突き動かされた」とあった。
短い間に、微妙に書き換えられたのには訳があるのだろう。
私は安保闘争は政治的な流行だったと思っている。
当時の大衆も活動家も本当の国際情勢など理解しようとしなかった。
あえてソ連と中国のプロパガンダに煽動されたように思える。
それにしても犠牲は大きい。
今も病院で寝たっきりの活動家や機動隊がいることは世間ではあまり知られていない。
私は自民党に投票したことは一度もない。
昔は左派を支持していたが、幻滅して泡沫候補を支持するようになった。
今回の東京都知事選でも「タヌキ」と「キツネ」の化かしあいには興味がない。
すでに東北の元市長の泡沫候補に決めている。
映像の世紀の後番組は夜ドラ・柚木さんちの四兄弟。
仕事をしながら音だけを聞いていた。
場面はちゃぶ台を挟んでの会話シーンだ。
青年がイッセー尾形に「甘えてもいいですか」とたずねる。
イッセー尾形はとまどいながら「ああいいよ」と答える。
私は青年がイッセー尾形に擦り寄って甘えているシーンを想像した。
「きもち悪い」とテレビ画面を見ると、間を置いて「弟の面倒を見て欲しい」と青年は頼んでいた。
これは脚本が悪い。
「好意に甘えてもいいですか」なら誤解しなかった。
| 固定リンク