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2024年6月22日 (土)

「昭和花あらし」-1 と母と祖母について。2024年6月22日


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 「昭和花あらし」-1
大正七年春、わたしは5歳でした。
それは筑後川堰堤での花見の宴でした。
おはなさんは一心不乱に踊っていました。
その艶やかなおどりにみんな見惚れていました。

おはなさんは母の親友です。
私が小さい頃から、おはなさんはとても可愛がってくれました。
その時、おはなさんの子供のいっちゃんが、なぜか宴から離れて泣いていました。

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「わたし」は大正2年生まれの母。
いきなり描き始めたが、絵のイメージは確定していない。
描きすすめながら、どんどん修正して、自然にこれと決まるはずだ。
ストーリーは確定しているが、ページ割りは決めていない。
それも書き進めながら成り行きに任せる。

今日は冬至だった。
雨上がりの土手への坂道を登って行くと、途中でホームレスの人が自転車を止めて点検していた。
「チェーンが外れたの」聞くと、
「タイヤカバーが歪んで当たってガーガー音を立てている」と言う。
それでハンドルを掴んで固定し、直すのを手伝った。

直ったようなので私は先へ進んだ。
しばらく歩くと、先ほどの人が追い抜きながら「ありがとう」と言った。
「いやいや」と私は手を振って見送った。

明治から大正の頃、祖母は門付けが来ると、部屋にあげてお風呂に入れ、こざっぱりした着物を与えた。
それからおにぎりなど出して、食べさせながら身の上話を聞いた。
「それは大変だったね」と同情して泣くのが好きだった。
その後は、その人に財布ごと与え、
「そのうち良いことがあるから、がんばりなさい」と見送った。

絵に描いた時代、
祖母と母は熊本に年に1度、遊びに行っていた。
その頃熊本城周辺にはハンセン氏病の人が集団で住み着いて、物乞いで暮らしていた。
祖母は小銭を沢山用意して、1枚ずつ母に命じて手渡しさせた。
「自分は近づきたくないので、手渡すのは私にさせていた」
後年母はその祖母の態度に文句を言っていた。

祖母を批判していた母も、よくホームレスに親切にしていた。
だから、彼らの身の上をよく知っていた。

私もそのような人とよく話す。
だから、同じような血が流れているのかもしれない。

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