永遠の命は嫌だ。2024年6月10日
歳を取ってみると意外なことが多い。
まず、濃厚な人間関係が嫌になる。道でばったり会って、二言三言冗談を交わすくらいがいい。
家族愛もその範囲がいい。
やっぱりと言うべきは死を身近に感じることだ。
殊に年末に入ってから、親しかった人の訃報が届くとそう思う。
もう一つは老化と仲良くなったことだ。
長時間腰掛けてから立ち上がる時の「あいたたたっ」など、まったく気にならなくなった。
東京は好きだ。仕事で地方へ行っても泊まるのが嫌で自宅に引き返し、翌朝再度出かけるくらい東京が好きだ。
街だけでなく東京の自然も好きだ。
早朝に荒川土手に出ると驚くほど空が広い。
夕暮れの公園の木々のシルエットもいい。
子供の頃、遠くへ遊びに行っての帰りの、心細く眺めた木々のシルエットといつも記憶が重なる。
帰り道の家々からは夕食支度の香りがして、食事支度を手伝う子供達の賑やかな声が聞こえると、我慢できなくなって家へ夢中で駆け出していた。
家族が本当に素晴らしかったのは、あの頃までだったかもしれない。
大河の「光る君へ」を面白く見ている。
平安時代を注目したことはなかったので新鮮だ。
考えてみたら、清少納言と紫式部は会社の同僚ぐらい身近な人だった。
貴族が猛々しかったことも新鮮だ。
紫式部が清少納言の悪口を書き残しているのも面白い。
紫式部は父親ほどの男と一緒になって女の子をもうけた。
彼女たちは意外に自由自在に生きていたようだ。
古代エジプトのファラオは永遠の命に憧れた。
私はそんな恐ろしいことは想像しただけで背筋が寒くなる。
今は太陽が誕生してから45億年。やがて太陽は地球を飲み込み燃え尽きる。
宇宙にも終わりがある。最後に原子は分解され、素粒子だけが広がる暗く冷たく広大に広がる。
その何兆年後かに素粒子が1点に収縮して、再度ビックバンが起きたとしても、今の地球が生まれるわけではない。
地球の一生は、宇宙の長大な歴史から見たら1ナノ秒以下の出来事だ。
永遠の命とは、今の世界を懐かしみながら永遠に生き続ける恐ろしさを味わうことだ。
しかし、古代のファラオが願った永遠の命はせいぜい4.5百年のものだろう。
それなら、味わっても悪くない。
紫式部が1000年生きて、作品が世界的名著として認められたのを知ったら喜ぶだろう。彼女はそれを清少納言の墓前で自慢するかもしれない。
画像はロクリン社版「父は空母は大地」寮美千子文、篠崎正喜絵より。
最近知人が、神保町の本屋店頭で推薦本として紹介していたと話していた。
その通りに売れて3刷に入ったらありがたい。
空気は すばらしいもの。
それは
すべての生き物の命を支え
その命に 魂を吹き込む。
生まれたばかりの わたしに
はじめての息を あたえてくれた風は
死んでゆく わたしの
最期の吐息を うけいれる風・・・
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