花見の宴から8ケ月後に第一次世界大戦は終わった。2024年6月23日
「昭和花あらし-2」
私はおはなさんのところへ行って袖を引きました。
「いっちゃんが泣いてるよ」
でも、おはなさんは踊るのをやめません。
「よかよか、泣かせといて」
そう言って踊り続けました。
わたしはなぜおはなさんが踊り続けたのか
不思議でなりませんでした。
--------------
大正7年、花見の宴から8ケ月後に第一次世界大戦が終結した。
その夏からスペイン風邪が大流行して、終結を決定させたと言われている。母も罹ったが軽くて治った。母の周囲でもスペイン風に罹った者は多く、亡くなった人もいた。
戦争終結と同時に戦争特需による好景気は終わり、追い討ちをかけるように大正12年、関東大震災が起きた。だからこの花見は平和で穏やかな最後の宴であった。
第一次大戦が始まった時に母は1歳の誕生日を迎えた。
母は養女だった。
誕生を迎えたあと、私たちが祖母と呼んでいる人のもとへ貰われて行った。
実の父親の家系は久留米郊外の黒木氏の出だ。黒木町は黒木瞳の出身地でもある。黒木家は戦国時代に滅ぼされたが、分家していたので滅ぼされずに済み、久留米藩の有島家に仕えた。
初代は6尺を超える大男だったと伝承されている。久留米藩の鷹狩りの折、彼は突然に主君へ突進してきた大猪を素手で組み伏せた。その殊勲で有馬家の側近に取り立てられた。
母方の親戚は今も6尺を超える大男が多い。私は残念ながら、父方の血を受け継ぎ普通サイズである。
維新後も母の実家は零落しなかった。
母の実父は家柄よく長身で見目麗しかった。それで近衛師団へ推挙された。
近衛師団除隊後、久留米に戻った彼を久留米の女たちは放っておかなかった。その内、彼は染め物屋の娘と熱い恋仲になってしまった。
当時、染物屋は卑しい仕事とされていた。祖母は激怒し、嫡男であった実父を廃嫡してしまった。
母の実祖父は茶道や華道に熱中していた風流人で、家のことには無関心だった。その結果、実家は弟が継いだ。今もその子孫は各方面で活躍している。
染物屋の娘の母の実母は染め物の名手だった。しかし、母を産むとすぐに亡くなってしまった。
困り果てた母の実父は交友があった子供がいない祖母の家へ養女として出した。
第一次大戦が勃発したその頃、物語の主人公のおはなさんは長男「一・いっちゃん」を産んだ。おはなさんは母の養母である祖母の親友で、妹みたいに可愛がっていた人だ。
母は祖母から、養女であることを隠さずに育てられた。
祖母は料理・裁縫・洗濯・女の仕事はいっさいやったことがない明治女だった。交友も破天荒で、九州各地の侠客たちと親しくしていた。
| 固定リンク