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2024年6月 7日 (金)

ロラン・バトル「喪の日記」と耳の遠い老夫婦。2024年6月7日

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コロナが流行る寸前にパーティが突然嫌になった。
嫌になるとすぐに自粛ムードが始まって丁度良かったと思った。
パーティには美味い料理に出会う楽しさがあるが、交わされる薄っぺらな会話にはうんざりしていた。
しかし、若い頃にパーティの華やかさに出会うのは意味がある。
人間の表裏を知るのにとても適した場所だからだ。

昔の売れっ子イラストレーターに伊藤正道氏がいた。
面識は全くなかったが、一度だけ彼の渋谷のバブリーなアトリエでのパーティーに行ったことがある。
まだバブルの余韻が残っていたころだ。
伊藤正道氏は純朴で誠実な人に思えた。
彼はギターを奏でながら下手な歌を披露した。
参加していた業界人たちは「ブラボー」とお追従拍手をしていた。
その業界人の薄っぺらさは寒気がするほど気持ちが悪く、私は早々に退散した。

後年、彼と親しかった人から、彼が長年盲目の母親を介護していたことを聞いた。彼はその母親と13年前に死別した。そして彼は、死別から2ヶ月後に急死した。

介護していた肉親との死別は重い喪失感を残す。
14年前に母と死別した頃、ドイツ文学をやっていた人と喪失感について話していたらロラン・バトル著「喪の日記」を薦められた。
ちなみに、元アナウンサー中村江里子の結婚相手のフランスの実業家エドゥアール・バルトは著者の縁戚にあたる。

フランスの文学評論家ロラン・バルトは、幼くして父を亡くした。
そしてさらに母親を亡くした2年後に、喪失感から癒されぬままに交通事故死した。

彼は母親と死別した後、哀しみの中で新しい作品のための多数のメモ書きを残した。
「喪の日記」はそのメモ書きを忠実に記載したものだ。
メモ書きのため、記号的で難解な文体だが、彼の喪失感が痛いほど伝わって来た。
その中で、彼はあらゆる哀悼や共感を、自分の絶対的な哀しみにふさわしくないと否定していた。

ロラン・バルトと伊藤正道氏と私の違いは、私は死にものぐるいで生き抜く他なかったことだ。それが、死別からの立ち直りの差を生んだのかもしれない。
今私はグリーフケアの教科書通りに、先に逝った肉親たちを懐かしく思い返している。

午後、予約している赤羽駅近くの皮膚科へ出かけた。
時折、雲間から夏日射しが照りつけた。
皮膚科は年に一度、気になるシミを凍結除去してもらっている。
「もしかしてがんになるのでは」
と悩むより、さっさと凍結除去してもらう方が合理的だからだ。

待っている間、何となく投稿の絵を描いていた。
漠然とした不安を描こうとしたが、纏まりがなかった。

すぐに自分の時間が来た。
「凍結しちゃいますか」
美しい瞳の女医さんに聞かれたので「お願いします」と答えた。
液体窒素を吹き付ける処置は数分で終わった。
治療費は400円だった。

帰りは広大なUR・ヌーベル赤羽台を抜けた。
そこは昔の赤羽台団地が建て替わったものだ。
すっかり様子が変わった団地を歩いていると新規開店のコーヒーのチエーン店があったので描き残しの絵を仕上げようと入った。
カフェオレ・500円。
皮膚科の治療費はコーヒーより安かった。
もしアメリカなら、5.6万はむしり取られただろう。

傍の席には80代の老夫婦がいた。
夫は耳が遠い。
「日本茶ないか」夫はコテコテの大阪訛りで老妻に話しかけた。
「ここはキッチャテンなのよ。そんなものある訳ないじゃない」
老妻は下町言葉で大声で答えていた。
「じゃ、ショートケーキと日本茶たのんでくれ」
夫には、まったく妻の言葉が聞こえていない様子だ。
二人の噛み合わない大声の会話が延々と続く傍で、私は絵に集中していた。

二人は先に出た。
「いい店だね。また来るよ」
夫は店の若い女の子に普通の声で話しかけた。
「よろしくお願いします」
女の子たちは笑顔で答えた。
そのやりとりを見ていると、若い子の言葉は彼にははっきり聞こえているように思えた。
「先が思いやられる」
絵を描きながら老夫妻の先行きを想った。

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