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2024年6月 5日 (水)

映像の世紀・安保闘争に岡田嘉子を想った。2024年6月5日

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映像の世紀・安保闘争が重く心に残っている。
左翼は自らの暴力体質により衰退した。
戦前の女優・岡田嘉子もまた左翼に身を置くことにより翻弄された一人だ。
再アップ画像の溝口映画近松物語のおさんのイメージ画は岡田嘉子と似ている。
おさんは人妻なので眉を剃っているが、この顔に眉を入れると岡田そっくりとなる。

恋多き女優・岡田嘉子は共産主義者の演出家杉本良吉と激しい恋に落ちた。
二人はソ連への亡命を決意し、昭和12年12月27日、上野駅を出発して北海道を経て樺太へ向かった。
12月31日、樺太・敷香町の旅館に投宿して観光を行い、昭和13年1月3日、警官隊を慰問する名目で国境線に向かい、厳冬の地吹雪の中、樺太国境を超えてソ連に亡命した。その大スキャンダルは連日新聞で報じられ日本中を驚かせた。

スターリン政権は不法入国した二人を日本のスパイだと疑った。
厳しい取り調べの後、昭和14年9月27日、裁判がモスクワで行われた。
岡田は起訴事実を全面的に認めて自由剥奪10年の刑が言い渡された。
杉本は容疑を全面的に否認したために銃殺刑の判決が下され、10月20日に処刑された。

岡田は戦後、モスクワ放送局に入局。日本語放送のアナウンサーを務め、11歳下の日本人同僚の日活人気俳優だった滝口新太郎と結婚した。
1972年、亡くなった夫の滝口の遺骨を抱いて35年ぶりに帰国した。その後日本の芸能界に復帰し、映画「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」に出演している。

ソ連で、ペレストロイカが始まると岡田は、
「やはり自分はソ連人だから向こうで暮らしたい」
と1986年にソ連へ戻った。そして6年後の1992年モスクワの病院で89歳で亡くなった。

最近、スターリンよるウクライナの大弾圧を描いた映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地」をAmazonプライムで見た。
1933年、若い英国人記者ガレス・ジョーンズはスターリン政権の財源に疑問を持ってソ連に取材に行った。世界恐慌の中、スターリン統治のソ連だけが繁栄している謎を解くためだった。

彼は厳しいソ連当局の監視を逃れウクライナに侵入して、人為的飢饉・ホロドモールを目撃した。
スターリン政権の財源はウクライナからの穀物と食物の大収奪だった。
それは映像の世紀でも取り上げていた。
収奪は過酷で人為的飢饉・ホロドモールによって数百万人が餓死した。生きている全ての生き物を食べ尽くし、最後は家族を殺して食べたほどの窮乏に追い込まれていた。

映画でもそれを思わせる画面があった。しかし当時の世界各地の共産党員は、大収奪は理想国家を作るための犠牲で致し方ないと考えた。その結果、ガレス・ジョーンズの記事は世界中で黙殺された。

彼は1935年に来日し、日本の要人にインタビューを行った。
その後に中国に向かい、満州国内モンゴルを旅行した際に盗賊に誘拐され殺された。ジョーンズの死にはソビエト連邦の秘密警察(NKVD)が関わっていた疑いが濃厚だ。

映像の世紀でも取り上げられた浅間山荘事件と凄惨な総括は共産主義の暴力体質を受け継ぐ流れだった。そして今も、ロシア・中国の侵略体質を理想のためだと擁護する左翼は多い。

ソ連崩壊後、後ろ盾を失った多くの左翼は環境活動に転身した。
その結果、欧米でEV化が進んだ。日本のマスコミ人に盲目的なEV推進派が多いのはそのような事情がある。

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