« オタフク槌と手作りルーペとディズニーランド。2024年6月8日 | トップページ | イングマール・ベルイマンの野いちご。スマホとEVは同じ。2024年6月10日 »

2024年6月 9日 (日)

第二次ジャポニズムは思想に影響を及ぼし、日本人はエコノミックアニマルではなくなった。2024年6月9日

M_2_20240609002801

ジャポニズムは浮世絵から始まり美術工芸に大きな影響を与えた。
第二次ジャポニズムは文化を超えて思想にまで影響を与え始めている。
一部のマスコミが日本は衰退する一方だと声高に言い、一部の国民が追従している。
しかし、私の世代は敗戦後の息が詰まりそうな貧困を記憶している。
セーフティネットは皆無で、飢餓と隣り合わせの生活では簡単な病でバタバタと死んだ。
衰退とはそのようなことで、微視的にアジテーションすべきではない。

私が4.5歳のころ、母は民生委員をしていた。
母はあえて貧困家庭に私を連れて行った。
貧困とは何か、私に記憶させるためだったと思う。
ボロボロの破れ障子に、布団代わりに蚊帳にくるまって寝ている家族のどんよりとした視線を今も記憶している。
彼らが今のホームレスを眺めたら、富裕層に見えるかもしれない。
ちなみに我が家も、戦災から命からがら南九州の漁師町に逃げてきた貧しい家庭だった。

昭和23年の別府の寒い砂浜。
私は母に手を引かれて歩いていた。
その時、ダブダブの大人の上着を纏い、下は裸同然の戦災孤児たちが母と私を眺めていた。
あの暗い子供達の目は忘れられない。
だから安易に「日本は衰退している」と語る人たちを見ると、黙っていられなくなる。

貧富の差が開いても、バブル期を再来させるべきと言う者がいる。
しかし、高度成長からバブル期を熟知している世代として、あれは彼らが思うほど素晴らしい黄金期ではなかった。当時の日本は、今中国が世界で行なっている愚行や醜態と類似した行動で世界の顰蹙をかっていた。

比べて、今の日本はやや衰退はしたが、大人の成熟を示している。
老齢化し労働人口が減れば必然的にGNPは減少する。
企業の海外移転による空洞化は起きたが、その結果、世界一の対外純資産を保持して、その巨額な利子収入は日本の収支を補っている。
労働人口減少については科学技術が進歩すれば自動化が進む。
医学の進歩は元気な老人を増やし、要介護は減少する。
今は安定した近未来への移行期だと思っている。

日本の平和と華やぎは誰でもタダで味わうことができる。
スクランブル交差点に行くと、旅行者たちは楽しげにスマホを高くかざして撮影して世界へ発信している。
もしその行為をリオでしたら、一瞬でスマホは奪いとられる。平和とはそういうことだ。

渋谷スカイではさらに平和と安定を実感できる。
夕暮れ、中央の小高いヘリポートに佇む人々のシルエットと空へ伸びる幾本ものレーザ光は現代アート作品を見るように美しい。
ここへ来るとみんな空を見上げたくなる。手足を広げて横になっている人が実に多い。

地平線の富士のシルエット。
小宇宙のように大都会に点々と浮かぶ明治神宮、新宿御苑、皇居の自然。
それと対照的に、新宿・池袋・東京丸の内の高層ビル群。
「俺たちはあの小さな空間で3日間彷徨ったのに一部しか見なかった。
それなのに本当の東京ではこんなに広大だ」
海外旅行者が新宿の一角を眺めながら、呟いている動画があった。

放射状に張り巡らされた交通インフラを見下ろすと、健康な血液のようにサラサラと流れ続ける車と人に感動を覚える。
もし、高度成長期の東京を同じ位置から眺めたら全く違う風景であったはずだ。
イライラといがみ合い警笛を鳴らす長い車の渋滞。
立ち込めるスモッグに趣味の悪い広告群。
汚泥で真っ黒になった隅田川と東京湾。
思い出すと鼻腔や喉の不快感が蘇る。

今、築地も京都錦市場も道頓堀も巨大なバルとテーマパークに変化した。
通り過ぎる多彩な人たちを眺めているだけで楽しい。
渋谷や秋葉原のメイド服の女の子。路傍の植え込みの縁に雀の雛のように腰掛けて談笑している女子高生。ピチピチ服のヘソ出しルックの韓国女性。先日は渋谷をティアラをつけた金髪女性とスコットランドのキルト姿のカップルが楽しげに歩いていた。
この自由と平和には、お金で買えない素晴らしさがある。
批判は必要だが、この楽しさを味わった方が有意義な人生になる。

私が上京した頃の東京はギスギスしていて、エコノミックアニマルそのものだった。
バブルがはじけてから心を重視し始めた。
その頃に物心ついた人たちは、野蛮なほどの上昇志向が強かった私たちと比べると穏やかだった。
「彼らに未来を託して大丈夫だろうか」
と案じたほどだ。
それから34年が過ぎて彼らが中堅を担うようになった。
「結構いい日本を作っている」と、今は彼らを称賛している。

歴史的に日本は、質素さを文化にまで昇華した国だ。
安土桃山の頃の宣教師も、明治期に来日した西欧人も「日本には貧しさはあるが貧困はない。貧しくても盗まず、礼節を守る人たちだ」と称賛していた。

だからと言って、貧しくてもいいとは全く思っていない。私は右でもなく左でもない程々の中庸がいいと思っている。

日本人はサービスすることがとことん好きだ。
その極致が食文化にあると思っている。
日本人は美味しさのために徹底的に工夫する。
その粋の一つが焼き鳥だと思う。
内臓だけでなく骨から皮まで美味しく調理する。

米国で以前「肉だけでなく内臓も食する方が栄養的に優れている」と政府がキャンペーンをしたことがある。しかし、米国人には調理する技術も知識もなく、あえなく失敗しまった。

今、海外旅行者たちは日本の食の多様さは未来に必要なものだと感じ始めている。
さらに彼らが、人と人との調和の大切さを身につけて帰国する姿に、未来への希望を感じる。

日本人の浮世離れした温厚さは利益を産まないと指摘されていた。
しかしそれが、世界で変化し始めた。
経済の本意は弱者を蹴落とす大量生産安値競争ではなく、信頼がその中心にあると考え始めている。
そこに日本が生き残る道があると信じている。

画像、生成AIにて製作。都市に咲く薔薇。

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Mas

|

« オタフク槌と手作りルーペとディズニーランド。2024年6月8日 | トップページ | イングマール・ベルイマンの野いちご。スマホとEVは同じ。2024年6月10日 »