貧しくても楽しいことはある。そして、その逆もある。2024年6月3日
曇った涼しい午後に、60年前の十条の木賃アパートを思い出した。
アパートへの入居した日は肌寒い早春だった。
薄暗くなった四畳半に裸電球を点けると気持ちまで暖かくなった。
高度成長期の街はオリンピック準備のため街中が掘り返されていた。
そして新宿も池袋も騒音とけばけばしい看板の洪水だった。
一人暮らしのために、発売されたばかりの一人用赤外線炬燵を4千円で買った。
敷き布団の上に置き掛け布団をかけて潜り込むと幸せで一杯になった。
当時の私は希望に満ちていて、爆発しそうなくらい元気で、未来への不安など微塵もなかった。
その時買ったコタツの木製の櫓は、発熱部を新しくして今も使っている。一人用の小ささがとても使いやすい。
当時の若者は自分用のテレビや電話を持つなど夢だった。当時の若者の夢を今の若者が知ったら粗末過ぎるかもしれない。
貧しくなれば希望の水準は低くなる。
最前線で戦っている兵士やがん病棟の患者なら、生きているだけで幸せだろう。飢餓状態なら食べ物があるだけで十分だ。
しかし、希望の為にガンになったり、戦場へ出かけたり、貧しくなることは誰もやらない。
希望のために誰でもできることは、まず自分の体力と能力を認識する。
それから遠い目標と、直ぐに実現可能な目標値を定め、一つ一つ達成して行く。
そして、自分に嘘をつかず、人を馬鹿にせず、コツコツと続けていれば大成功はなくても、確実に希望と生活は成就する
昨日描いた堀割りの都電の絵を描き込んでみた。
一締め買った新しい紙を試してみたかったからだ。
紙目の荒い紙だが描いてみると癖があって、思い通りに鉛筆が馴染まない。
そのような細かなことは使ってみるまで分からない。
これからこの紙を使うことはなさそうだ。そのような無駄はとても多い。
この数日、二重スリット実験で、猫が観察しても光子は波から粒子にかわるのか気になっている。
チャットGPTに聞いてみるとつぎのように答えた。
・・・したがって、猫が観察者であっても、その観察が量子力学的に有効な測定を意味するのであれば、光子の波動関数は崩壊し、粒子的な振る舞いを示すことになります。つまり、猫が観察することによっても、干渉縞は消失し、粒子としての分布が観察されることになります。
わかりやすく言うと誰が見たかではなく、観察した行為そのものが影響する。
だから、ロボットやゴキブリが観察しても波動関数は崩壊する。
一見、論理的だが疑問は残る。
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