昭和花あらしー25、葬式と出征が重なった。2024年7月22日
「昭和花あらしー25」お嫁さんの葬儀といっちゃんの出征の日は重なりました。
いっちゃんは喪服の羽織袴に襷をかけて私たちに挨拶しました。
「卑怯者と言われても生きて帰りなさい」私はいっちゃんに言いました。
口煩かった愛国婦人会や隣組の人たちは、私の非国民な発言は聞こえないふりをしていました。
みんな、母に世話になった人たちばかりです。
口出しすれば母に「本当に偉くなったね」と言われると分かっていたからです。
いっちゃんは葬儀の場から工場の同僚たちと、久留米師団へ出征していきました。
今も、おはなさんが小さな赤ん坊を抱いて歯を食いしばって見送っていた姿が目に焼き付いています。
-------
なぜ羽織袴で出征したのか不思議だ。
着替えるくらいの時間はあったはずだ。
当時は、愛国婦人会とか隣組とか米屋とか、日頃大人しかった人たちが横暴に権力を振りかざした。
それが彼らの本当の姿だったのかもしれない。
非常時になると人は本性をむき出しにするものだ。
何が起きても変わらない人こそが本当に素晴らしい人だ。
| 固定リンク