昭和花あらし-17- 債務者たち。2024年7月14日
「昭和花あらし-17」
母を騙した債務者たちの処理の仕方は母にはわかっていました。
しかし、母は頼み事が大嫌いな性格で、嫌なことは全部私に任せていました。
私は仕方なく、母を騙して逃げた債務者たちを捕まえ、お金を吐き出させました。
それを幾人も繰り返して、やっと債務の10分の1だけ用意できました。
それからが大変でした。
債権者たちの大半は高利貸しです。私は一同を集めて言いました。
「あなたたちは母の性格を利用して詐欺師たちにお金を貸し付けました。
ここに債務の10分の1だけ用意しました。
この額が納得できないなら1円も支払いません。それがどのような意味なのか、よくご承知のことと思います」
私の言葉に債権者たちは渋々納得して、その件は解決しました。
彼らが手を引いたのは、勝手に母の交友関係からの報復を恐れたからだと思います。
その後、私は簡単に他人の保証人になってしまう母につくづく嫌気がさして、日本が嫌になってしまいました。
--------
ちなみに、高利貸しが貸し付けた元金はわずかで、わずかな期間に高金利で5倍10倍に膨れていた。だから、10分の1の額でも、彼らにはさほどの損にはならなかった。
債務は前回書いたが、今のお金では3億ほどだ。
母が用意できたのは3000万ほど。それが20歳足らずの病み上がりの母ができる限界だった。
母の義母である祖母は、たとえ知らない人からでも頼まれると簡単に保証人になっていた。その逆に、人に何かを頼むのは極めて下手だった。
だから、祖母は九州の侠客たちと付き合いがあったにも関わらず、騙して逃げた債務者から取り立てることを、まったく考えなかった。
頼み事下手は、母も私も同じだ。
どんなに困り果てても、他人に頼ったことはない。祖母と私たちは血の繋がりがないのに、そのような性格だけは似てしまった。
しかし世の中では、依頼心が強い人はみんなから敬遠される。自分で一生懸命努力している者は、不思議なことに、どこからともなく救いの手が差し伸べられる。
私は生涯で三度は万策尽きてもうダメと諦めかけたことがあった。不思議なことにその都度、思いがげない人が現れて助けてくれた。
一度目は子供の頃、遊泳禁止の沖合で、泳げない上級生にしがみ付かれて溺れかけた時だ。その時「しがみ付かれたら潜れ」と大人たちに教わったことを思い出した。すぐに、海底へ向かって潜ると上級生はすぐに手を離した。
自由になった私は海底を蹴って水面に上がった。すると目の前に、臨海学校で来ていた知らない子供たちがトラックタイヤのチューブの浮袋で浮いていた。私はそれに掴まって助かった。
その次は、母の介護をしていて収入が途絶えて、公団の家賃をため込んだ時だ。ブログに「いよいよ家賃が払えなくなった」と一行だけ書いた。
すると、たまたまそれを読んだ人が飛んできて、大量に絵を売ってくれて、一瞬で2年分の生活費が入った。
昔、その人をちょっとした事で助けたことがあった。彼は偶然に私が困っていたことを知って、その日のうちに助けに来てくれた訳だ。
もう一つは長くなるので割愛するが・・私は常々誰かに守られている気がする。それは安易に人に頼らない気持ちがその運を招いているのだと信じている。
| 固定リンク