昭和花あらしー11 楽しい子供時代。2024年7月7日
「昭和花あらしー11」
私はクラスで一番大きかったので、いっちゃんをはじめ男の子たちを子分にしました。
夏は毎日、筑後川で遊びました。
水着はなかったので私は腰巻きで、男の子たちはスッポンポンで泳いでいました。
嫌がる男の子たちに命じて、お墓におしっこをかけさせたこともあります。
子供だったとは言え罰当たりなことをさせて、深く後悔しています。
泣きべそいっちゃんは私が味方でしたので、誰もいじめませんでした。
3年生からは男女別教室に分けられました。
それで男の子たちとは遊ばなくなりました。
その頃、同級生にブリヂストン創業の石橋家の娘がいました。
遊びに行くと、第一次大戦でのドイツ人捕虜が庭掃除をしていました。
その人は、後年地下足袋を考案し、技術者として厚遇されました。
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母は子供の頃、青空や星空を大きな山犬が飛んでいる幻覚をよく見た。それは少しも怖くはなく、とても美しかった。それで、犬みたいな夏雲を描いた。
石橋家が預かっていた俘虜が足袋にゴムを塗って地下足袋を考案したと言われている。だからドイツ人捕虜は、石橋家で技術者として厚遇されていた。
石橋家は久留米でラジオ放送が始まった時、最初にラジオを購入した裕福な商家でもあった。
そのころ母は実父と会った。
小学校での授業中、突然に義父が人力車で迎えにきた。
一緒に人力車に乗ると、
「会わせたい人がいる」と義父が言った。
着いたのは門構えがある大きな家だった。母を迎えた女の人は玄関先で泣き崩れていた。
奥の部屋へ案内されると、布団の上に男の人が背筋を伸ばして正座し、満面の笑顔で母を迎えた。
「よくきてくれてありがとう。本当に大きくなったね」
男の人は心から嬉しそうだった。
傍では先ほどの女の人が泣き崩れていた。
誰にも何も聞かなかったが、母はその人が実の父親だとすぐに分かった。
実父は実家から勘当された上、母が生まれてすぐに妻を亡くしてしまった。困り果てた彼は赤ん坊だった母を養女に出してしまった。
しかし訪ねた頃は、久留米に設立された銀行に招かれて、生活は豊かだった。
実父の傍でただ泣き崩れるばかりの後添えを、母は子供心に「意気地のない女」と軽蔑していた。
実父との再会は10分ほどで終わった。
数日後、母は実父が別れた直後に亡くなったと聞いた。
実父は母に辛い姿を見せたくなくて、気力を振り絞り姿勢を正して笑顔を作っていたようだ。
死因は腹膜炎。今なら抗生剤で治る病だ。
母が意気地なしと思った女の人はその後、大陸での事業で成功していた貴族の後添えになった。よく嘆く人ほど変わり身は早いようだ。
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