昭和花あらしー9 焼き鳥屋。2024年7月6日
「昭和花あらしー9」
花見の季節が過ぎた頃、母が焼き鳥を食べに連れて行ってくれました。
店に入ると若い女主人と猪太郎さんがいました
母と猪太郎さんはすぐに外へ出てしばらく何か話していました。
その間、私は女の人が出してくれる焼き鳥を食べていました。
帰る時、猪太郎さんと女の人は店の前からいつまでも見送っていました。
帰宅すると母は甚平さんに焼き鳥の折り詰めを渡しました。
「猪太郎に会ってきたのか」
甚平さんは聞きました。
「博打はやめたけど、おはなといちに面目なくて帰れない、って泣いていた」
「面目ないないから帰れないか・・馬鹿なやつだ」
母と甚平さんとの会話はそれだけで終わりました。
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私が子供の頃は野鳥料理をよく食べていた。
小さな頭がついていたスズメは骨までサクサクして、とても美味しかった。
一番美味しかったのはツグミだ。肉の量も多く脂がよく乗っていた。
祖父甚平は野鳥料理をよく、母に作ってくれた。しかし、雲雀など野鳥の雛の肉団子料理だけは母は可哀想で食べられなかった。
今と違い大正の日本の山野は野鳥がとても豊かだった。だから、当時の焼き鳥屋は今より高級で、野鳥料理がメインだった。
甚平は寡黙な人だった。母は甚平の小言を一度も聞いたことがない。
甚平は謎の多い人だ。久留米近郊の裕福な造り酒屋の息子だったようだが、家族間で深刻な諍いがあり、若くして出奔した。
お盆が近づくと甚平は郷里に帰っていた。
幼い母が一度だけ「連れて行って」とせがんだことがある。すると怖い顔で「だめだっ」と言った。
母が甚平の厳しい顔を見たのは生涯でその一回だけだ。
母の推測だが、甚平は郷里に帰ると誰にも会わずに野宿した。そして、夜明け前に母親の墓の掃除をして花を生け、人が出歩く前に久留米へ帰って来た。
そのような甚平だったので、意地を張って帰れない猪太郎の気持ちがよく分かっていたのだろう。
その頃、義父は外で飲んでいるか女のところで、ほとんど家にはいなかった。
戦前は、そのような男が多かった。
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